ロシュフォールの恋人たち(1967年)

ドゥミとルグランのコンビによるエスプリあふれるフレンチミュージカルです

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』です。『シェルブールの雨傘』に続き四年ぶりにジャック・ドゥミ監督が音楽家ミシェル・ルグランとコンビを組んで作ったフレンチミュージカルで、港町ロシュフォールを舞台にエスプリの利いたさまざまな恋愛ストーリーが軽快に語られていきます。主演はカトリーヌ・ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックの姉妹。姉のフランソワーズは本作がフランスで公開された三ヶ月後の1967年6月にニース空港に向かう運転中の事故で二十五歳で亡くなりました。

【ご覧になる前に】ロシュフォール中央広場の町を塗り替えて撮影されました

運搬橋を渡ってロシュフォールの町にやってきたのはエチエンヌとビルの二人組。彼らはダンスや曲乗りを出し物にしてフランス各地を巡業していて、日曜に開かれるロシュフォールの海祭りに参加するのです。中央広場に面したアパルトマンの一室ではデルフィーヌとソランジュの姉妹が子供たちを相手にバレエのレッスンを行っています。姉妹の母親イボンヌは広場でカフェを経営していて、画家で水兵のマクサンスが理想の女性を絵に描いてみたと話しています。デルフィーヌは画廊で恋人に別れを告げ、ソランジュは新しくできた楽器店のダム氏から旧友の作曲家を紹介してもらうことになったのですが…。

ジャック・ドゥミは1961年に『ローラ』を作り、三十歳の若さで監督デビューを果たしました。生まれ故郷ナントを舞台にしたミュージカルで、このときすでにジャック・ドゥミはミシェル・ルグランを音楽に起用していまして、このコンビは1963年に『シェルブールの雨傘』を大ヒットさせることになります。すべてのセリフを歌にしてしまった画期的なモダンオペラ作品は、カラフルな映像美も備えていて、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。その評価を得て当時のフランス映画としては巨額の製作費を投じて作られたのが本作で、フランス西部のナントもドーバー海峡のシェルブールも港町でしたので、ジャック・ドゥミにとってはスペインに近いロシュフォールを三番目の港町として映画の舞台に選んだのでした。

ミシェル・ルグランは1932年パリ生まれなのでジャック・ドゥミよりひとつ年下にあたります。パリ国立高等音楽院で学びジャズピアニストになったルグランは、1952年にディジー・ガレスピーがパリを訪れた際に伴奏アレンジをつとめるなど早くから音楽家としての才能を開花させ、1958年にはアメリカに招かれてマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンのために編曲・指揮を行っています。映画音楽ではゴダールの『女は女である』を皮切りに『5時から7時までのクレオ』などヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに起用されていました。1968年にはハリウッドに進出し、スティーヴ・マックイーン主演の『華麗なる賭け』の音楽を担当して「風のささやき」でアカデミー賞主題歌賞を受賞。フランシス・レイとともにフランス映画界を代表する作曲家として2019年に八十六歳で亡くなるまで精力的に活躍を続けました。

ジャック・ドゥミが本作の舞台を決める際には、アヴィニヨン、イエール、トゥールーズなど複数の町が候補にあがっていたそうですが、その中でロシュフォールが選ばれたのは広い中央広場があったからでした。しかし衣裳を含めて映画全体をカラフルにしようとしたために、中央広場に面した建物のファサードは4万平方メートルに渡ってあらたに塗り直されたそうです。プロダクションデザイナーはバーナード・エヴァンで、『恋人たち』や『いとこ同志』などヌーヴェル・ヴァーグ作品からスタートして『シェルブールの雨傘』でもデザイン設計を担当した人です。

主演のカトリーヌ・ドヌーヴは『シェルブールの雨傘』に続いて可憐な娘役を演じていますが、本作と同じ年に出演したルイス・ブニュエルの『昼顔』で一気に女優として大きなステップを踏むことになります。それに対して姉のフランソワーズ・ドルレアックは1964年に『リオの男』でジャン・ポール・ベルモンドの相手役をつとめたほかフランソワ・トリュフォー監督の『柔らかい肌』で中年男を不倫で破滅させる美女を演じていましたので、女優としてのキャリアは本作時点では姉のほうが一歩先を行っていました。交通事故で亡くなったのは本当に残念なことです。

