日本映画

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夜の河(昭和31年)

京都は水質の良い鴨川に恵まれ染め色が鮮やかな京染めが産業として発展しましたが、本作は京染の老舗の看板を継いだ分家の娘を山本富士子が演じて、上原謙の大阪大学教授と不倫関係に陥る男女の恋愛を描いています。
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大忠臣蔵(昭和32年)

本作はGHQ占領終了後の忠臣蔵ブームの真っ最中に作られた一篇で、歌舞伎の興行主でもある松竹ですから一丁歌舞伎ものでやろうじゃないかということになったらしく、映画にしては珍しく「仮名手本忠臣蔵」を原作にした忠臣蔵ものになっています。
昭和二十年代

プーサン(昭和28年)

原案となったのは漫画家の横山泰三が新聞に連載していた4コマ漫画の「プーサン」と「ミス・ガンコ」。4コマ漫画的なセリフやオチが様々なところに散りばめられつつ、昭和28年の日本の社会を冷静に記録するような風刺劇になっています。
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愛のお荷物(昭和30年)

本作の主人公は厚生大臣という設定で、当時の人口増加傾向に歯止めをかけようと人口軽減政策を打ち出すのですが、一方で四十八歳になる自身の妻が妊娠してしまってどうしようかというシチュエーションコメディになっています。
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東京五人男(昭和20年)

昭和20年8月の敗戦によって焦土となった東京では料などの物資はすべて政府の統制下におかれた配給に頼っていました。本作はその配給物資を横流しする土地所有者や資本家たちの悪事を徴用から戻って来た五人の男たちが暴く痛快喜劇になっています。
昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
昭和二十年以前

兄いもうと(昭和11年)

日本映画史においては昭和28年に成瀬巳喜男監督が京マチ子主演で撮った大映版の『あにいもうと』が有名ですが、実は最初に映画化したのは東宝になる前のPCL映画製作所においてで、監督はPCLの主力だった木村荘十二がつとめました。
昭和二十年以前

綴方教室(昭和13年)

生活綴方教育がさかんに行われていた当時、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
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あなた買います(昭和31年)

昭和31年当時のプロ野球界はまだ新人選手を自由競争で入団させていた時代でして、人気選手のスカウト合戦を描いた小野稔の小説を松竹が映画化したのがこの作品で、プロ野球界の裏話的ストーリーが見どころになっています。
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カルメン純情す(昭和27年)

昭和26年に公開された『カルメン故郷に帰る』は日本初のオールカラー映画でしたが、本作は高峰秀子のリリー・カルメンと小林トシ子の朱美の二人の後日譚になっていて、カルメンが前衛芸術家の男性に恋をするというストーリーになっています。
昭和二十年代

愛妻物語(昭和26年)

新藤兼人の初監督作品で、実質的パートナーだった乙羽信子を主演に起用して、宇野重吉演じるシナリオライターを妻が支えるという夫婦の愛情物語になっています。昭和26年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選出されたことで、新藤兼人は脚本家兼映画監督として活躍することになるのでした。
昭和二十年代

エノケンのホームラン王(昭和23年)

昭和21年には8チームによるリーグ戦を再開したプロ野球の中でも一番の人気球団はジャイアンツで、本作はジャイアンツフリークの榎本健一がジャイアンツに入団して選手たちの信頼を獲得していくという野球ファンタジーになっています。
昭和二十年代

民衆の敵(昭和21年)

終戦の翌年に今井正監督が撮った東宝作品です。戦後初の衆議院議員選挙が行われたのは昭和20年4月10日のことでしたが、本作はその2週間後に封切られていて、戦時中に中小工場の軍需工場化と増産を進めた財閥を痛烈に批判する内容になっています。
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忍びの者(昭和37年)

織田信長が伊賀に攻め込んだ天正伊賀の乱を舞台にした村山知義による原作を市川雷蔵主演で映画化した「忍びの者」シリーズの第一作で、監督は東宝争議で組合側の中心にいて東宝を退職した山本薩夫がつとめています。
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錆びたナイフ(昭和33年)

石原裕次郎は昭和32年暮れに公開された『嵐を呼ぶ男』でアクションスターとしてのイメージを確立しましたが、本作は兄の石原慎太郎が裕次郎を主人公にすることを前提に原作を書き自ら脚本化して裕次郎が主演しました。
昭和二十年以前

大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
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めし(昭和26年)

原作は林芙美子が朝日新聞に掲載された小説ですが、連載中に林芙美子が急死してしまい97回目の掲載が最後となりました。未完の小説を脚色したのが井手俊郎と田中澄江の二人で、女性を描かせたら並ぶ者はいないといわれた成瀬巳喜男が監督をしています。
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自由学校(昭和26年)

昭和25年に朝日新聞に連載された獅子文六の小説は敗戦後の東京での暮らしを戯画化した風刺小説で、松竹と大映が競作して翌年5月に同時公開されました。本作は松竹バージョンのほうで、主人公夫婦を佐分利信と高峰三枝子が演じています。
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網走番外地(昭和40年)

伊藤一の原作は受刑囚とその妻との恋愛ロマンスもので昭和34年に日活で映画化されていますが、本作は網走刑務所という設定と題名だけを借りた全く別内容で製作されて、併映の『関東流れ者』を上回る支持を集めることになりました。
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乱れる(昭和39年)

成瀬巳喜男は松竹からPCLに移籍した以降はそのままほとんどの作品を東宝で作り続けましたが、本作はそのキャリアの終盤の頃の一本です。主演は成瀬作品で多く主演をつとめた高峰秀子。相手役を若大将・加山雄三が演じています。
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