おんなの渦と淵と流れ(昭和39年)

英文学に没頭する夫が結婚した貞淑な妻には実は過去があったという文芸もの

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、中平康監督の『おんなの渦と淵と流れ』です。榛葉英治という人が書いた小説を原作として成澤昌茂が脚本に仕上げました。大連で英文学を教えていた男が貞淑な妻と結婚するのですが、その妻が次第に肉体的にも精神的にも陰をもった女性であることを知るというミステリアスな文芸ものになっていて、日活一筋で働いてきた中平康がちょっとシュールな映像で語っていきます。

【ご覧になる前に】主人公須賀子を演じる稲野和子は文学座の舞台女優でした

金沢の屋敷に住む沼波がある雨の日温泉に行くと言って家を出ると、妻の須賀子は女中に部屋を掃除しておくように言いつけて料亭の客大谷のもとへ出かけます。沼波は壊れた橋から家に戻り、隣室への覗き穴を作って自室の押し入れに閉じこもりました。戦時中の大連で見合い結婚した須賀子は、沼波が熱心に専門の英文学の話を聞かせても聞き流すだけで、戦争が始まると自宅を小料理屋にして客の軍関係者と関係をもつようになっていました。大谷と家に戻った須賀子が房事に耽る姿を目撃した沼波は、須賀子が「死にたい」と口走るのを聞くのですが…。

原作者の榛葉英治(しんばえいじ)は満州国外交部に勤めた後、戦後に小説家となった人で、昭和33年には敗戦時の満州の混乱を描いた「赤い雪」という作品で直木賞を受賞しています。その二年前に「渦」「淵」「流れ」という三部作小説を発表していますので、本作はその三つの小説をひとつにまとめた構成になっています。

脚本の成澤昌茂は松竹京都撮影所に入社して、溝口健二に師事しました。戦後に復員すると松竹を辞めて大映に入社し、脚本家として多くのシナリオを書くことになります。溝口健二はシナリオライターの依田義賢とコンビを組むことが多かったのですが、その依田義賢との共同で成澤昌茂は『噂の女』と『新・平家物語』の脚本づくりに加わり、溝口の遺作となった『赤線地帯』では成澤昌茂が単独で脚本を書き上げています。その頃からたぶん大映所属ではなくフリーの立場になっていたようで、松竹や東映の作品にも脚本を提供するようになり、本作の前年には田中絹代がにんじんくらぶで監督した『お吟さま』の脚本も書いています。

監督の中平康は松竹から日活に移籍して、二年後には『狂った果実』で監督デビューしていますので、松竹にいたらずっと助監督のままで大島渚たちの世代に追い越されていたかもしれません。もちろん日活では裕次郎映画だけでなく、フランキー堺の『牛乳屋フランキー』や月丘夢路の『美徳のよろめき』などアクションから喜劇、文芸ものまで幅広い作品を手がけています。本作と同じ年には加賀まりこで『月曜日のユカ』を撮った後に『猟人日記』『砂の上の植物群』の文芸ものを続けて監督していて、その路線で同じく文芸ものの本作を撮ることになったのかもしてません。

主演は仲谷昇と稲野和子の二人ですが、ともに文学座に所属する舞台俳優でした。仲谷昇は十六歳で終戦を迎えていますので召集はされなかったようで戦後中央大学を中退して文学座の座員になりました。昭和31年に成瀬巳喜男の『流れる』に出演した頃にはひょろっとした青くさい青年役という感じでしたけど、次第にインテリ中年的な役どころを得意としていき、中平康には『猟人日記』『砂の上の植物群』に続いて主演に起用されています。実はこれら三作品に主演したこの年は、文学座を退団して福田恆存が主宰する劇団雲に移籍したばかりの頃。本作に脇で出ている神山繫と小池朝雄も行動を共にしています。

かたや稲野和子のほうは文学座に研究生として入って、本作に出演した年に正式に文学座の座員になっています。なので仲谷昇も稲野和子も同じ文学座であるものの、ちょうどすれ違いの時期に本作で共演することになったんですね。その後の稲野和子は映画界よりもTVで活躍するようになり、「ザ・ガードマン」や「Gメン’75」あたりで大量にゲスト出演することになります。

