長靴をはいた猫(昭和44年)

シャルル・ペローの童話をアニメ化した東映動画ファン投票第1位の人気作

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、矢吹公郎監督の『長靴をはいた猫』です。ヨーロッパに伝わる民話をもとに1697年にシャルル・ペローが出版した童話が原作になっていまして、東映動画が『太陽の王子 ホルスの大冒険』に続く長編として製作しました。1996年に東映動画創立40周年を記念して行われたファン投票で見事第1位を獲得。作画監督をつとめた森康二がキャラクター設定した主人公ペロは現在でも東映アニメーションのトレードマークに使われています。

【ご覧になる前に】ペロの吹替えは「オバケのQ太郎」主題歌の石川進です

猫裁判でネズミを逃がしてやった罪を問われたペロは三匹の刺客から追われることになり、田舎の家の軒先に雨宿りします。食卓ではレーモンとダニエルの兄弟が末弟ピエールの作った食事に文句を言い、親の遺産を山分けしているところでした。ペロと刺客トリオが騒動を起こすとペロはピエールと一緒に兄弟から外に放り出されてしまいます。雨があがった翌朝、ペロとピエールはじゃがいもの入った袋を担いで旅に出ますが、お城のある都に着くとローザ姫が諸国から集まったお婿様候補と謁見することを知ったのでした…。

昭和33年に初の長編アニメ『白蛇伝』を製作した東映動画は日本アニメーション界のトップリーダーとして次々に良作を発表していました。しかし昭和33年に映画館観客動員数ピークを記録した日本映画はTV受信機の普及率の高まりと共に衰退の一途を辿り始めます。昭和38年に放映開始されたTVアニメ「鉄腕アトム」は子供たちの人気の的となり、わざわざ映画館に行かなくても家庭でも見られるTVアニメが各放送局で乱立していくことになりました。

東映系劇場で公開するための長編アニメーションを製作することが本分だった東映動画もTVの台頭によって「狼少年ケン」や「サイボーグ009」といったTV用作品製作を重視することに。昭和38年公開の『わんわん忠臣蔵』までは年一本ペースで製作されていた長編作品も隔年製作へとペースダウンが図られ、『ガリバーの宇宙旅行』を作っていた昭和39年には「当分の間、長編アニメーションの製作は中止」という方針が東映動画社長によって下されたのでした。

そんな環境下で人件費削減を進める経営側と長編アニメーションを製作し続けようとする東映動画労働組合が対立していくのですが、演出高畑勲&作画監督大塚康生のコンビは『太陽の王子 ホルスの大冒険』を完成させました。製作費予算を大幅オーバーした「ホルス」は興行的に惨敗し、多くのスタッフは降格処分を受ることになったそうです。

「ホルス」の失敗によって東映動画はアニメーションの興行を大きく変更する決断をします。そこでスタートしたのが「東映まんがまつり」で、東映動画の看板商品である長編作品にTVアニメの劇場版を数本組み合わせて子供たちを大量動員しようとしたのでした。その第一弾として上映されたのが『長靴をはいた猫』で同時上映作品は『ひみつのアッコちゃん サーカス団がやってきた』『怪物くん』、そして実写ドラマの『チャコとケンちゃん』。「ホルス」は完成まで3年半の期間を要しましたから「東映まんがまつり」実施プランはその間に計画されていたんでしょう。『長靴をはいた猫』の準備も同時並行で進められていたようで、昭和43年7月に「ホルス」が公開されてすぐに『長靴をはいた猫』の製作が開始されて「東映まんがまつり」は子供たちの春休みにあてて昭和44年3月18日にスタートされました。

「ホルス」の作画監督大塚康生は本作では原画を担当していますが、昭和43年末に東映動画を退社してAプロダクションに移籍しましたので本作公開時には東映動画にはいなかったことになります。Aプロダクションは昭和46年に革命的TVアニメ「ルパン三世」を作りますが、それまでの間に高畑勲や宮崎駿、小田部羊一など主要スタッフはみんなAプロダクションに移りますので、『長靴をはいた猫』は東映動画最大のヒット作であると同時に、優秀なアニメーターたちの手によって紡ぎだされた最後の作品であるといってよいでしょう。

「ホルス」のようなメッセージ色の強い社会派作品ではなく、『長靴をはいた猫』を純粋に楽しめる子供向け娯楽作にするために東映動画は外部スタッフを積極的に起用することにしました。シャルル・ペローの原作を大胆に子供向けに脚色したシナリオは井上ひさしと山元護久が書き、中原弓彦がギャグ監修としてクレジットされていて、井上&山元コンビはNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の生みの親ですし、中原弓彦はヒッチコックマガジン編集長からバラエティ番組の構成作家に転じていた小林信彦の別名です。

