1950年代

戦争と平和(1956年)

トルストイの「戦争と平和」は当時のソ連では1965年から1967年にかけて4部作として製作されましたが、本作はその10年前に作られたアメリカとイタリアの合作版で、このキング・ヴィダー監督版は3時間30分なので、ソ連版の半分の尺しかありません。
日本映画

網走番外地(昭和40年)

伊藤一の原作は受刑囚とその妻との恋愛ロマンスもので昭和34年に日活で映画化されていますが、本作は網走刑務所という設定と題名だけを借りた全く別内容で製作されて、併映の『関東流れ者』を上回る支持を集めることになりました。
日本映画

乱れる(昭和39年)

成瀬巳喜男は松竹からPCLに移籍した以降はそのままほとんどの作品を東宝で作り続けましたが、本作はそのキャリアの終盤の頃の一本です。主演は成瀬作品で多く主演をつとめた高峰秀子。相手役を若大将・加山雄三が演じています。
外国映画

ホット・ロック(1972年)

「サハラの宝石」というダイアモンドを盗み出すのですがダイアモンドそのものをなかなか手に入れられないという犯罪喜劇で、ロバート・レッドフォードと仲間三人が互いの得意分野を活かした盗みのプロとしてチームプレーを働く展開になっています。
日本映画

ガンマー第3号 宇宙大作戦(昭和43年)

東映は昭和41年に千葉真一主演で『海底大戦争』を日米合作で作っていますが、そのときにタッグを組んだラム・フィルムとともに再びSF作品として製作されたのが本作で、英語タイトルは「The Green Slime」となっています。
日本映画

夕やけ雲(昭和31年)

本作は昭和30年11月公開のメロドラマ『野菊の如き君なりき』から5ヶ月後に発表された青春もので、前作で起用された田中晋二が魚屋の長男洋一を演じています。脚本は木下恵介の実妹の楠田芳子で、妹の脚本を木下恵介が監督した唯一の作品でもあります。
日本映画

黒い十人の女(昭和36年)

大映の永田雅一から『おとうと』を作ったご褒美として好きな映画を撮っていいと言われた市川崑は、映画業界のライバルだったTV局のプロデューサーを妻と九人の浮気相手が共謀して殺そうとするブラックなドラマを和田夏十の脚本で作ることにしました。
日本映画

濡れ髪牡丹(昭和36年)

「濡れ髪シリーズ」は市川雷蔵が身分や腕前を隠しながら修行したり旅に出たりというコメディタッチの時代劇連作で、この『濡れ髪牡丹』では雷蔵がなんでもこなす万能な股旅姿の侍に扮していて、町一番の大親分京マチ子の婿候補になるという設定です。
昭和二十年以前

エノケンの近藤勇(昭和10年)

浅草出身のコメディアン榎本健一はエノケン劇団を松竹座で立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。ピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。
1940年代

ピクニック(1946年)

1936年に撮影されたフィルムは第二次大戦勃発によって未完のままとなっていましたが、戦後になってプロデューサーのピエール・ブロンベルジェがアメリカに渡っていたジャン・ルノワールの承認をとって40分の中編として再編集しました。
外国映画

黄金の七人(1965年)

スイス銀行の電子制御された金庫から7トンの金塊を盗み出す教授と6人の盗みの専門家たちに超グラマラスな謎の美女がからむ痛快でゴキゲンな犯罪喜劇で、1972年にスタートした「水曜ロードショー」の記念すべき初回放映作品でもあります。
1950年代

尼僧物語(1959年)

フレッド・ジンネマンは原作の映画化権を手に入れたものの、内容が地味だったためになかなか製作会社を見つけることができませんでした。ところがオードリー・ヘプバーンがシスター・ルークを演じたいという意向を示した途端にワーナーブラザーズによる出資が決まりました。
昭和二十年代

最後に笑う男(昭和24年)

サーカスの空中ブランコを題材としている本作の主演は滝沢修で、それよりも注目なのは京マチ子が大映で本格的にデビューした記念すべき作品だということ。京マチ子の見事なダンスが見られるのも本作の価値を高めています。
1950年代

大砂塵(1954年)

主演のジョーン・クロフォードは1930年代にMGMのスター女優で本作の撮影時は四十九歳になっていて、ジョニーギターを恋人にする女丈夫を演じています。町民を扇動するマーセデス・マッケンブリッジとの女同士の戦いが話題を呼びました。
日本映画

ジャズ娘誕生(昭和32年)

「テネシーワルツ」でレコードデビューした江利チエミを主演にして、地方を巡業する楽団が東京の檜舞台に立つまでを背景としてレビューシーンを織り交ぜるなど、ハリウッドミュージカルをそのまま踏襲したスタイルの音楽劇になっています。
日本映画

名刀美女丸(昭和20年)

太平洋戦争末期の戦時下で、映画製作にはさまざまな統制がかけられていました。しかし日本人を象徴するような日本刀を作る刀鍛冶を主人公にして、親の仇を討つ女性の物語に仕立てたことで、当局のお眼鏡にかなった映画を作ることができました。
外国映画

女王陛下の007(1969年)

二代目ジェームズ・ボンド役に起用されたのがオーストラリア出身のジョージ・レーゼンビー。撮影当時二十九歳だったジョージ・レーゼンビーの若さを生かして本作はスキーやボブスレーなどのウィンタースポーツを取り入れた山岳アクション映画になっています。
外国映画

夜(1961年)

愛情が枯れてしまった夫婦の一日をマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローの二人が演じていて、前年の『情事』と翌年の『太陽はひとりぼっち』とともにミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛三部作」と呼ばれています。
日本映画

日本一のホラ吹き男(昭和39年)

日本中がオリンピックに向って湧き上がっている時期で、「無責任シリーズ」ではいかに会社で楽をするかに腐心していた主人公植木等も本作では徹夜仕事も辞さないモーレツ社員として出世街道を驀進していきます。
日本映画

ニッポン無責任時代(昭和37年)

「若大将シリーズ」をスタートさせたばかりの東宝が、もうひとつの鉄板シリーズを作ろうとクレージーキャッツ主演映画の製作に乗り出しました。結果的に植木等が演じた主人公の平均(たいらひとし)はサラリーマン社会のアンチヒーローとして東宝映画の顔となっていくのでした。
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