穴(昭和32年)

大映時代の市川崑監督が京マチ子を主演に起用した犯罪コメディー映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『穴』です。市川崑は『ビルマの竪琴』を完成させると日活から大映に移籍して『処刑の部屋』や『日本橋』などの作品を発表しますが、製作順でいうと本作は『炎上』のひとつ前にあたります。京マチ子を犯罪に巻き込まれるルポルタージュ記者役に起用して、コメディエンヌとしての才能を引き出したのが特徴で、原作ものではない久里子亭のオリジナル脚本に注目です。

【ご覧になる前に】当時大衆に人気だった月刊誌の記事から物語が始まります

第億銀行でほとんどの行員が帰宅した後に支店長と千木は出納係の六井になぜ金を持ち出さなかったのか問い詰めています。場面は変わってとある警察署では猿丸警部が月刊誌文芸公論に掲載された「S警部」の記事を読んで憤慨中。汚職警官と名指しされた猿丸警部は編集長のところに乗り込み、記事を書いたルポルタージュ記者の北長子を首にしろと息巻きます。職を失った長子はアパートの一室で友人から週刊誌に懸賞付きの失踪記事を売り込むアイディアをもらい、早速週刊ニッポンに企画を持ち込みました。懸賞金の50万円は一ヶ月間の失踪を成功させれば全額長子のものになるはずでしたが…。

本作には文芸公論とか週刊ニッポンという雑誌が登場しますが、昭和32年当時に毎日新聞が行った「買って読む雑誌アンケート」では月刊誌文藝春秋がトップにランクされるほどの人気を誇っていました。硬派の中央公論でさえベストテンに入っていたようですから、当時の大衆にとって雑誌は数少ない娯楽の一部だったのです。週刊誌のほうでも昭和31年に創刊されたのが週刊新潮と週刊アサヒ芸能で、それから数年の間に週刊現代や週刊文春など現在でも続いている週刊誌が続々出版されて雑誌ブームのような時代がやってくることになります。

そうした月刊誌や週刊誌を巧みに取り入れて、ルポルタージュを書く女性記者が銀行員の横領事件に巻き込まれる物語をオリジナル脚本として生み出したのが久里子亭。久里子亭とは、市川崑と妻の和田夏十の二人がコンビでシナリオを書くときのペンネームで、アガサ・クリスティをもじったもの。ただし市川崑が東宝で金田一耕助シリーズを映画化する以降は、市川崑と日高真也のコンビで久里子亭を名乗ったそうです。しかし昭和32年に本作のような犯罪コメディ映画がオリジナル脚本で製作されたのは驚くべきことで、当時の映画会社で脚本を取り仕切っていた文芸部の仕事は他社に先駆けて映画の元ネタとなる小説の映画化権を抑えることでした。新聞連載小説などは連載が決まるとその作者のもとには映画会社の文芸部から100万円で権利を買い取るという連絡がすぐに入ったそうですから、久里子亭は少なくとも映画化権利料は上乗せして脚本料をもらう権利があったわけです。

主演の京マチ子は本作の前年には溝口健二監督の遺作となった『赤線地帯』で娼婦役を演じていますし、本作の直前にも吉村公三郎監督の『夜の蝶』でバーのマダムをやっています。そんな京マチ子に化粧っけもないルポルタージュの女性記者をやらせるキャスティングが市川崑らしさなんでしょうか。大映の作品なので船越英二が出ているのは当たり前として、月刊誌の編集長を見明凡太郎、週刊誌の編集長を潮万太郎が演じているのもいかにも大映らしい配役です。逆にフリーだった山村聰はこの年には松竹で4本、大映で3本、東宝で2本、東映で1本と映画会社を掛け持ちしながら様々な役をこなしています。山村聰はこの時期監督業にも進出していましたから、お金が必要だったのかもしれません。

