昭和二十年以前

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大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
昭和二十年以前

エノケンの近藤勇(昭和10年)

浅草出身のコメディアン榎本健一はエノケン劇団を松竹座で立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。ピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。
昭和二十年以前

暖流(昭和14年)

昭和14年の公開時には「前篇 啓子の巻」(94分)と「後篇 ぎんの巻」(83分)が一挙上映されました。現存しているのはその前後篇をくっつけて2時間4分にまとめて昭和22年に再上映された総集編バージョンのみで、50分強がカットされた計算になります。
昭和二十年以前

あの旗を撃て(昭和19年)

太平洋戦争における日本軍のフィリピン攻略でのコレヒドールの戦いを描いていて、フィリピン占領後に製作されたこともあって捕虜になったアメリカ人や現地のフィリピン人が多く出演している珍しい作品です。
昭和二十年以前

警察官(昭和8年)

本作は昭和8年の新興キネマの作品でして、松竹の傍系の会社でもありトーキーではなくサイレントで製作されています。しかしながらサイレント映画ならではの映像表現が詰め込まれていて、本分を果たそうとする警察官の奮闘と苦悩を描く内田吐夢の演出力が堪能できる作品です。
昭和二十年以前

ハナ子さん(昭和18年)

昭和18年は太平洋戦争の敗戦を予測する軍人も一部に現れた頃でしたが、そんな時期に映画法の検閲の元で国威発揚映画としてミュージカル映画が作られていたのでした。監督は名前の表記をコロコロ変えるマキノ正博で、「雅弘」ではなく「正博」だったときの作品です。
昭和二十年以前

人生のお荷物(昭和10年)

三女を嫁にやってなお幼い男の子がいるという夫婦の子を思いやる機微を描いた本作は、松竹蒲田が得意としたホームドラマの典型で、五所平之助が監督をつとめました。昭和10年度キネマ旬報ベストテンで第6位にランクインしています。
昭和二十年以前

その夜の妻(昭和5年)

小津安二郎は松竹蒲田時代にはアメリカナイズされたサイレント映画を次々に製作していまして、本作はその中の一本で、岡田時彦が初めて小津映画の主演をつとめた作品としても有名です。娯楽雑誌「新青年」に掲載された「九時から九時まで」というオスカー・シスゴールという人の小説が原作になっています。
昭和二十年以前

還って来た男(昭和19年)

本当にこれが昭和19年の作品かと疑ってしまうくらい、戦時色や国策映画っぽさがないラブコメ喜劇になっています。川島雄三と織田作之助は仲が良かったらしいので、シナリオと演出はほぼ同時並行的に作られたのではないかと思います。
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男の意気(昭和17年)

映画法によって脚本の検閲やフィルムの制限などさまざまな制約が映画会社に課されることになりました。本作も主人公の健一が回漕業者の統合に反対する父親を説き伏せて、大同団結を推進する立場として活躍する姿が描かれています。
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