この姉妹に加えて本作をゴージャスに見せているのはミュージカルのトップスターが顔を揃えているからで、アメリカの作曲家役としてジーン・ケリーが客演しています。本作撮影時には五十四歳なのですが髪もスタイルも往年の若い頃そのままで、相変わらず達者なタップダンスも見せてくれます。また『ウエスト・サイド物語』のベルナルド役でアカデミー賞助演男優賞を獲得したジョージ・チャキリスがひときわキレのいいダンスで本作に厚みを持たせていますし、戦前から映画で活躍し1960年代には歌手としての活動を主にしていたダニエル・ダリューが若々しい母親役で色を添えています。

【ご覧になった後で】フレンチミュージカルここにあり!というべき傑作です

いかがでしたか?なんといってもミシェル・ルグランのミュージカル・スコアが最高の出来栄えで、どの曲ひとつとっても無駄がないというかお洒落なセンスが一貫しているというか、とにかく本作の音楽はミュージカル映画史においても格別に最上ランクでした。まずシャラント川にかかる運搬橋にトラックが乗り込み、ジョージ・チャキリス以下の男女数人でダンスを始めるところのベースの音から入るクールさ。映像は縦方向に動く運搬橋をとらえながら俯瞰ショットを交えてロシュフォールの町に前進するイメージで統一されています。

この導入曲はそのまま町の中央広場に到着するところでリフレインされて、いつのまにか踊りに加わる町の人々を含めたモブダンスになるとダイナミックなビッグバンド演奏とコーラスへと発展していきます。そして映画の進行とともにキャラクターごとのモチーフが明確化されてきて、ミシェル・ピコリの「マダーム・ダーム」の旋律や画家ジャック・ペランの世界中を旅して理想の女性を探す歌など、この曲はこの人のもの!というように登場人物を印象付ける名曲が散りばめれらていくのです。そうして最後にはフランソワーズ・ドルレアックとジーン・ケリー、ダニエル・ダリューとピコリの恋愛が成就して、カトリーヌ・ドヌーヴとペランの出会いを予感させてエンディングを迎えるというなんともロマンティックな展開になっていきます。

これらの曲はダニエル・ダリューをのぞいてすべて吹き替えで歌われているのですが、カトリーヌ・ドヌーヴの歌声を吹き替えたアンヌ・ジェルマンは1962年にパリで結成されたア・カペラ・ヴォーカルグループのザ・スウィングル・シンガースの発足メンバーでした。スウィングル・シンガースはミシェル・ルグランの音楽をコーラス面で支えていましたが、『華麗なる賭け』以降ルグランがハリウッドに転ずると、クラシックの名曲をジャズ・ヴォーカルにアレンジして歌う路線で大ヒットを飛ばすことになります。カフェのバイトで最後にはトラックに乗り込むジュディトの吹き替えはスウィングル・シンガースに在籍していたルグランの妹クリスチャンヌ・ルグランがやっていまして、その楽屋落ちなのかミシェル・ピコリがやっている楽器店の棚にはスウィングル・シンガースのレコードジャケットが映っていましたね。

本作の成功要因はルグランの音楽に加えて、ジャック・ドゥミがつくるミュージカルの世界観にありました。その第一はダンスや歌の連続性を重視した長回しの移動ショットを多用すること。MGMミュージカルのように観客視点でステージ上のレビューを映すという撮影手法ではなく、ロシュフォールの町を室内外問わず流れるように動き回るキャメラがワンシーン・ワンショットに近い感じで各キャラクターをとらえていくのです。象徴的なのは序盤で中央広場のダンスをとらえたキャメラがドリー&クレーンで徐々に広場横の建物のほうへ移動していき、アパルトマンの窓から中で行われているバレエレッスンを映すという長いショットでした。このショットはレッスンをしている室内ショットにつなげられていて、室内ショットもそのまま移動速度を変えずにドヌーヴ&ドルレアック姉妹と子供たちをなめるようにして映していきます。

