1940年代

マルタの鷹(1941年)

原作はダシール・ハメット。推理小説においてハードボイルドタッチのスタイルを確立した人で、レイモンド・チャンドラーなどに大きな影響を与えた小説家です。この『マルタの鷹』は小説が発表されるとすぐにワーナー・ブラザーズが映画化権を獲得し、1930年代に二度映画化されていたんだそうです。あえて三度目の映画化に挑戦したのが、初めて監督をやることになったジョン・ヒューストン。そしてそのヒューストンの推薦で主役のサム・スペードを演じたのがハンフリー・ボガードでした。
昭和二十年代

上州鴉(昭和26年)

注目は脚本。ここでも出ました新藤兼人。昭和26年公開作品では、なんと十二本の脚本を書いていますから、超売れっ子というか量産型シナリオライターというかほかに書く人がいなかったというか。その中のひとつがこの『上州鴉』なのですが、しっかりと最後まで見られるのはまさに脚本のおかげ。殺陣から始まって、人情話を盛り込んで涙を誘い、コメディリリーフをおいて笑いもとれる。新藤兼人に任せておけば安心だ、みたいな感じの人だったのかもしれませんね。
1940年代

荒野の決闘(1946年)

こんにちは。大舟シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『荒野の決闘』です。ジョン・フォードといえばアカデミー賞監督賞を四度も受賞した名監督で、特に『駅馬車』や『黄色いリボン』などジョン・ウェイン主演の西部劇が有名ですよね。ジョン・フォードは、第二次大戦中にはアメリカ海軍の戦意高揚ドキュメンタリーを撮っていたので、この『荒野の決闘』は、戦後における劇映画への復活作品でもありました。そのためなのか、西部劇なのにドンパチガンファイトシーンが少なくて、ある意味で恋愛映画ともいえるようなロマンチックかつのどかな雰囲気を湛えた作品になっています。1881年にトゥームストーンのOKコラルで実際に起こった銃撃戦に向けて物語が進みますが、主役のワイアット・アープをやるのがヘンリー・フォンダ。相方となるドク・ホリディはヴィクター・マチュアが演じています。
1940年代

救命艇(1944年)

原作者としてクレジットされているジョン・スタインベックは『怒りの葡萄』や『エデンの東』を描いた小説家で後にノーベル文学賞を受賞する大家。この大御所にヒッチコックはシナリオを依頼したのですが「使い物にならない」とほとんどボツにして、最終的にはジョー・スワーリングというシナリオライターの脚本を採用したそうです。船が撃沈されて遭難した九人が乗ったライフボート。その小さな救命艇の中だけで1時間半が進行するある意味での密室劇で、まるで舞台を見ているような緊迫感があります。
日本映画

九ちゃんのでっかい夢(昭和42年)

坂本九を主演に据えながら、莫大な遺産相続とお笑いアクションに歌と踊りを重ね合わせて、文句なしに楽しめる作品に仕立てています。バタくさい素材ながらも軽めの味つけで、ロマンティックな雰囲気も加えるその演出は、松竹というよりは東宝のクレージーキャッツ主演映画に似た感じ。90分まるごと楽しい時間が過ごせます。
外国映画

プレイタイム(1967年)

前屈みで膝を曲げずに歩くレインコート姿のユロ氏。ジャック・タチが自ら演ずる『ぼくの伯父さん』が、この映画にも登場します。けれども本作の主役は、そのユロ氏ではなく、映画の幾何学的でガラス貼りの建築物が建ち並ぶ近未来都市。パリの一角にあることは間違いないのですが、パリらしさのない、見知らぬ街。アメリカからやって来た観光ツアーの団体と一緒になって、この不思議な街を見物しましょう。
昭和二十年代

おかあさん(昭和27年)

。このドンズバ過ぎるタイトルにちょっと引き気味になってしまうかもしれません。その通りで正真正銘、おかあさんを主人にした家庭劇です。おかあさんを演じるのは田中絹代で、当時43歳の田中は戦前のトップ女優だったのが、戦後ある事件をきっかけに人気が凋落。そのスランプから脱したのが、溝口健二監督作品『西鶴一代女』でした。
日本映画

流れる(昭和31年)

この『流れる』は、もとは幸田文(幸田露伴の娘)の小説が原作で、幸田文が生計を立てるために芸者置屋の女中として住み込みで働いた自らの経験を書いたもの。映画でも芸者のリアルな生活が描かれていますが、なにしろ出てくる女優陣がものすごい顔ぶれで、こんなビッグネームを軽くさばくような演出ができてしまうのが成瀬巳喜男が尊敬されるゆえんかもしれません。
日本映画

紅の翼(昭和33年)

石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』でデビューすると、すぐに『狂った果実』で主役を演じた石原裕次郎。それから二年少ししか経っていないときの主演作が『紅の翼』ですが、その間に二十本以上の作品に出演する売れっ子ぶりでした。裕次郎を発掘したのが水の江瀧子。戦前、松竹歌劇団で「男装の麗人」と謳われたターキーは、戦後日活で映画のプロデューサーとして大いに活躍した、先駆的なキャリアウーマンです。監督の中平康もまだ早いと言われたのをターキーが監督に昇格させたらしいです。
外国映画

タワーリング・インフェルノ(1974年)