本作はシネマスコープのモノクロ作品ですが、キャメラマンの山崎義弘はずっと日活一筋でキャメラを回し続けた人です。中平康監督・裕次郎主演の『紅の翼』でも撮影を担当していますし、他にも裕次郎主演作を撮っていますので、その関係からか裕次郎が石原プロモーションを設立してはじめて製作した『太平洋ひとりぼっち』のキャメラマンも山崎義弘がつとめています。日活が経営不振となりロマンポルノに路線変更してからも律儀に日活から離れなかったらしく、フィルモグラフィを見ると1970年代以降は「団地妻」とか「犯す」とか「濡れた」みたいなタイトルの作品ばかりが並んでいて、まさに日本映画界の衰退を物語るような経歴をもったキャメラマンです。

【ご覧になった後で】スタイリッシュな文芸エロ作品というところでしょうか

いかがでしたか?公開当時の惹句を見ると「のぞく…、妻の不倫のいくつかを!ナイフを握り、押し入れにひそむ夫…。巨匠中平康演出の異常大作!!」となっていて、文芸ものでありながらもややアブノーマルなエロ路線で売り出したんだなということがわかります。確かに「第一部・渦」では「のぞき」が主要モチーフになっていて、しかも妻が寝取られるのをひそかにのぞくだけの夫という描き方ですので、その手の趣向をもつ観客たちを大いに興奮させたのではないかと思われますね。

この「のぞき」の行為が原作にも書かれていたかどうかはわかりませんが、やはり「穴から隣室をのぞく」という行為を描いた三島由紀夫の「午後の曳航」は昭和38年に出版されていますので、成澤昌茂の脚本が巧みに「のぞき」を本作に取り込んだという可能性もあるんではないかなと推測されます。全く違ってるかもしれませんけど。

なので「渦」パートは大連時代に時制が戻ったりするところもオリジナリティがあってなかなか見ごたえがあり、ミステリアスなキャラクターである須賀子を描き出すはずの第二部以降に期待させるのですが、実際には「第二部・淵」と「第三部・流れ」は期待外れの出来栄えになっていました。というのも第一部は仲谷昇のナレーション主体で話が進められるので、かなりナラティブで説明が多いながらも文芸ものっぽい雰囲気が出ていたのに比べると、第二部は誰が語り手なのかわからなくなってしまうんですよね。稲野和子のナレーションがかぶるので「第一部は夫の視点で、第二部は妻の視点なのかな」と思って見ていたのですが、妻の内面を吐露するナレーションはたまに挿入されるだけで中途半端に終わっていました。

須賀子にとってトラウマになっているはずの叔父からの性的暴力はシンボリックに描写されるだけで、それが須賀子のキャラクターにどのような傷を残したのかが伝わってきません。ここらへんは脚本の不備なんでしょうけど、第三部に至るまで須賀子の「死にたい」という気持ちがセリフだけの上っ面になっているのが本作の失敗だったように思います。加えて稲野和子の演技はずっととらえどころのない感じに終始しているので、結局須賀子がどんな女性だったのかがわからないままで終わっています。夫のことだけを愛していたという最後の独白もとってつけたように聞こえてしまうのが残念でしたね。

でも中平康の演出は惹句の通りにちょっと異常で、何が異常かと言えばシネマスコープの画面の端のほうだけを使う構図で押し通すところが本作にスタイリッシュかつ不安な雰囲気を与えていました。夫婦の会話の場面でも、ひとつの画面の中に二人が収められるのではなく、ひとりずつのショットを短くカットバックさせることで断絶した感じを表していました。また、そのショットが仲谷昇の顔のクローズアップを画面の右端に置いて右を向かせるので、画面中央から左の三分の二は黒っぽい部屋の背景が映っているだけになります。そのような窮屈な構図で、しかも大半は「何も映さない」ような絵になっているので、映像を通じて虚無感というか非常に空虚な感覚に襲われるのです。このクローズアップの使い方は川地民夫なんかにも応用されている一方で、本作の中でただひとり善を感じさせる志村君という女性(谷口香という新人女優で本作以外は目立った作品はないようです)に限っては画面いっぱいのクローズアップが使われていました。なので歯並びの悪いところまで大写しになってましたけど。

北村和夫や神山繫、小池朝雄、三津田健、沢村貞子などうまい役者がたくさん出演している中で、料亭を手伝っていて仲谷昇に「カラマーゾフの兄弟」の質問をする君子という芸者が湿度の高いアンニュイな雰囲気を残していたのが印象的でした。この女優は楠侑子といって、夫は劇作家の別役実なんだそうです。俳優座出身で、渋谷のジャンジャンとかで舞台活動を続けていたようで、映画では黒澤明の『どですかでん』に三波伸介の妻役で出演した経歴があります。本作の演技でこの年の毎日映画コンクール助演女優賞を獲得していますので、やっぱりそれなりのインパクトを残したようですね。(T062723)

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