キャメラマンの小林節雄は市川崑とは『野火』や『黒い十人の女』でコンビを組みますし、増村保造監督作品でもキャメラを回す大映の職人のひとりですが、なんと撮影としてクレジットされたのは本作がはじめてでした。また音楽を芥川也寸志が担当しているのも注目で、軽妙なジャズっぽい楽曲を提供しています。あとは製作は大映なので永田雅一かと思ったら、雅一ではなく永田秀雅。同じ永田姓なので永田雅一の息子かと思って調べてみると、どうやら養子縁組して永田家に入ったようで、昭和30年代後半になるとぱったり大映作品の製作から名前が消えてしまう人でした。

【ご覧になった後で】日本映画には珍しい軽妙洒脱な犯罪コメディでしたが…

いかがでしたか?久里子亭のオリジナル脚本が非常によく出来ているので、日本映画には珍しく軽妙洒脱なタッチの犯罪コメディ映画になっていたのには驚かされました。特に序盤のハイペースな語り口が見事で、夜の銀行から警察署、出版社と場面が変わって、京マチ子のアパートになり、週刊誌の編集部になるまではこれはなんだか傑作の臭いがするぞと思わせるテンポで物語が進みます。そして主要登場人物が初登場するときのトラックアップ&ダウンが新しい手法で、一度キャメラがググーっと人物のアップまで寄り、すぐに元の位置まで戻るというこの移動撮影はちょっと他の映画では見られないセンスがありました。

ところがデザイン化された昼と夜のイラストが交互にカットバックして29日経過という字幕が出た後は、その軽妙かつスピード感溢れる語り口がややもたつくようになります。というのも一ヶ月失踪状態であれば懸賞金をゲットできるはずの京マチ子があと24時間というところで自室に戻ってきてしまう設定自体が「なんで一日前に戻ってきたの?」と思わせるからで、そこが最初の躓きでした。また北長子に似た女性を銀行の行員にするというトリックあたりから、なぜそうでなければならないのかが今ひとつはっきりしなくなってきます。身代わり行員の日高澄子が隠れている川崎の倉庫の場所を船越英二が明かしてしまうのもなぜだかよくわかりませんでしたし、六井の妹の川上康子のキャラクター設定も途中から登場したのにきちんと説明されないままで、後半はかなりとっちらかった印象になってしまいました。

シナリオが破綻していく中で孤軍奮闘するのが京マチ子で、地味な記者から途中でグラマラスな街娼風に変装したり田舎娘の扮装でタクシー運転手をだましたりと、八面六臂の大活躍を見せます。この京マチ子が実に表情豊かで泥まみれになっての熱演を見せるので、ある意味本作は京マチ子の違う魅力を引き出すことを目的とした作品だったのかなとも思えてきます。次の企画を売り込む商魂逞しい京マチ子に寄りつつ、窓ガラスに空いた穴で締めくくるエンディングは、ちょっと気の利いた終わり方でした。

京マチ子にアイディアを授ける北林谷栄は本作の翌年には『炎上』で市川雷蔵の母親役を演じていまして、対応年齢幅の広い女優さんだったことがわかります。猿丸警部役の菅原謙二は俳優座出身で大映に入社した人。本作では濃い眉毛と跳ね上がった髭でコミカルな警部を演じていましたが、二枚目役を得意としていて若尾文子と恋の噂があったほどの美男子男優だったそうです。

そんなわけで途中までかなり期待しながら見たものの、結果的には大映のプログラムピクチャーの一本に過ぎないという感じの作品でした。とは言いつつも市川崑の才気が十分に伝わってくるショットがそこかしこで見られましたし、小林節雄の露出を抑えたモノクロームの映像もキリっとしていました。そして原作がないにもかかわらず、ここまで複雑な展開の犯罪ものをオリジナルで作り上げた久里子亭というシナリオコンビの存在も当時の日本映画の力量を示していると思います。こういう作品が二本立てで毎週映画館にかかっていたんですから、昭和30年代前半の日本映画界って本当に豊穣の季節そのものだったんですね。(A071223)

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