松山善三が脚色して小林正樹が監督したにんじんくらぶ企画の松竹映画です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、小林正樹監督の『黒い河』です。原作は富島健夫が書いた同名の小説で、松山善三が脚色したシナリオで小林正樹がメガホンをとりました。岸恵子・久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を立ち上げた有馬稲子が主演している通り、企画をにんじんくらぶが担当しています。昭和32年のキネマ旬報ベストテンでは二十位までにも入っていないので、プログラムピクチャー的な扱いだったのかもしれません。
【ご覧になる前に】仲代達矢はこの映画で初めて小林正樹に起用されました
基地の町で米兵相手の娼婦たちが下着やパンストを物干しにかけている横を日傘をさした若い女があらくれ男たちが好色な視線を受けながら駅に向かって歩いていきます。駅の階段で女に道を尋ねたのは学生の西田で、西田は安い賃料の部屋を求めて大家に会いに行くところでした。夏の着物を着た大家が西田を案内したのは朽ち果てそうな長屋風アパートで、住人達は大家が来るのを見て一斉に姿を隠します。壁に穴の開いた部屋に西田を通すと大家は住人の部屋を回って家賃の催促をし始めますが、滞納し続けているポン引きやニセ学生たちの中で西田の向かいに住む岡田だけが毎月の家賃をしっかり納めているのでした…。
早稲田大学出身の富島健夫は在学中に書いた小説が雑誌新潮に掲載されて芥川賞候補になった人。河出書房に勤務しながら執筆した最初の長編小説が「黒い河」で昭和31年に同社から出版されたものの、河出書房が倒産したため富島健夫は執筆に専念することになりました。青春小説やジュニア小説を書き続け、昭和40年代にはタブーとなっていた十代の性を取り上げた「おさな妻」を発表して関根恵子主演で映画化もされています。以後は性をテーマにした小説が多くなり、昭和50年代になると川上宗薫、宇野鴻一郎とともに官能小説御三家と呼ばれるようになりました。
昭和三十年代においては映画界は常にネタを小説に求めていまして、富島健夫の「黒い河」にいち早く目をつけたのは文芸プロダクションにんじんくらぶ。にんじんくらぶは昭和29年に岸恵子・久我美子・有馬稲子の女優三人が設立した俳優マネジメント兼映画製作会社。設立時には当時のメジャー五社の幹部をはじめ石坂洋次郎、井上靖、大佛次郎、川端康成、谷崎潤一郎など文壇を代表する作家たちが顧問となって後押ししました。第一回作品は昭和30年に製作された家城巳代治監督の『胸より胸に』で、続いてにんじんくらぶが企画することになったのが本作でした。
松山善三は松竹で木下恵介の助監督を務めていて、昭和29年に『荒城の月』で脚本家デビューを果たします。昭和30年に『美わしき歳月』、昭和31年には『あなた買います』と松山善三が書いた脚本が小林正樹監督によって続けて映画になっていて、本作は松山善三・小林正樹コンビによる三作目となります。小林正樹のライフワークとなる『人間の條件』も松山善三は小林正樹と共同でシナリオを書いていますので、『切腹』や『上意討ち 拝領妻始末』で小林正樹が橋本忍とタッグを組むまでは、松山善三が小林作品を支え続けていたのでした。
主演の有馬稲子が所属するにんじんくらぶは「俳優のための映画を企画する」という目的で設立されましたので、本作には映画会社の枠を超えて多くの俳優が終結することになりました。松竹からは渡辺文雄・淡路恵子・高橋とよ。にんじんくらぶに所属したばかりの桂木洋子。俳優座からは東野英治郎・永井智雄・菅井きん、文学座からは宮口精二・賀原夏子、劇団民藝からは清水将夫・佐野浅夫らが出演。東宝争議でフリーになっていた山田五十鈴も出ています。
そして仲代達矢。『七人の侍』の歩くだけの侍を演じて黒澤明から何度もやり直しをくらったことは有名ですが、日活の『火の鳥』で野心的な若手俳優を演じた後は端役が続いていました。そこで小林正樹監督が本作の「人斬りジョー」で仲代達矢を抜擢し、小林正樹は『人間の條件』の主演男優を仲代達矢に任せることになるのです。映画界で注目の的となった各映画会社から専属契約を求められますが、舞台と映画に50/50の割合で出たいと思っていた仲代達矢はそのオファーをすべて断り、映画会社の枠にとらわれずに自分の選んだ作品に出演できるようになりました。
【ご覧になった後で】芸達者な住人たちに比べると仲代達矢はまだ堅いです
いかがでしたか?本作の舞台設定は米軍基地がある町になっていまして、セリフに「新宿への上り電車」とか出てきますし、渡辺文雄と有馬稲子が連れ込み宿に入るのはどうやら登戸駅のようなので、たぶん厚木基地のことではないかと思われます。昭和27年にGHQが撤退した後も米軍は厚木基地に駐留を続けていましたので、ロケーション撮影も厚木で行われたんでしょう。米軍基地の外回りや英語の看板が残る町の様子などがフィルムに残っていて、本作は戦後日本の大変貴重な映画アーカイブといって良いかもしれません。
