忍びの者(昭和37年)

戦国時代での忍者の実態をリアルに描いた「忍びの者シリーズ」第一作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本薩夫監督の『忍びの者』です。織田信長が伊賀に攻め込んだ天正伊賀の乱を舞台にした村山知義による原作を市川雷蔵主演で映画化した「忍びの者」シリーズの第一作で、監督は東宝争議で組合側の中心にいて東宝を退職した山本薩夫がつとめています。荒唐無稽な忍術使いという既成のイメージを翻して、兵術を駆使して諜報や破壊工作を行うリアルな忍者の実態を描いていて、忍者ブームを引き起こすきっかけとなった作品でもあります。

【ご覧になる前に】上忍三家「百地・藤林」のライバル争いから始まります

戦が終わり屍が転がる荒れ地で二人の忍者が鉢合わせします。そのうちの一人、五右衛門が百地砦に帰ると頭領の三太夫が忍者全員を集めて寺社殲滅を進める織田信長打倒を訴えていました。三太夫は五右衛門を砦の勘定方に取り立てますが、火薬づくりを専業とする父は喜ぼうとせず、五右衛門も三太夫の妻イノネの誘惑に負けて夜には密通するようになっていきます。上忍三家のひとつ藤林の砦では、長門守が信長暗殺においては百地に先を越されてはならないと部下たちに指令を出し、忍者の木猿は森の中から弓矢で馬上の信長を狙うのでしたが…。

山本薩夫は松竹蒲田に入社して成瀬巳喜男の助監督をつとめていましたが、成瀬がPCLに移籍することになり、成瀬から誘いを受けた山本薩夫も松竹を退社してPCLに移りました。PCLが東宝になると戦時中は山本薩夫も戦意高揚映画の監督をしたりしましたが、戦後キネマ旬報ベストテン第2位となる『戦争と平和』を撮ると日本共産党に入党。東宝争議では経営側を糾弾する組合幹部の急先鋒として活躍したようです。結果的に東宝争議は組合側の主要メンバーが退社することで幕が引かれ、山本薩夫はフリーの立場になり独立プロダクションで映画製作を続ける身になったのでした。

その山本薩夫に目をつけたのが大映社長の永田雅一で、戦後は大野伴睦を首相にしようとして自民党に多額の献金をするなど保守政治の黒幕としても有名でした。その一方で「映画は面白ければ右も左もない」というようなスタンスをもっていた永田雅一は、左翼的姿勢で社会派作品を撮り続けていた山本薩夫に「忍びの者」の映画化を託すことにしたのです。というのが一般的に伝えられている経緯ですが、そもそも村山知義が書いた原作は日本共産党が発行する「赤旗」の日曜版に連載されていましたから、原作の映画化権を大映が獲得したときから共産党つながりで山本薩夫に仕事を与えようみたいな動きがあったのかもしれません。推測ですけど。

脚色を担当したのは高岩肇で、戦前から数多くのシナリオを書き、設立まもない頃の東映では時代劇から現代劇まで幅広い作品を残しています。昭和30年代半ばからは映画会社を問わずに活躍していて、8作に及ぶ「忍びの者シリーズ」の半分は高岩肇が書いていますし、松竹では松本清張原作の『眼の壁』の脚色をやっています。また撮影の竹村康和は日活太秦撮影所時代からのキャメラマンで、戦後は一貫して大映京都撮影所で仕事をした人です。また本作はオープンセットや夜の場面での室内セットが多く使われていまして、美術担当の内藤昭も大映京都の職人のひとり。「大菩薩峠」三部作や「悪名シリーズ」など大映時代劇のセットを多く手がけています。

【ご覧になった後で】前半は見事な忍者映画でしたが後半は尻すぼみ気味です

いかがでしたか?山本薩夫といえば『白い巨塔』と『戦争と人間』で重厚なドラマづくりができる人というイメージがある一方で『皇帝のいない八月』でのなんでこんなつまんない映画を見なきゃいけないんだというくらいひどい演出家だという印象もあり、どうにもこうにも評価しにくい監督さんなのですが、本作は非常に真っ当な映像作家ぶりを発揮していて安心して見ることができました。特に前半の出来栄えはなかなかのものでして、百地砦のスケールの大きさを伝えるロングショットの使い方とか隠し扉や抜け道や屋根裏などの忍者の動線を狭い視界で切り取るなどの工夫によって、大仰な時代劇とは一線を画した戦国時代のリアルな諜報活動がしっかりと伝わってきました。

また伊藤雄之助が実はライバル争いをする百地と藤林の双方を操る黒幕で、二人の人物を全く違うキャラクターになり切って演じ分けているという設定も、物語自体の謀略的な雰囲気を盛り上げていましたし、岸田今日子の欲情を抑えきれない妻が市川雷蔵を誘う展開も普通の時代劇にはない現代的風味を加えていました。忍者といえば頭巾を被った黒装束がすぐに思い浮かぶのですが、映画の前半では百地の忍者たちが暗殺や破壊活動を行う際には普通の農民姿となるあたりも現場っぽい臨場感を表現していたと思います。

しかし後半に入って市川雷蔵は藤村志保演じるマキという不幸な娘と所帯をもちたいと願う展開になるあたりから、少しずつ緊迫感が緩んで冷徹な忍者の道から単なる師弟関係のしがらみ物語のように変化してしまいます。超一流の忍者である五右衛門が短い時間を女郎のマキと過ごしただけでなぜ忍者の道を捨ててしまうのかが描けていませんし、一方でそう決心したなら三太夫による信長暗殺の命令など無視してマキとの生活を守るために戦えばいいはずなのに、盲目的に難易度の高い暗殺計画を選んでしまうのも解せません。原作はどうなっているのか知りませんが、シナリオの後半はやや破綻しているといっても過言ではないでしょう。

そして一番不満なのは百地と藤林の両方を伊藤雄之助が操っていたことに市川雷蔵が気づくという重要な場面で、なぜ三太夫の死に顔だけでそのからくりに気づくことができたのかという経緯が全く描けていないことでした。映画では突然伊藤雄之助のナレーションがかぶさって「ふたつの組織を競わせることで目的達成度が上がるのだ」みたいなわけのわからない動機が語られるのですが、そんなことだけでややこしくて手間のかかる二役をやっていたのかよと幻滅してしまう描き方でした。敵を欺くなら味方からということなのかもしれませんが、両陣営を競わせる手法なんて別にもっとあるはずですし、この仕掛けには何かスケールの大きい陰謀が隠されているんだろうなと期待して見ていたので、あまりに中身が薄くてかえってがっかり度が増してしまいました。

また織田信長役を城健三郎時代の若山富三郎が演じていますが、ちょっともっさりし過ぎていて信長のイメージを崩してしまっていたような気がします。本作での信長は寺社仏閣とともにその近隣の民衆までも皆殺しにした残虐な支配者という描かれ方をしていますので、もう少しエキセントリックな俳優をあてたほうがよかったのではないでしょうか。

そんなわけでシナリオは今ひとつなのですが、市川雷蔵はちょっと薹が立っている感じがありながらも「動」を感じさせる演技が新鮮でしたし、竹村康和のキャメラもショットごとの構図がしっかりしていて非常に安定感がありました。また内藤昭の美術も本当にすばらしくて、特にスタジオセットで撮られた深い森の中の道の造形は本作の雰囲気づくりに大きく貢献するものでした。大映京都撮影所のスタッフの実力が十分に楽しめる作品だったのが一番の収穫なのかもしれません。(A031323)

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