1970年前後のアメリカは長期化するベトナム戦争の真っただ中で、ハリウッドも娯楽に徹した作品を打ち出しきれずにいました。そこに登場した新しいジャンルがパニック映画。戦う相手が自然災害や大規模事故なので、戦争賛成・反対などの政治色を出さなくて済みますし、困難に立ち向かう人びとをドラマチックに描くこともできます。たぶん最初のパニック映画は1970年の『大空港』だと思いますが、ブームの火付け役は1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』。そしてその火を業火のごとく燃え上がらせたのが、この『タワーリング・インフェルノ』でした。
外国映画

トラ・トラ・トラ!(1970年)

「トラ・トラ・トラ」は日本軍による真珠湾攻撃の開始を伝える暗号文。映画の中でも、田村高廣演ずる淵田中佐がゼロ戦の機上から「トラトラトラや」と叫ぶ場面がありました。あくまで「奇襲」が成功したことを伝えるもので、攻撃の成功を報告するものではないんですね。日米合作にあたっては、大変な紆余曲折があり、中でも黒澤明の降板が大きな話題になりました。
日本映画

大巨獣ガッパ(昭和42年)

昭和四十一年七月にテレビで『ウルトラマン』の放映が始まると、怪獣ブームは頂点に。すでに『ガメラ』を生み出していた大映は、昭和四十二年三月『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』を大ヒットさせます。同じ月に松竹が『宇宙大怪獣ギララ』を公開すると、そのすぐ翌月には日活がこの『大巨獣ガッパ』を封切りました。日本映画が斜陽の時代、とりあえず怪獣映画を作っとけ、みたいなノリだったのかもしれません。
外国映画

007ドクター・ノオ(1962年)

ジェームズ・ボンドがはじめて映画に登場。以来五十年も映画界を代表するヒーローとして活躍し続けています。ボンドガール、車、銃器、欧米以外の国、タキシード、酒、タイトルデザイン。007シリーズのエッセンスはすべてこの第一作に詰め込まれていたんですね。誰もが知っているギターリフのテーマ曲はモンティ・ノーマンの作曲。映画史上最も有名な主題曲ではないでしょうか。
日本映画

彼岸花(昭和33年)

前年の『東京暮色』までずっとモノクロしか撮っていなかった小津監督による初めてのカラー作品。小津安二郎はトーキーが出てきたときも、サイレントにこだわってなかなか音に手を出しませんでしたが、『彼岸花』は「色」に手を出したことで、小津ワールドがより一層完璧なレベルで表現されています。基本的には、いつもの通り、嫁に行く行かないといった父と娘の物語なのですが、『彼岸花』では母親役の田中絹代がとってもよいアクセントになっています。
外国映画

ジャイアンツ(1956年)

「ジャイアンツ」と言われると、すぐにプロ野球を思い出してしまいますが、原題は"Giant"で、エドナ・ファーバーの小説の映画化作品です。ジョージ・スティーヴンスにとっては、西部劇の名作『シェーン』とともに代表作のひとつ。アメリカにおけるテキサスの歴史や風土を体感することができる大作で、3時間20分の上映時間を我慢できる方にはぜひ見ていただきたい長編映画です。
外国映画

終着駅(1953年)

ヴィットリオ・デ・シーカといえば『自転車泥棒』が有名で、ネオリアリズモと呼ばれる現実直視型の暗い映画が専門のようですが、この『終着駅』はリアルな演出をしながらも、基本線はメロドラマなところが特徴です。ローマのテルミニ駅に着いてから、パリ行きの直行列車が発車するまでの1時間半をほとんど映画の上映時間と同じ尺で描いています。さまざまな人たちが行き交う駅の構内で、不倫の深い仲になった男女がローマに残るのか残らないのかを決めることは、女が夫を捨てるのか捨てないのかにつながります。恋愛映画でありながら、サスペンスフルな展開が楽しめる佳作です。
日本映画

裸の島(昭和35年)

大手映画会社のしがらみから抜け出して、自由に映画を作りたい。そんな大志を抱いて、松竹を退社した新藤兼人が中心になって設立した近代映画協会ですが、設立十年で製作資金が底を尽きてしまいます。解散することになり、最後の作品としてこの『裸の島』が作られることになりました。ところが、翌年のモスクワ国際映画祭で上映されると、世界各国から注目を浴びることになり、協会の累積赤字を解消してしまったそうです。よかったですね、ほんとに。
日本映画

眼の壁(昭和33年)

昭和32年「週刊読売」に連載された原作は、前作の「点と線」とともに松本清張ブームを巻き起こしました。監督の大庭秀雄と主演の佐田啓二は、あの『君の名は』三部作のコンビ。恋愛ドラマ風な作り方から一転して、本作はなかなかハードな出来栄えになっています。予備知識なくなんとなく見始めても、いつのまにか画面に引き込まれてしまう。佳作とまではいかないのですが、隠れた一作です。
日本映画

不道徳教育講座(昭和34年)

原作は三島由紀夫。原作とはいっても小説ではなく、週刊明星に連載された評論集。それをもとに、とある地方都市が文政省による「文教都市」認定審査に合格しようとするドタバタ喜劇にした映画です。でも思わず笑ってしまうなんて場面はほとんどなく、たまに苦笑が漏れ出る程度の喜劇と言ったところでしょうか。
外国映画

リオの男(1964年)

ジャン=ポール・ベルモンドと聞いて『勝手にしやがれ』を思い浮かべる方はアート映画志向なのに対して、この『リオの男』がすぐに思い出される方は娯楽映画志向なのではないでしょうか。それくらいベルモンドにとっての代表作のひとつ!とても楽しい映画で、気分がモヤっているときに見て、頭の中をすっからかんにしてしいまいましょう。
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