驟雨(昭和31年)

夫婦のささいな諍いが亀裂へと広がっていく成瀬巳喜男監督絶頂期の一本です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『驟雨』です。「驟雨(しゅうう)」とは「急にどっと降りだして、しばらくすると止んでしまう雨のこと」で、本作では子供のいない結婚四年目の夫婦が日常の諍い事を重ねているうちにそれが亀裂へと広がっていく様子を隣家の夫婦や町内会との人間関係を交えてコミカルかつシニカルに描いています。主役の夫婦は原節子と佐野周二が演じていまして、隣家に越してくる新婚夫婦には小林桂樹と根岸明美、夫婦の姪には香川京子が配されています。

【ご覧になる前に】岸田國士の戯曲数篇を水木洋子がひとつの脚本にしました

東京の世田谷に住む文子と夫の並木は日曜に出かけるかどうかが決まらず、並木はひとりで散歩に出かけてしまいます。そこへ訪ねてきたのは京都へ新婚旅行に出かけたはずの姪のあや子で、あや子は新郎のデリカシーのない言動にたまりかねて、旅行を途中で切り上げて東京に帰って来てしまったのでした。隣の家では新婚の今里夫妻が引っ越してきて荷物を運び込んでいましたが、今里からあいさつにもらったそば券で文子とあや子は食事を注文することにしました。散歩から戻ってきた並木があや子に新郎の気持ちを代弁して聞かせていると、その口ぶりに今度は文子が怒り出してしまいます。そこへ近所に住む重役婦人が訪ねてきて、文子が世話をしている野良犬が主人の靴をくわえていったと文句を言いにきたのですが、文子は謝るばかりで並木は対応しようともしないのでした…。

成瀬巳喜男は前年の昭和30年に『浮雲』でキネマ旬報ベストテン第1位を獲得していますが、その『浮雲』で脚色を担当した水木洋子が本作でも岸田國士の戯曲をシナリオ化しています。とはいっても林芙美子の小説の映画化とは違い、岸田國士が書いた「驟雨」「紙風船」「犬は鎖につなぐべからず」などの数篇の戯曲を水木洋子が本作用に一本のシナリオとしてまとめあげたのでした。水木洋子は昭和27年の『おかあさん』ではじめて成瀬作品で脚本を書いて以来、『あにいもうと』『山の音』『浮雲』でシナリオを提供し、本作の後でも『あらくれ』の脚本を担当しています。

成瀬巳喜男は松竹蒲田からPCLに移籍して、そのまま東宝の監督として作品を発表していましたが、戦中から戦後数年間は俗にいうスランプにおちいっていました。しかし昭和26年に倦怠期の夫婦を扱った林芙美子原作の『めし』を発表して高評価を得てから、女性を描かせたら右に出る者はいないと評されるようになります。昭和27年の『稲妻』以降『妻』『晩菊』『浮雲』と毎年林芙美子の小説の映画化が成功し、本作と同じ昭和31年には幸田文原作の『流れる』を発表して、成瀬巳喜男のキャリアはピークを迎えます。そうした作品群の脚本はほとんどが水木洋子・田中澄江という女性シナリオライターの手によるもので、井手俊郎が共作してからむ場合もありますが、映画で女性を描くにあたってまず女性視点の脚本を採用したことが成瀬作品の絶頂期を形成するベースとなっていたのでした。

女性を描くからには当然女優の配役が重要な要素になるわけで、『めし』で突如同居することになった夫の姪に嫉妬する妻を演じた原節子は、『山の音』でも夫から冷たくされて義父から慈しみを受ける妻を演じて成瀬巳喜男の信頼を獲得していました。成瀬作品は三度目となる原節子は、三作とも子供がいないことになっていますが、本作が一番普通の主婦っぽい設定の妻を演じています。夫役の佐野周二は成瀬作品にははじめての出演となっていて、松竹専属だった佐野周二と松竹から東宝に移った成瀬巳喜男には本作まで接点がありませんでした、佐野周二が昭和28年に松竹を退社してフリーとなったので、成瀬巳喜男もようやく佐野周二を起用することができたんですね。

キャメラマンの玉井正夫は『めし』『山の音』『浮雲』『流れる』という成瀬巳喜男の傑作群ですべてキャメラを回した人で、実は『ゴジラ』の撮影も担当しているんですね。本多猪四郎とは家がお隣同士だったらしく家族ぐるみでの付き合いだったそうです。また音楽の斎藤一郎は新興からはじまって大映の作品に音楽を提供していましたが、どこかの段階でフリーに転じたようで、溝口健二の『西鶴一代女』や小津安二郎の『長屋紳士録』『お茶漬けの味』などをやり、成瀬組には『舞姫』以降から参加しています。『浮雲』でのあの南の島を感じさせた音楽とは打って変わって本作ではピアノの小品のような楽曲が使われています。

【ご覧になった後で】コミカルに笑わせリアルに実感させ最後は泣かせる傑作

いかがでしたか?成瀬巳喜男は小津や溝口や黒澤ほどには人々に記憶されていない監督なのですが、本作を見るとやっぱり日本映画史においてそこに成瀬巳喜男の名前を加えるべきだと確信しないではいられませんね。テーマや題材がどこにでもある夫婦の日常の生活だったりするのでダイナミックさやドラマチックさはほとんどないのですが、当たり前の日常の切り取り方やフォーカスの当て方が絶妙で、誰もが感じたり悩んだりしたことがあるエモーションを実に鮮烈に映像にして見せてくれるところに絶対的なオリジナリティがあります。その意味では『浮雲』が男女関係のもつれをドロドロと描いた物語なので成瀬巳喜男本来の持ち味とはちょっと違う立ち位置にあったのかもしれませんが、この『驟雨』は成瀬的な世界のど真ん中に位置するような成瀬巳喜男にしか作り得ない傑作だといえるのではないでしょうか。

