女相続人(1949年)

舞台劇の映画化でオリヴィア・デ・ハヴィランドがオスカーを獲得しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ウィリアム・ワイラー監督の『女相続人』です。ヘンリー・ジェームズ原作を元にしたブロードウェイの舞台を見たオリヴィア・デ・ハヴィランドが映画化を熱望し、ウィリアム・ワイラー監督によってパラマウントが製作することになりました。1949年度のアカデミー賞では作品賞・監督賞をはじめ8部門でノミネートされて、4部門で受賞。中でもオリヴィア・デ・ハヴィランドは1946年の『遥かなる我が子』に続いてふたつめのオスカーをゲットしました。日本で公開された1950年のキネマ旬報ベストテン外国映画部門では第10位に選出されています。

【ご覧になる前に】モンゴメリー・クリフトは本作が映画出演三作目でした

ニューヨークのワシントン・スクエア公園を臨む邸宅に一着のドレスが届けられました。診療所を経営するスローパー博士の一人娘キャサリンが従妹の婚約パーティに出かけるための衣裳で、しばらくヅローパー邸に滞在することになった叔母ラヴィニアは博士から頼まれてキャサリンにパーティでの振る舞いを指南します。刺繍絵画が得意なキャサリンは引っ込み思案なため、叔母が連れてきた若者はキャサリンとダンスを終えると飲み物を取りに行くふりをして姿を消してしまいます。意気消沈しているキャサリンに声をかけてきた美男はヨーロッパから帰ってきたというモリスでしたが…。

アメリカからイギリスに渡って活躍した作家ヘンリー・ジェームズが1880年に発表した「ワシントン・スクエア」という小説を原作にした舞台劇がブロードウェイで初演されたのは1947年9月のこと。410回公演のロングランとなった舞台を観劇したオリヴィア・デ・ハヴィランドは、主人公キャサリンを演じることを熱望します。オリヴィアから映画化と監督を依頼されたウィリアム・ワイラーがパラマウントピクチャーズに働きかけた結果、戯曲を書いたルースとオーガスタのゲーツ夫妻から25万ドルで映画化権を獲得して、ゲーツ夫妻が映画シナリオを執筆することになりました。

ドイツ中部のミュールハウゼンで生まれたウィリアム・ワイラーは、母方の遠縁にあたるユニバーサルスタジオ社長カール・レムリを頼りにハリウッドへ渡り映画界に入りました。雑用係から始まって宣伝や小道具、配役などをこなして助監督となったワイラーは1925年に短編西部劇で監督デビューを果たします。1930年代にユニバーサルを代表する監督になるとサミュエル・ゴールドウインのプロダクションに移籍して『孔雀夫人』『嵐が丘』などの作品を発表。ちなみにサミュエル・ゴールドウィンはMGMの「G」にあたるプロデューサーですがMGM発足前に会社を追われていて、メジャーに属さない独立製作会社を運営していたのでした。

1942年に『ミニヴァー夫人』でアカデミー賞作品賞と監督賞を獲得したワイラーは陸軍航空隊に入隊して記録映画の製作に従事。撮影中の爆風で右耳の聴力を失いますが、戦争終結後の1946年に復員兵を主人公にした社会派ドラマ『我等の生涯の最良の年』を発表して再び作品賞・監督賞に輝きます。オスカーを二度受賞したことでハリウッドでの発言力も高まっていたのではないかと思われ、製作・配給したパラマウントピクチャーズからワイラーは監督とともにプロデューサーを任されています。

主人公キャサリンはもちろんオリヴィア・デ・ハヴィランドで、本作の前年に『落ちた偶像』で執事役をやったラルフ・リチャードソンはオリヴィアと十四歳しか違わないにも関わらず父親役を演じます。モリス役には多くの活劇映画でオリヴィアと共演していたエロール・フリンが候補にあがっていましたが、薬物依存や少女との姦淫問題を起して人気が凋落していたためか、モンゴメリー・クリフトが選ばれました。モンティはブロードウェイの人気俳優でハリウッドからの誘いを断り続けていて、1948年に『赤い河』と『山河遥かなり』に出演したばかり。『山河遥かなり』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたモンティは本作が映画出演三作目で、1949年度の助演男優賞にノミネートされたのはラルフ・リチャードソンのほうでした。

