新藤兼人脚本の殺陣あり涙あり笑いありの時代劇。結構見られます
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、冬島泰三監督の『上州鴉』です。冬島泰三という映画監督がいることはこの映画ではじめて知りました。サイレント映画時代に独立プロダクションで多くの作品の脚本や監督を担当した人だそうです。それよりも注目は脚本。ここでも出ました新藤兼人。昭和26年公開作品では、なんと十二本の脚本を書いていますから、超売れっ子というか量産型シナリオライターというかほかに書く人がいなかったというか。その中のひとつがこの『上州鴉』なのですが、しっかりと最後まで見られるのはまさに脚本のおかげ。殺陣から始まって、人情話を盛り込んで涙を誘い、コメディリリーフをおいて笑いもとれる。新藤兼人に任せておけば安心だ、みたいな感じの人だったのかもしれませんね。
【ご覧になる前に】大河内伝次郎がちょいと太めだけど、貫禄は相変わらず
宿場町のとある宿屋。そこには駆け落ちしたカップルや娘を身売りに出す老人、仇討ちの相手を探して旅する侍とその家来などが泊まっています。調理場で働く亥之は、病身の妻お吉を海辺で静養させたいと、離れで行われている賭場に出かけます。お吉の父親は町の岡っ引きで、お尋ね者が宿場町に潜伏していることを嗅ぎつけ、警戒を怠りません。そして宿屋の一室にそのお尋ね者が薬売りに身をやつしているのですが…。
主演は大河内伝次郎。戦前は丹下左膳シリーズで時代劇の大スターだった大河内伝次郎も、戦後になると教授役や大臣役など恰幅のよい配役を得て、その貫禄を示すようになっていました。本作はお得意の時代劇で大人数を一網打尽にする殺陣シーンもありますが、大河内伝次郎の柄の大きさを最大限に引き出すような義理人情に篤い大物渡世人を演じていて、それがしっかりとハマっているのです。だからセリフ回しも、よくモノマネされていたような「シャシシュセショ」調のものではありません。また脇役も大河内伝次郎に対抗するような有名俳優はひとりも出ていないので、役者のレベル感が違い過ぎて、ハナから太刀打ちできそうもない相手役ばかりです。それでも大河内伝次郎のどっしり感というかまかせなさい感というか、この人がいれば大丈夫的な演技が、『上州鴉』の心棒となって作品をしっかりとしたものに見せています。
終戦後、GHQの指導により時代劇の製作には厳しい制約が課せられていました。剣劇はダメ、敵討ちもダメ、任侠ものもダメ、というダメダメ尽くしで、まともな時代劇は昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結まで作れなかったのです。この『上州鴉』も昭和26年の映画。主人公はやくざ者ですし、賭場の場面も出てきて、仇討ちも取り上げられていますので、GHQによる占領が終了すると決定したあとに作られたものと推測されます。だからなのか、どことなく映画全体に伸びやかな雰囲気が満ちていて、加東大介演じる飴売りの口上音頭のような明るい歌が繰り返され、渡辺篤演じる駕籠かきは相方になんでもかんでもどっちに賭けるかと持ち掛けます。雨や夜の場面も出てきますが、カラッとした気持ちの良さが感じられる作品に仕上がっています。
【ご覧になった後で】セットや小道具など時代劇の美術が見事な出来栄え
大河内伝次郎は相変わらずですし、周りの登場人物たちも変な曲者がひとりもいず、みんながみんな単純明快な悪党だったりして、見ていてわかりやすかったですね。侍の仇討ち相手の浪人は、宿屋の中でさんざん逃げ回っているのに、いざ大河内伝次郎との対決で討ち取られると「こんなことならあの侍に切らせてあげればよかった」なんて殊勝な捨てゼリフを残します。また、映画の冒頭の、部屋出しする朝食で、宿屋に泊まっている人物をタンタンと調子よく紹介していくあたり。脚本のうまさもあるんでしょうが、とても捌き方がうまかったと思います。
朝食を運ぶ場面ですが、調理場から帳場、真ん中の大階段、廊下、部屋、納戸など、宿屋のすみからすみまでを克明に撮っていて、観客にも位置関係がすぐに飲み込めるような描き方でしたね。特に階段や廊下の板の光り方が、モノクロの画面から雑巾がけしたばかりの木の匂いが伝わってくるくらいに印象的でした。宿場町の遠景をとらえると、石をのせただけの瓦のない屋根の家々が軒を連ねていたり、宿場町の中央の道が真っすぐではなく少し湾曲していたりと、本当に江戸時代の上州あたりにあっただろう小さな町をリアルに伝えていたと思います。この映画は大映の作品ですから、たぶん大映京都撮影所で撮られたのでしょう。阪東妻三郎が自身のプロダクションのために撮影所をひらいたのが、京都の太秦でした。以来、大映も東映も時代劇を中心に太秦で映画を撮影していました。『上州鴉』の宿場町の雰囲気づくりには大映京都撮影所のノウハウが詰まっていて、プロっぽい美術の仕事を垣間見る思いがします。セットのような大道具だけではありませんで、家の内部に入るとこまごまとした小道具が登場して、その細かさをすべてきちんと見られはしませんが、飯碗や茶碗、酒樽、囲炉裏にいたるまで、きっちりとした仕上げになっていて、当時の撮影所の人々が時代劇を製作できることの歓びに溢れていたのだろうことを想像させるのです。
戦前からの時代劇スターといえば、大河内伝次郎をはじめ、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎、長谷川一夫といった俳優たちでした。彼らは戦後にはそろって、現代劇に出たり、時代劇では真の大物役で出たりして、日本映画の黄金時代を後ろから支える存在になっていきます。このような豊富な人材がいたことも日本映画が輝いていた時代の特徴のひとつだったのではないでしょうか。今の日本映画界で、こうした時代劇スターと同じような大物感を出せる俳優がただのひとりもいないのはなんとも残念なことです。(A100721)
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