また吹替え声優にも当時の人気タレントが配置されていて、主人公ペロの声をやる石川進は「オバケのQ太郎」の主題歌を歌っていたので、その声だけは子供たちにはなじみ深く聞こえたでしょう。ピエールはやる藤田淑子は子役出身で「トムとジェリー」でジェリーの吹替えをやっていましたし、本作の後には「一休さん」をアテています。またローザ姫の榊原ルミは当時はほぼ無名でしたが本作の2年後には『男はつらいよ 奮闘編』でマドンナ役に抜擢され、ルシファ役をやった文学座出身の小池朝雄は3年後に「刑事コロンボ」の吹替えでお茶の間の人気を獲得することになります。

【ご覧になった後で】魔王の城に場面転換した後の30分が最大の見どころ

いかがでしたか?上映時間1時間20分の中で50分までがわりと淡々と進むのに対して、場面が魔王ルシファの城に移ってからエンドタイトルが出るまでの30分こそが本作の存在意義といいますか、この30分があるからこそ東映動画の最高傑作は『長靴をはいた猫』であるという言説が成立するんでしょうね。とにかく次から次へと繰り出すアクションとアイディアとギャグの連打が観客の目をスクリーンに釘付けにしてしまう魅力に溢れていました。

原作ではペロが魔王を唆して大きなものから小さなものに変身させたところを捕らえてめでたしめでたしになるそうです。しかし本作は魔王に骸骨のペンダントというアイテムを与えることで骸骨ペンダントの奪い合いという設定を加えていて、それがこのクライマックスのアクション・アイディア・ギャグの源泉となっていました。骸骨のペンダントが陽を浴びると魔王が消滅するというのはドラキュラ伝説を巧く引用していて、おそらく井上ひさし&山元護久コンビの手によるものでしょう。しかしシナリオに書かれているのはそこまでであとの追っかけは脚本家の仕事ではなく、まさしくアニメーターたちの独擅場だったのです。

作画監督の森康二はキャラクターの基本設計や映画全体のストーリーボードを描き起こす役割だったようで、各シーンは原画を担当するアニメーターに任されていました。つまり絵コンテからキャラクターの配置や動きなどをひとりのアニメーターが創造するということで、そのアニメーターの指示によってキャラの細かな動きは動画担当が、背景は美術担当が描き上げるという作業フローになります。手塚治虫に代表されるマンガ家がストーリーはもちろんのことコマ割りからネーム、筆入れ、セリフまでをひとりで考え絵にして、ベタ塗りやスクリーントーン貼りなどをアシスタントにやらせるイメージに近いものがあるかもしれません。

30分の前半の魔王が変身して三つ首の恐竜になるあたりは大塚康生がそのタクトを振り、後半の城での追っかけは宮崎駿が創り上げたというのが定説になっているようです。もちろん長編アニメーションの製作は共同作業なので、そこにいろんな人のひらめきや発想が入っていたことでしょう。しかしそうしたものをすべて統合して場面設定してキャラたちにアニメの命を吹き込む根本のところは、大塚康生と宮崎駿の存在なくしては生まれなかったのではないでしょうか。

特に宮崎駿が担当したといわれる城の縦構造を生かした追っかけアクションは緩急の利かせ方やギャグのはさみ方などが完璧で、こんなに面白いアニメーションは他にはないぞというくらいのエンターテインメント性がありました。尖塔を結ぶ吊り橋を動作するレバーを魔王が上げ下げすると、橋の間に数珠繋ぎになったピエールや刺客トリオが墜落しそうになるというアクションは、サスペンスの盛り上げとともにネズミ一家をからますことでユーモアが加味されて、ヒヤヒヤしながら笑ってしまう盛り上がりでした。また時間とともに上下する仕掛けの時計台に骸骨が紛れてしまい魔王が機械時計をぶち壊してしまうところで時報を告げるからくりの鳥が猛スピードで出入りを繰り返すギャグや取り合いをしていた骸骨がその時計台からこぼれおちたもので本物は別にあるとわかったときの間の取り方など、追っかけシーンを間延びさせないあの手この手が繰り出されて、見ていて飽きることがありませんでした。

劇場で見ていて大勢の子供たちから一斉に笑い声が上がったのもこの宮崎駿の担当シーンで、骸骨が頭に挟まったずっこけ猫(水森亜土の吹替えが抜群にマッチ!)にペロがヒゲを一本抜いて鼻こちょこちょでクシャミをさせるところと、くずれた階段の端につかまった魔王の指先をネズミ一家の一番のチビがちっちゃなサーベルで突くところは、子供たちも大喜びの様子でした。こうした笑いが出るのも魔王の城の構造が定型ではなく、アクション優先でどんどん変形していくからで、結果的に魔王の城がどういう構造になっていたかなんて全体感はまったく関係なく、次々に切り替わるシチュエーションごとにハラハラドキドキしてしまうのは迷宮のようになっているという発想で城を構造設計しているからでしょう。そんなところに宮崎駿の常人とはかけ離れたオリジナリティが感じられました。