ここで第二のポイントになるのですが、あきらかにこの部屋はセットではなくロシュフォールの町にあるアパルトマンの一室を利用して撮られていますし、ピコリの店もペランの絵が飾られる画廊もたぶん実際に存在している建物の一室を撮影現場にしています。普通ならばそのような部屋の内部には光が回らないので大量の照明で照らさないとクリアな映像は撮れません。しかし本作では中央広場からバレエレッスンへのカッティングをみてわかるように光量が一定に保たれていて、映像の明度が落ちないのです。室内撮影のスチール写真を見ても室内に照明器具が散乱している様子は見られないので、どのようにしてこんな自然な光量を確保できたのかわかりませんが、この一定の明るさが本作の成功を支えていることは間違いありません。

これは全くの推測ですが、たぶん建物の天井をはずして太陽光をそのまま採り入れるようにしたのではないでしょうか。サイレント映画時代のハリウッドでは総ガラス張りのスタジオが設置されていまして、つまりスタジオなんだけど照明は太陽光をそのまま利用できるような作りになっていたんですよね。中央広場に面した建物のファサードをすべて塗り替えたというエピソードからすると、撮影用の部屋だけ天井を全部または一部抜いたとしても大袈裟ではありません。現に広場にあるカフェは天井がすべてガラスになっていて、透けた天井から外光がさんさんと降り注ぐようになっていました。たぶんあのカフェは映画用に設えられたオープンセットなんだと思います。

そしてジャック・ドゥミによる第三のポイントは映画全体の色彩設計です。原色やパステルカラーなどをふんだんに使っていて、そのカラフルさが映画全体のイメージを明るい水彩画みたいにしていました。ドヌーヴ&ドルレアック姉妹もそれぞれテーマカラーがありつつも映画の中で様々な色をアクセントカラーにしています。白いワンピースのAラインの裾だけがピンクやイエローになっていたり、最後はドヌーヴはイエロー、ドルレアックは純白のワンピースを着ていたりという具合ですね。ジーン・ケリーはピンクのポロシャツですし、ダニエル・ダリューはオレンジ、ウェイトレスのパメラ・ハートは青が基調になっていました。

そのような色の使い方は『シェルブールの雨傘』に続いてプロダクション・デザイナーをつとめたバーナード・エヴァンの力量によるものかもしれませんが、その『シェルブール』が全編のセリフをすべて歌にしてしまったのと同様に、この『ロシュフォール』ではすべての動きをダンスに変えてしまうという手法をたいへんうまく使いこなしていました。例えばジーン・ケリーがドルレアックと出会う場面では背景にいるカラフルな衣裳の通行人がなにげなく踊っているのです。クライマックスのお祭りでも群衆の中に手をつないだ人たちが曲線を描きながら走り抜けていきます。本作では常に画面のどこかでダンスしている人の動きが取り入れられていて、映像自体がひとつのリズムを持つように設計されていたんですね。

そんなわけでミシェル・ルグランの音楽があまりに素晴らしいので、ダンスの印象が薄れがちになってしまうのが玉にキズなところです。もちろんジーン・ケリーもいいのですが、さすがにこのフレンチミュージカルにはジーン・ケリーのハリウッドスタイルはちょっと似合わない感じがしてしまいますね。やっぱりダンスはジョージ・チャキリスの独擅場で、あのキレキレのダンスは相方のクローバー・デールというフランス野郎を圧倒していました。

ちなみにキャメラマンはギスラン・クロケという人で、『穴』や『鬼火』でのモノクロームの映像が印象的な一方で、1979年には『テス』でアカデミー賞撮影賞を受賞しています。たぶんフランス映画なのでキャメラマンが照明設計まで監督する立場にあると思いますので、ギスラン・ロケが本作のカラフルで明るい雰囲気づくりに大きく貢献していたのは間違いないでしょう。

というわけで公開時にはミュージカル映画に詳しい野口久光先生も絶賛していたようですし、双葉十三郎先生も「場面の処理がみごとで色彩の美しさも抜群、華麗なムードに酔わされてしまう」というコメントとともにほぼ最高点の85点をつけています。ハリウッドミュージカルとは全く違ったテイストのフランスのエスプリを存分に愉しめる文句なしの傑作ミュージカルでした。(A052123)

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