昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
昭和二十年以前

兄いもうと(昭和11年)

日本映画史においては昭和28年に成瀬巳喜男監督が京マチ子主演で撮った大映版の『あにいもうと』が有名ですが、実は最初に映画化したのは東宝になる前のPCL映画製作所においてで、監督はPCLの主力だった木村荘十二がつとめました。
昭和二十年以前

綴方教室(昭和13年)

生活綴方教育がさかんに行われていた当時、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
1950年代

エデンの東(1955年)

ジェームズ・ディーンは『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』の三本の作品で主演をつとめましたが、1954年に撮影された本作が初主演作品でした。孤独で傷つきやすい青年像をヴィヴィッドに表現した演技はハリウッドにセンセーションを巻き起こすほどでした。
日本映画

あなた買います(昭和31年)

昭和31年当時のプロ野球界はまだ新人選手を自由競争で入団させていた時代でして、人気選手のスカウト合戦を描いた小野稔の小説を松竹が映画化したのがこの作品で、プロ野球界の裏話的ストーリーが見どころになっています。
1950年代

捜索者(1956年)

主演のジョン・ウェインがヒーロー然としておらずジョン・フォードの西部劇としては異色の作りになっていて、後年になってジャン・リュック・ゴダールをはじめとした映画監督たちに再評価されて「最も偉大な西部劇映画」と言われるほどになった作品です。
日本映画

カルメン純情す(昭和27年)

昭和26年に公開された『カルメン故郷に帰る』は日本初のオールカラー映画でしたが、本作は高峰秀子のリリー・カルメンと小林トシ子の朱美の二人の後日譚になっていて、カルメンが前衛芸術家の男性に恋をするというストーリーになっています。
1950年代

ショウ・ボート(1951年)

ミュージカルを得意とするMGMが1951年にリメイクした作品で、ターザン映画で使用されていたMGMスタジオ内の巨大な池をミシシッピ川に見立て、旅公演を行うコットンブロッサム号が鮮やかなテクニカラーで描かれています。
日本映画

愛妻物語(昭和26年)

新藤兼人の初監督作品で、実質的パートナーだった乙羽信子を主演に起用して、宇野重吉演じるシナリオライターを妻が支えるという夫婦の愛情物語になっています。昭和26年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選出されたことで、新藤兼人は脚本家兼映画監督として活躍することになるのでした。
1940年以前

ランジュ氏の犯罪(1936年)

ジャン・ルノワールは1936年に抒情的な傑作短編『ピクニック』を撮っていますが、本作はその直前に作られた犯罪映画で、ルノワール自身が『ゲームの規則』などと並ぶ傑作だと自負する作品だったようです。
日本映画

エノケンのホームラン王(昭和23年)

昭和21年には8チームによるリーグ戦を再開したプロ野球の中でも一番の人気球団はジャイアンツで、本作はジャイアンツフリークの榎本健一がジャイアンツに入団して選手たちの信頼を獲得していくという野球ファンタジーになっています。
日本映画

民衆の敵(昭和21年)

終戦の翌年に今井正監督が撮った東宝作品です。戦後初の衆議院議員選挙が行われたのは昭和20年4月10日のことでしたが、本作はその2週間後に封切られていて、戦時中に中小工場の軍需工場化と増産を進めた財閥を痛烈に批判する内容になっています。
外国映画

死霊の盆踊り(1965年)

深夜の墓場というホラー映画の設定ながら実際には踊りがメインになっていて、その点ではヘンテコな邦題であるものの作品のポジショニングを適切に言い当てた名タイトルといえるかもしれません。
外国映画

明日に向って撃て!(1969年)

主人公のブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの二人は実在した銀行強盗で、ウィリアム・ゴールドマンが書いた脚本をポール・ニューマンが買い取って映画化しました。当時はそれほどビッグネームではなかったロバート・レッドフォードがキッドを演じています。
日本映画

忍びの者(昭和37年)

織田信長が伊賀に攻め込んだ天正伊賀の乱を舞台にした村山知義による原作を市川雷蔵主演で映画化した「忍びの者」シリーズの第一作で、監督は東宝争議で組合側の中心にいて東宝を退職した山本薩夫がつとめています。
日本映画

錆びたナイフ(昭和33年)

石原裕次郎は昭和32年暮れに公開された『嵐を呼ぶ男』でアクションスターとしてのイメージを確立しましたが、本作は兄の石原慎太郎が裕次郎を主人公にすることを前提に原作を書き自ら脚本化して裕次郎が主演しました。
昭和二十年以前

大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
昭和二十年代

めし(昭和26年)

原作は林芙美子が朝日新聞に掲載された小説ですが、連載中に林芙美子が急死してしまい97回目の掲載が最後となりました。未完の小説を脚色したのが井手俊郎と田中澄江の二人で、女性を描かせたら並ぶ者はいないといわれた成瀬巳喜男が監督をしています。
外国映画

寒い国から帰ったスパイ(1965年)

原作はイギリス秘密情報部にいた経験もあるジョン・ル・カレの代表作で、1963年に出版された小説は二年後に映画化されることになりました。東西冷戦真っ只中の時代において諜報部同士が裏の裏をかきあうスパイの実態を描き出していて、本作はそれをほぼ忠実に映画化しています。
昭和二十年代

自由学校(昭和26年)

昭和25年に朝日新聞に連載された獅子文六の小説は敗戦後の東京での暮らしを戯画化した風刺小説で、松竹と大映が競作して翌年5月に同時公開されました。本作は松竹バージョンのほうで、主人公夫婦を佐分利信と高峰三枝子が演じています。
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