吊り橋や時計台だけではなく、魔王がネズミを追いかける尖塔の周囲の狭い段差やピエールがローザ姫を抱えながらロープの振り子を利用して飛び込む窓、塔の内部の空洞に張り出された螺旋形の棒状の階段など、観客も魔王の城にはじめて入るわけですから「こんな風になっているんだ」と思いながら骸骨ペンダント争奪戦の一員となって画面を食い入るように見ることになります。後年のジブリ作品ではストーリーボードですべてをガチガチに決めがちな感じに見える宮崎駿にしては、本作での自由自在なアクション設計が冴えに冴えわたっていました。

そして最後のクライマックスは魔王によって倒された尖塔から落下しながらピエールとローザ姫が骸骨ペンダントを「朝日を!」と光にかざすシーン。落ちる二人と昇る太陽の光がコマ単位でカットバックされると突然ペンダントが輝き始め、こうもりに姿を変えた魔王は粉塵と化し、無数のカラスたちは白い鳩となってピエールとローザ姫を空中で受け止めます。高いところから落ちていく男女というモチーフは後の宮崎駿監督作品では「未来少年コナン」や『ルパン三世 カリオストロの城』で繰り返されるわけで、まさに宮崎駿的発想の原点ともいえるシーンになっていましたが、水平線から太陽そのものが姿を見せるショットがなかったのが惜しい点でした。再三「朝日を」と叫んでいるわけですから拡散する光ではなく太陽の真っ赤な上辺がキラリと光る瞬間こそを観客は待ち望んでいるのです。いきなりペンダントの色が変わるのは最後の盛り上がりに水を差すような処理だったような気がします。

そんなわけで後半30分があってこその『長靴をはいた猫』であるものの、そこに至るまでの50分は実はあまり良い出来とは言えず、ヨーロッパのどこかの国が作ったのかなと思ってしまうくらい東映動画らしさが全く感じられませんでした。三匹の刺客猫とネズミ一家は森康二が描く動物たちの愛らしさがありましたが、ピエールやその兄たち、花婿候補や王様などのキャラクターは外国の絵本から取ってきたようなステレオタイプにしか見えません。ペロとピエールが旅に出るところから宇野誠一郎の曲がかかってミュージカルっぽい演出が入ったりするのも、妙にまったりしてしまい作品のテンポが緩める要因になっていたのではないでしょうか。

そして一番気になるのはピエールのキャラクター設定でした。兄にいじめられていたピエールがペロに促されてカラバ侯爵として姫の花婿に立候補するところではいつまでも自信なさげで意思のない少年にしか見えないのですが、なぜかローザ姫がさらわれるといきなり勇敢な青年に早変わりして白い馬で駆け出します。魔王を小さく変身させるのはペロの入れ知恵でうまく行きそうになるものの、魔王が骸骨ペンダントを取り戻すとペロもお手上げ状態。なのにいつのまにかヒーロー然としたピエールが率先して姫を救い出そうと大車輪の活躍を見せ始め、いつ習得したのか知りませんが剣を使いこなしたり石垣を飛び移ったりの獅子奮迅ぶり。そんな力があるんならなんでいじわる兄弟の下で下男同然の扱いに甘んじていたんでしょうか。

加えていつまでも受け身でしかないローザ姫もいかにも古典的過ぎてしまい、魔王が三日後の晩に迎えに来ると予告しているにもかかわらず何の行動も起こさないのはなぜなんでしょうか。益田喜屯が声をアテた王様もお金しか目に入らないボケナスでしかありませんでしたけど、意志薄弱でかよわなローザ姫もきれいなお人形さんキャラでしかありません。意志の強い女の子が好きな宮崎駿が絵コンテを切ったわりには最後まで王子様の登場を待っているだけで、ピエールとローザ姫が白い鳩に囲まれて抱擁する終幕にあまり祝福感が感じられないのも二人が結ばれるドラマが成立していないからだと思います。アニメーターの分業制はアクションの展開には効果を発揮しましたが、ドラマの一貫性という面では脚本の弱さを助長する結果を招いたのかもしれません。

実は主人公ペロも本作の中では知恵が働く策略家という枠から外れることもなく、刺客とネズミのサブキャラたちは本作の追っかけ構造を多層化するうえでは貢献度大でしたが、お笑い担当の範疇を超えるものではありませんでした。そう考えると本作の中で最も成功したキャラクターは魔王ルシファだったような気がしますよね。小池朝雄の粘り気のある声質のせいもあって、悪役というよりはどこか憎めないドジっぽさが併存していて、このルシファのキャラクターは「未来少年コナン」のダイス船長として宮崎駿の中で変容していったのではないかと推測します。

いろいろ難癖をつけてしまいましたが、最初から最後まで安心して楽しめる娯楽の王道を貫いた長編アニメーションとしては大成功だったと思いますし、『太陽の王子 ホルスの大冒険』からよくここまで転向することができたなというのも別の意味で感心するところではあります。いずれにしても世の中的にはペロが東映アニメーションのトレードマークとして生き残っていることからしても東映動画を代表する作品であることは間違いありません。いつまでも子供たちを笑顔にさせる娯楽作として残り続けてもらいたい作品です。(T100326)

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