日本映画

大忠臣蔵(昭和32年)

本作はGHQ占領終了後の忠臣蔵ブームの真っ最中に作られた一篇で、歌舞伎の興行主でもある松竹ですから一丁歌舞伎ものでやろうじゃないかということになったらしく、映画にしては珍しく「仮名手本忠臣蔵」を原作にした忠臣蔵ものになっています。
1950年代

渚にて(1959年)

イギリスの小説家ネヴィル・シュートが1957年に発表した小説「On the Beach」をもとにして、プロデューサー出身のスタンリー・クレイマーが自ら製作・監督をつとめて、オーストラリアのメルボルンでロケーション撮影をして映画化しました。
1950年代

シェーン(1953年)

ジャック・シェーファーの原作の評判を大学生の息子から聞いていたジョージ・スティーヴンスは、自ら製作・監督を担当してワイオミングの美しい山々を背景にした抒情的西部劇に仕立て上げ、西部劇としては古典中の古典ともいえる名作となりました。
外国映画

007ダイヤモンドは永遠に(1971年)

『女王陛下の007』でボンド役を演じたジョージ・レーゼンビーは次作には出演しないと明言していたため、ハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリの製作コンビは125万ドルという破格のギャラを支払ってショーン・コネリーを復帰させることになりました。
昭和二十年代

プーサン(昭和28年)

原案となったのは漫画家の横山泰三が新聞に連載していた4コマ漫画の「プーサン」と「ミス・ガンコ」。4コマ漫画的なセリフやオチが様々なところに散りばめられつつ、昭和28年の日本の社会を冷静に記録するような風刺劇になっています。
日本映画

愛のお荷物(昭和30年)

本作の主人公は厚生大臣という設定で、当時の人口増加傾向に歯止めをかけようと人口軽減政策を打ち出すのですが、一方で四十八歳になる自身の妻が妊娠してしまってどうしようかというシチュエーションコメディになっています。
日本映画

東京五人男(昭和20年)

昭和20年8月の敗戦によって焦土となった東京では料などの物資はすべて政府の統制下におかれた配給に頼っていました。本作はその配給物資を横流しする土地所有者や資本家たちの悪事を徴用から戻って来た五人の男たちが暴く痛快喜劇になっています。
昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
昭和二十年以前

兄いもうと(昭和11年)

日本映画史においては昭和28年に成瀬巳喜男監督が京マチ子主演で撮った大映版の『あにいもうと』が有名ですが、実は最初に映画化したのは東宝になる前のPCL映画製作所においてで、監督はPCLの主力だった木村荘十二がつとめました。
昭和二十年以前

綴方教室(昭和13年)

生活綴方教育がさかんに行われていた当時、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
1950年代

エデンの東(1955年)

ジェームズ・ディーンは『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』の三本の作品で主演をつとめましたが、1954年に撮影された本作が初主演作品でした。孤独で傷つきやすい青年像をヴィヴィッドに表現した演技はハリウッドにセンセーションを巻き起こすほどでした。
日本映画

あなた買います(昭和31年)

昭和31年当時のプロ野球界はまだ新人選手を自由競争で入団させていた時代でして、人気選手のスカウト合戦を描いた小野稔の小説を松竹が映画化したのがこの作品で、プロ野球界の裏話的ストーリーが見どころになっています。
1950年代

捜索者(1956年)

主演のジョン・ウェインがヒーロー然としておらずジョン・フォードの西部劇としては異色の作りになっていて、後年になってジャン・リュック・ゴダールをはじめとした映画監督たちに再評価されて「最も偉大な西部劇映画」と言われるほどになった作品です。
日本映画

カルメン純情す(昭和27年)

昭和26年に公開された『カルメン故郷に帰る』は日本初のオールカラー映画でしたが、本作は高峰秀子のリリー・カルメンと小林トシ子の朱美の二人の後日譚になっていて、カルメンが前衛芸術家の男性に恋をするというストーリーになっています。
1950年代

ショウ・ボート(1951年)

ミュージカルを得意とするMGMが1951年にリメイクした作品で、ターザン映画で使用されていたMGMスタジオ内の巨大な池をミシシッピ川に見立て、旅公演を行うコットンブロッサム号が鮮やかなテクニカラーで描かれています。
日本映画

愛妻物語(昭和26年)

新藤兼人の初監督作品で、実質的パートナーだった乙羽信子を主演に起用して、宇野重吉演じるシナリオライターを妻が支えるという夫婦の愛情物語になっています。昭和26年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選出されたことで、新藤兼人は脚本家兼映画監督として活躍することになるのでした。
1940年以前

ランジュ氏の犯罪(1936年)

ジャン・ルノワールは1936年に抒情的な傑作短編『ピクニック』を撮っていますが、本作はその直前に作られた犯罪映画で、ルノワール自身が『ゲームの規則』などと並ぶ傑作だと自負する作品だったようです。
昭和二十年代

エノケンのホームラン王(昭和23年)

昭和21年には8チームによるリーグ戦を再開したプロ野球の中でも一番の人気球団はジャイアンツで、本作はジャイアンツフリークの榎本健一がジャイアンツに入団して選手たちの信頼を獲得していくという野球ファンタジーになっています。
昭和二十年代

民衆の敵(昭和21年)

終戦の翌年に今井正監督が撮った東宝作品です。戦後初の衆議院議員選挙が行われたのは昭和20年4月10日のことでしたが、本作はその2週間後に封切られていて、戦時中に中小工場の軍需工場化と増産を進めた財閥を痛烈に批判する内容になっています。
外国映画

死霊の盆踊り(1965年)

深夜の墓場というホラー映画の設定ながら実際には踊りがメインになっていて、その点ではヘンテコな邦題であるものの作品のポジショニングを適切に言い当てた名タイトルといえるかもしれません。
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