昭和二十年以前

ハナ子さん(昭和18年)

昭和18年は太平洋戦争の敗戦を予測する軍人も一部に現れた頃でしたが、そんな時期に映画法の検閲の元で国威発揚映画としてミュージカル映画が作られていたのでした。監督は名前の表記をコロコロ変えるマキノ正博で、「雅弘」ではなく「正博」だったときの作品です。
外国映画

オリエント急行殺人事件(1974年)

ミステリーの女王とも言われたアガサ・クリスティの小説はクリスティの代表作として愛読された作品で、アガサ・クリスティのファンによる人気投票では必ず上位にランクされ続けています。本作は、1974年の世界興行収入ランキングで14位に入る大ヒットを記録したのでした。
昭和二十年以前

人生のお荷物(昭和10年)

三女を嫁にやってなお幼い男の子がいるという夫婦の子を思いやる機微を描いた本作は、松竹蒲田が得意としたホームドラマの典型で、五所平之助が監督をつとめました。昭和10年度キネマ旬報ベストテンで第6位にランクインしています。
日本映画

氷点(昭和41年)

北海道旭川市出身の三浦綾子が朝日新聞の懸賞小説に応募して入選した原作は、新聞連載後に出版されて70万部を超えるベストセラーとなりました。その原作を翌年すぐに映画化したのが本作で、大映に招かれた山本薩夫が監督をつとめました。
外国映画

華麗なる週末(1969年)

原作はウィリアム・フォークナーの「自動車泥棒」という小説で、二十世紀初頭のアメリカ南部で少年が4日間の旅を通して成長するという物語です。スティーヴ・マックイーン主演にしてはのどかな作品になっていますが、「華麗なる」というタイトルはどうにも内容にマッチしていません。
昭和二十年代

てんやわんや(昭和25年)

原作は獅子文六が毎日新聞に書いた連載小説で、連載終了の翌年すぐに松竹で渋谷実監督によって映画化されました。愛媛県宇和島市は獅子文六の妻の在所で、戦時中宇和島に疎開していた獅子文六が地元のお祭りや名産品、方言などの文化や風習を題材にして小説化した作品だそうです。
日本映画

あこがれ(昭和41年)

昭和40年の黒澤明監督作品『赤ひげ』でデビューした内藤洋子は翌年に仲代達矢版『大菩薩峠』のお松に出演しましたが、この『あこがれ』が初主演作品となりました。相手役の田村亮は言わずと知れた阪東妻三郎の次男坊で、デビュー三作目で同じく主役に抜擢されています。
外国映画

馬上の二人(1961年)

ジェームズ・スチュワートは西部劇でも活躍していますが、主にアンソニー・マン監督作品が中心でした。本作はキャリアの晩年期にさしかかったジョン・フォード監督がはじめてジェームズ・スチュワートを主演に起用した作品で、リチャード・ウィドマークが共演しています。
外国映画

007カジノ・ロワイヤル(1967年)

現在的にはダニエル・クレイグ主演で2006年に公開されたバージョンが一般的になっていますが、もとはショーン・コネリーではなくデヴィッド・ニーヴンがジェームズ・ボンドを演じた本作がシリーズの番外編コメディとして知られています。
昭和二十年以前

その夜の妻(昭和5年)

小津安二郎は松竹蒲田時代にはアメリカナイズされたサイレント映画を次々に製作していまして、本作はその中の一本で、岡田時彦が初めて小津映画の主演をつとめた作品としても有名です。娯楽雑誌「新青年」に掲載された「九時から九時まで」というオスカー・シスゴールという人の小説が原作になっています。
日本映画

あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(昭和34年)

父親と二人の娘がいる家庭を舞台にしたホームドラマで、父親を佐分利信、娘を若尾文子が演じています。オリジナル脚本の久里子亭は市川崑と妻和田夏十が共作したときの合同ペンネームでアガサ・クリスティをもじってつけられたもので、京マチ子や川口浩がからむ恋愛喜劇に仕立てました。
日本映画

新馬鹿時代(昭和22年)

昭和22年10月12日に前編が公開され二週間後の10月26日に后編が続いて劇場にかかりました。昭和22年4月に日比谷の有楽座でロッパとエノケンの合同公演が実現し、その余勢を買って東宝が映画化したのがこの『新馬鹿時代』で、合計すると2時間46分にも及ぶ長編喜劇となったのでした。
外国映画

気狂いピエロ(1965年)

ゴダールは長編第一作の『勝手にしやがれ』でフランソワ・トリュフォーとともにヌーヴェル・ヴァーグの寵児となりましたが、長編10作目にあたるこの『気狂いピエロ』は、ヌーヴェル・ヴァーグが到達したひとつの頂点ともいえる映画史的に瞠目すべき作品となりました。
日本映画

ゼロの焦点(昭和36年)

松本清張が書いた原作は昭和34年の末に光文社の「カッパ・ノベルス」の第一弾として刊行されました。連載休止をはさみながらなんとか完成した小説を松竹の野村芳太郎監督が映画化し、いわゆる清張ものを代表する作品のひとつとなっています。
日本映画

女性の勝利(昭和21年)

戦時中は『元禄忠臣蔵』など国策映画の流れにのった溝口健二でしたが、占領下ではGHQの方針にそって女性の地位向上をうたった「女性解放三部作」に取り組むことになります。本作はその一作目にあたり、女性弁護士が男性優位の封建的な考え方に固執する検事と対峙する姿を描いています。
外国映画

未知への飛行(1964年)

原題の「Fail Safe」は誤って核攻撃が発動されたときの制御の仕組みのことで、本作ではシステムの誤作動でモスクワへの核攻撃が命令されてしまった事態に、ヘンリー・フォンダが演じるアメリカ合衆国大統領がどのように対処するかが描かれています。
1940年代

ブロードウェイのバークレー夫妻(1949年)

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースとしては1939年の『カッスル夫妻』以来10年ぶりの共演作で、RKOではなくMGMで製作されました。RKO時代はすべて白黒でしたので、二人が共演した映画としては初めてのカラー作品となり、これ以降共演はしていませんの結果的に唯一のカラー作品となったのでした。
日本映画

高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。
日本映画

女中ッ子(昭和30年)

主人公は秋田から女中をしに上京してきた織本初。奉公先の次男坊がはじめは「はつ」と呼び捨てにするのに、徐々に「はっちゃん」と慕うようになる過程がとても丁寧に描かれていて、女中が主人公のホームドラマになっています。
外国映画

8 1/2(1963年)

次作の映画作りに悩んでいたフェデリコ・フェリーニはプロデューサーのアンジェロ・リッツォーリに製作中止を申し出ようとしたときに、自分自身を反映した映画監督を主人公にすることを思いついたといいます。映画監督グイドの内面に迫るこの『8 1/2』はフェリーニの最高傑作となったのでした。
タイトルとURLをコピーしました