ウィリアム・ワイラーとコンビを組んで画面の隅々までピントが合ったパンフォーカス方式(英語では「デイープ・フォーカス」というらしいです)を確立したキャメラマンはグレッグ・トーランド。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』もトーランドの仕事でしたが、ワイラーと組んだのは『我等の生涯の最良の年』が最後となりました。というのはトーランドが1948年に冠状動脈血栓症のため亡くなってしまったためで、ワイラーが本作の撮影を任せたのはレオ・トーヴァー。ワイラーと同じ1902年生まれの同世代だったようですが、ワイラー作品でキャメラを回したのは本作のみのようです。

音楽のアーロン・コープランドも本作でアカデミー賞の劇・喜劇音楽賞を獲得していますが、実はコープランドが作曲した音楽はワイラーによってボツにされていたという話もあるそうです。コープランドの曲があまりに簡潔過ぎたので、ワイラーは『我等の生涯の最良の年』でオスカーを受賞したヒューゴ・フリードホーファーに書き直しを依頼してオーケストレーションもやり直しさせたんだとか。コープランド本人がニューヨークタイムズ紙にオープニングクレジットの曲は自分のものではないという手紙を書いているそうで、まあどこまでが誰の仕事なのかという疑惑は映画業界では当たり前に起こる話のようです。

【ご覧になった後で】娘・父・恋人の関係がサスペンスを生む心理劇でした

いかがでしたか?本作は「内気で不美人な娘が財産目当ての美男の誘惑に傷つき、復讐するお話」という一文で端的にまとめられるほど簡潔なプロットで構成されていますが、さすがにウィリアム・ワイラーは主要登場人物である娘と父親と娘の恋人の三人の関係をサスペンスフルに再構築していて、1時間50分が短く感じられるほどの緊迫感のある心理劇に仕上げていました。愛情に満ち溢れた裕福な家庭が最後には離散状態になって孤独な女性が残るという残酷なドラマの中にそれぞれのキャラクターの内面が浮き彫りにされていくのは、ウィリアム・ワイラーの手腕によるものだといえるでしょう。

まず見事だったのはオリヴィア・デ・ハヴィランドとラルフ・リチャードソンの親子関係の変化。父親は内気で話し下手の娘になんとか良い伴侶を見つけてやろうと夫を亡くしたばかりの妹ラヴィニア(ミリアム・ホプキンスが好演!)を同居させ、娘の指南役に指名します。そこには娘を想う親心が感じられる一方で、先立たれた妻と比べて見劣りする娘への苛立ちも隠せません。ドレスを着た娘に叔母が「母親と同じでチェリーレッドが似合うわね」と褒めると、父親は「お前と違って母親は麗しかった」とドレスではなく中身を批判します。その瞬間ほんのちょっと表情を曇らせるオリヴィアの演技が細やかな巧さを見せていて、映画の序盤で早くも緊張の気配がしてきます。

モンゴメリー・クリフト演じるモリスを財産目当てだと決めつける父親が、その理由を「お前には刺繍以外に何の取り柄もないからだ」と告げる場面。椅子に座り込んでしまうオリヴィアを上から下に仰角で捉えたショットはいかにも父親が娘を卑下する見下ろし方のようでした。しかし父親の威厳は実は冷たさゆえのことであり死んだ妻と比較して見下されていることを知った娘は、肺病で弱っていく父に対して立場を逆転させていきます。椅子にもたれかかったラルフ・リチャードソンを立ちあがってかがみながら見下ろすのは今度はオリヴィアになり、父娘の関係が完全に裏返しになったことをキャメラアングルだけで表現する手腕は見事でした。

娘に言い寄るモリスは登場の仕方がすでに悪役として演出されていました。つまりパーティでダンスの相手に逃げられた娘の前に初めて現れるショットが真っ黒な後ろ姿だからです。画面の半分が黒くなったところでオリヴィアが顔を上げるとモンゴメリー・クリフトのバストショットにカットして切り替わります。ここが観客を惑わせるところで、悪役っぽく扱われていた人物がいかにも誠実かつ正直そうなモンティだとわかると観客は「おや、この男はいい奴なんじゃないか」とモンティの美貌ゆえ判断を鈍らせるのです。モリスにモンティを配したところがウィリアム・ワイラーの妙手で、この後もモリスの言動やふるまいはいかにもスローパー家の財産狙いだと思われるのにモンティの外見に「こいつは本気でキャサリンのことを好きなのかもしれないぞ」と騙されてしまうのです。観客をキャサリンと同じ気持ちにさせてしまい、信じて良いのか悪いのかを断定できないサスペンスが映画の中盤まで持続するのもまた見事だったといえるでしょう。