その成瀬的世界の第一歩はセリフや反復や逆転などでコミカルに笑わせる序盤にありました。原節子と佐野周二が日常の会話もすれ違うような倦怠期夫婦であることは明らかなのですが、そこに姪のあや子が加わることで軽喜劇のようなテーストになっていきます。香川京子による新郎への子供っぽい愚痴がいつのまにか原節子による佐野周二への辛辣な愚痴に変化していくシチュエーションが笑わせますし、日本地図がキュウリのようだったはずがいつのまにかナスビに変わったりするセリフが可笑しみを増していました。香川京子の表情が自分たちより叔父叔母のほうが事情が深刻のようだと気づくのを伝えていて、セリフなしでこの夫婦の倦怠度合いを明らかにしてしまうんですよね。また蕎麦屋が二度出前を運んでくるのを見せるカッティングが全く同じショットの反復になっているのもメチャクチャ笑えるところ。小林桂樹がのぞき込む姿勢まで同じなのがリズミカルな喜劇調を強調していました。

ところがこうした喜劇調は日常のリアリズムによって徐々に薄まっていきます。文子が餌を与えている野良犬が引き起こす近所づきあいの煩わしさから始まって、隣家夫婦との映画見物の予定がダメになったり並木の勤務先で依願退職が通告されたりします。ここらへんは水木洋子のプロットづくりが非常に冴えているところで、ほんのちょっとの諍い事が少しずつ軋んでいってやがては大きな亀裂に広がっていく不安感がうまく醸し出されていました。それが白木屋の屋上の場面では並木の旧友夫婦との身なりの違いで如実に映像化されていて、特に並木の靴が二度三度とクローズアップされるのは成瀬巳喜男の靴へのこだわりが現れていました。原節子のヨレたハーフコートも相当にくだびれていましたけどね。

そしてついに串カツ屋兼バーの起業話をきっかけにして、「働く働かせない・田舎に帰る帰らない」の言い争いが並木と文子の間を痛烈に引き裂いていきます。ここは原節子と佐野周二がセリフで撃ち合いをしているような緊迫感があって、ついにこの夫婦が破局を迎える雰囲気まで持っていくのですが、その間に何気なくインサートされていた少女たちの紙風船が急転直下二人の仲を引き戻す重要な小道具になります。この紙風船の使い方も巧いのですが、「もっと強く!」と佐野周二を励ます原節子の声の力強さと二人が一生懸命に天に向って手を上げるのをロングショットでとらえる映像が大いに感動を呼びます。思わず観客もこの夫婦にかつてのような仲睦まじさが戻ることを期待して、もらい泣きしそうな感じになってしまうんですよね。結局哀しいことやイヤなことは突然降ってくるけれどやがては止んでしまい晴れ間が戻るんだという『驟雨』のタイトルそのままのエンディングには本当にグッと来ましたし、本作からはなんともいえない日常の暮らしを生きることの尊厳のようなものが立ち上がってくるのでした。

しかし全編にわたって成瀬巳喜男の映像術というのは特段これだといえるようなスタイルがあるわけではないのです。室内での会話は基本的に順番に切り返しされるだけですし、座った姿勢ならそのフルショットを繰り返して、たまにとなりの部屋からの視点に変えて撮るくらいの変化しかありません。町の商店街を歩くところは斜めからの移動撮影ですし、言ってみればTVでやっている普通のホームドラマとなんら変わるところはありません。でもなぜこんなに笑い、リアリズムを実感してしまい、最後には泣かされてしまうんでしょうか。たぶん半分くらいは水木洋子のシナリオの完成度によるものかもしれませんが、残りの半分は成瀬巳喜男による映画的世界のムードづくりに因っているような気がします。

そのムードづくりとは俳優の演技のさせ方とセリフによるリズムの作り方、衣裳や小道具を含めた美術デザイン全般、音楽による雰囲気づくりなどのファクターで成り立っていると思うのですが、本作ではかなりのスピードでセリフが交わされ、いつのまにかその背後には近所で練習しているかのようなピアノの旋律が流されています。このピアノが実に曲者で、軽快なBGMに聞こえるときもあれば妙にイラつかせる騒音のように感じられる場合もあるんですよね。そして場の雰囲気が悪くなるはずの串カツ屋談義でも犬が殺してしまった鶏の固い肉が絶妙な具合に可笑しみを加えています。このようなゴチャマゼのムードづくりが本作の魅力でもあり、こうしたムードに浸りきれるようなくたびれ方を原節子が演じているのがそのムードの芯を成していたのです。『めし』の原節子はちょっとあからさまに嫉妬心むき出しの感じが強かったのですが、本作ではそうした激しい感情よりも疲れてしまった感を非常に巧く出していたと思います。

そんなムードの中で、重役婦人然とした中北千枝子やひと癖ありそうな会社の同僚役の加東大介やメガネ姿で町内を仕切りたがる文学座の長岡輝子なんかが本当に巧いですよね。小林桂樹と根岸明美の女性上位の現代型夫婦も、佐野周二の封建的旦那像の対極で面白かったですし。そして背景となる長屋や商店街も非常に上手に建てられていて、それらのセットを作ったのは美術の中古智。この人も成瀬組の重要なスタッフの一人でした。成瀬巳喜男個人がどうというよりも、こうしたスタッフやキャストの力を最大限に引き出してひとつの作品のムードを作ってしまう総合プロデューサー的な才覚こそが、成瀬巳喜男の作品を本質的に形作っているのかもしれません。(U051823)

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