元は日本海軍が昭和18年に開設した厚木飛行場は昭和20年8月15日に天皇陛下の玉音放送で敗戦が伝えられると小園大佐による叛乱勃発の舞台ともなりましたが、連合国軍の先遣隊としてアメリカ軍が接収し、マッカーサー連合軍司令官が降り立った場所としても歴史に名を残すことになりました。昭和25年に朝鮮戦争が始まると米軍の軍事施設としての重要性が高まり、アメリカ軍の極東における中核航空基地となり、アメリカ海軍の管轄となっていました。土地買収の黒幕役の清水将夫が大家の山田五十鈴に向って「アメリカ軍もあと数年で撤収するという話もあるので、米兵相手に1-2年がっぽり儲けましょう」的なセリフを言いますが、結果的には現在でもアメリカ海軍と海上自衛隊が共同で使用しています。
本作に登場するアパートは原作では「月光荘」と呼ばれているようで、本作の見どころの大半は月光荘のリアルな美術セットと住人を演じた俳優たちの巧みな芸にありました。まずセットが本当によくできていて、朽ち果てそうな薄汚れた木造長屋の雰囲気が映像で伝わってきましたし、部屋の中まで住人の個性が反映されていて、やや洒落者の岡田の入り口には「OKADA」と横文字で表札代わりの文字が記されていたり、宮口精二演じる子だくさんの金さんの部屋が殺風景だったりと細かなところまで美術設計が行き届いていました。特に屋外にある共同便所は画面が臭く感じられるほどで、中村是好演じる汲み取り屋と高橋とよ・賀原夏子・菅井きんが「うんこ」を何度も口にするのは下品さを通り越した当時の生活臭そのものを表現していたように思います。
そして住人を演じる俳優たちは舞台出身者が多く誰もが芸達者でこの人たちの演技を見ているだけでも十分の楽しめました。岡田を演じる永井智雄はヒモなんだかゲイなんだかわからないやわい感じが独特で、普段は人格者的な役が多い永井智雄の演技力の幅広さを見せつける出来栄えでしたし、宮口精二の正義漢溢れるアカの在日役は現在的にはたぶん差別的だと炎上してしまいそうなセリフ回しが巧いなあと思わせました。高橋とよ・賀原夏子・菅井きんの三人組はいうまでもありませんけど、米兵相手の置屋をやる三好栄子のババアメイクアップもこれまた見事でしたね。
それに比べると人斬りジョー役の仲代達矢は熱演していたと思うものの肩に力が入った堅さが目立ち、ジョーという人物が表面的な悪党にしか見えないところが残念でした。手籠めにされた有馬稲子がそのまま情婦になってしまうのですから悪党なりの魅力がなければストーリーが成り立たないにも関わらず、影があるとか破滅的な狂気とか徹底的な傲慢さとか退廃的な美とかいった有馬稲子を惹きつける要素が感じられず、ただ単に威張っているだけのように見てしまっていたように思われます。なぜ仲代達矢が有馬稲子のことを好きなのか、有馬稲子もなんで強姦した相手と電車で仲睦まじく話をするのかなどが今ひとつピンと来ないのが本作の欠点ではないでしょうか。
それは渡辺文雄にも言えることで、道を尋ねてリヤカーから落ちた本を拾ってもらった程度の相手を好きになるというのが観客に伝わらず、連れ込み宿で有馬稲子に迫ろうとしたりするのでやっぱり欲情だけなのかと思わせてしまうところもキャラクターの彫り込み方が不足していたように思います。ここらへんは原作のせいなのか松山善三の脚本の弱さなのかわかりませんが、佐野浅夫や富田仲次郎演じる手下たちがなぜ仲代達矢に反発もせずいつも従っているだけなのかも含めて全体的に無理のある設定になっていました。
それで言えば強姦された有馬稲子が仲代達矢に「結婚して」と頼みに来るのも思わず椅子から転げ落ちそうになるくらいの反応ですし、仲代達矢の取り巻きを見ればすぐに集団暴行が狂言だったとわかりそうなところなのに日傘を見てやっと気づくのもあまりに鈍感過ぎるような気がします。ラストも仲代達矢と一緒にトラックに飛び込んで自死するのかと思いきや、ジョーだけを突き飛ばして逃げてしまうとなると復讐のための殺人を正当化するような展開になりますので、やっぱり全体構成に無理があったのかもしれません。
小林正樹の演出はフィックスの画面できちんとしたカットでつないでいくところに安定感があり、2時間近い作品を時間を感じさせずに一気見させる力量は十分に発揮していました。特に音響効果の使い方がすばらしく、上空から突如飛行機の爆音が響いたり、セミの鳴き声が唐突にインサートされて雰囲気を壊したりというショック的なサウンド演出が冴えていました。しかしながら二人のキャラクターを画面に収める際に横からのバストショットで捉えることが多く、そうするとどうしても片方の表情が隠れてよく見えないというケースが散見されました。つまり俳優の動かし方に問題があるわけで、フィックスで行くなら二人に位置関係を円形に移動させれば必然的に二人の表情を順番に画面に映せるはずです。そのような細かな演出が不足していたのも本作の弱点のひとつでした。
でもレタリングが特徴的なクレジットタイトルはカッコよかったですし、ジャズを前面に押し出した木下忠司の音楽もなかなかクールな出来でした。キャメラマンは小津安二郎とコンビを組んでいた厚田雄春で、撮影助手を『砂の器』や『八つ墓村』を撮ることになる川又昂がやっていました。俳優陣が混成部隊だった一方で、スタッフは松竹大附jな撮影所の精鋭部隊。それが月光荘のリアルさを創り上げていたんでしょうし、ブルドーザーになぎ壊されるアパートの映像の迫力はスタッフたちの実力が発揮された賜物だったことは間違いありません。日本映画の黄金期はこうした力量のある撮影現場が支えていたんだなというのがよくわかる作品でもありました。(T050526)

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