脚本を書いたゲーツ夫妻は、モンゴメリー・クリフトの誠実そうな雰囲気をうまく活用したいというパラマウント側の要望に応えて、原作や舞台劇の設定よりもモリスを悪役っぽく見えないような描いたそうです。確かにスローパー家の夕食に招待されたモリスが「自分は貧しい」とか「遺産はヨーロッパで使ってしまった」とか「財産目当てのように見えますか」とか自ら語る姿は裏表のない正直な態度のように見えました。一方で父親がモリスの魂胆をいち早く見抜いてしまうところはやや性急な感じがしなくもなかったのですが、翌朝モリスの姉を呼び出してあれこれと聞き出して自分の判断が誤っていないと確信するところは、もしかしたら姉の身なりというか品性みたいなものを見定めしていたのかもしれません。モリスは高級そうな服を着て偽装していても姉は普段通りの恰好だったでしょうし、当時のニューヨークであればイギリス仕込みの階級社会的な判断が加わっていたのではないでしょうか。

そして雨の夜の駆け落ちの場面、ヨーロッパから帰ってくる父娘をラヴィニアと一緒に待っているモリスが我が家のようにシェリー酒を飲んで葉巻をカットする所作はモリスの下賤さを表現していて、やっぱりこいつは悪者だなと思わされます。しかし裏口の馬小屋から現れてキャサリンと抱擁して明日駆け落ちしようと誘うモリスを見ると、モリスというキャラクターよりもモンゴメリー・クリフト本人の在り様が観客に訴えかけてきて、またもや「本気かも?」と気持ちが揺らいできてしまいます。しかしキャサリンから父親に置手紙も書かずに出奔して相続権も放棄するつもりだと聞き、荷造りのために一旦キャサリンを見送るとほんの少し怪訝な表情を浮かべるので、ここでやっと観客も「やっぱり悪人だったんだな」と気づく仕掛けになっていました。このモンティのほんの少しだけ表情を変える演技が凄くて、大袈裟なジェスチャーなどなくても登場人物の心情は表現できるんだなと微細な演技を捉えることができる映像の力を感じさせるショットでした。

このほかにも娘・父・恋人の三人の心理劇にサスペンスをもたらす演出が施されていて、例えば鏡の使い方。序盤ではドレスを取りに出てくるキャサリンのウキウキした姿を映し出したのに対して、中盤で父への反抗心が高まると鏡には父を軽蔑の眼差しで睨みつける鬼のような顔が映ります。また邸宅の階段も効果的に使われていて、駆け落ちが失敗に終わって三階の部屋に戻るために重い荷物を両手に持って階段を上るオリヴィアを正面からトラックバックで捉え、踊り場でカットが切り替わってオリヴィアの背中から向こうに暗く三階の部屋が浮かび上がるショットは、財産目当てだったことが決定した絶望が痛いほど伝わってきました。

この絶望の階段ショットは映画のラストで反復されるわけで、ドアを叩き続けるモリスを無視してランプを持ちながらしっかり前を向いて階段を上がるキャサリンはランプの灯りに照らされていることもあって全身がクリアに映し出されます。その表情には復讐を成し遂げた達成感と二度と恋愛をすることのない今後の人生への絶望の両方が宿っていて、本作をよりドラマチックに締めくくるショットになっていました。

ちなみに駆け落ち失敗の階段ショットの撮影では、ウィリアム・ワイラーはオリヴィア・デ・ハヴィランドに本をギュウ詰めにした鞄を持たせて階段を60回も繰り返して上らせたんだそうです。あまりに疲れ切ったオリヴィアが思わず手すりにヨロっともたれかかったテイクでやっとOKが出たんだとか。「ナインティー・テイク・ワイラー」とあだ名されていたそうですから、60回で済んで良かったのかもしれません。(V050326)

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