女中ッ子(昭和30年)

秋田から上京した女中が子供に慕われる田坂具隆監督のホームドラマです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田坂具隆監督の『女中ッ子』です。由起しげ子という人が書いた小説を原作にして、田坂具隆が戦前に所属していた日活が映画製作を再開したのを機に古巣に戻って発表した作品です。主人公は秋田から女中をしに上京してきた織本初。奉公先の次男坊がはじめは「はつ」と呼び捨てにするのに、徐々に「はっちゃん」と慕うようになる過程がとても丁寧に描かれていて、女中が主人公のホームドラマになっています。昭和30年のキネマ旬報ベストテンで第7位に入った作品です。

【ご覧になる前に】新東宝デビューの左幸子は本作主演時には十九歳でした

上野駅に大きな荷物を両手にもった初が降り立ち、満員電車に揺られて世田谷の高台にある加治木の家にやってきます。以前初が修学旅行で東京に来たとき親切にしてくれた加治木の奥様から東京に出てくるときは寄ってくれと言われ、それを真に受けた初は女中になるつもりで押しかけたのでした。奥様はやむなく初を女中として家に置くことにしますが、大手時計会社の総務部長をしている旦那様のほかに姪のひろ子と長男・次男が暮らす加治木家では、次男の勝見が奥様の手に余る腕白ぶり。その勝見が離れの小屋に隠れて子犬を飼っているのを知って、初は勝見に協力して一緒に子犬の世話をするのでしたが…。

原作を書いた由起しげ子は昭和24年に戦後に再開されたばかりの芥川賞を受賞した女流作家で、昭和29年に小説新潮に発表した「女中ッ子」が映画化もされてベストセラーになりました。昭和35年には「赤坂の姉妹」が川島雄三監督によって『赤坂の姉妹 夜の肌』として映画になり、女性を主人公にした中間小説の作家として活躍し続けました。

田坂具隆(ともたか)はサイレント時代の日活で早々に監督としてデビューし、昭和13年に発表した『五人の斥候兵』ではキネマ旬報ベストテンで見事に第一位を獲得し名実ともに日本映画を代表する監督のひとりになりました。戦時統制によって映画会社が松竹・東宝・大映の三社に再編成されると松竹で国策映画の製作に携わりましたが、召集された広島で原爆に被災し戦後は原爆症による闘病生活を送ることに。一時は大映で活動を再開したものの症状が再発して三年間の静養の後、映画製作を再開していた日活に久しぶりに戻って発表したのがこの『女中ッ子』でした。

主演の左幸子は東京女子体育専門学校卒で中学校で体育兼音楽教師をしていたときに、雑誌のカバーガールをつとめたのを新東宝の野村浩将に見出されて映画界に入りました。小柄ながらもはっきりとした顔立ちが特徴的で、十九歳で本作に主演する前後からは主に日活に拠点を移して主役や準主役をこなしていきます。昭和30年代半ばからは映画会社の枠にとらわれずに独立プロ作品を含めて幅広く出演するようになり、中でも内田吐夢が東映で撮った『飢餓海峡』の演技が高く評価されました。私生活では映画監督羽仁進と結婚したものの羽仁進が左幸子の実の妹と不倫関係に陥ったことから離婚し、晩年は癌による闘病生活を送ることになりました。

撮影の伊佐山三郎は田坂具隆と常にコンビを組んでいたキャメラマン。美術の木村威夫は後に鈴木清順とのコンビで一世を風靡することになる日本映画の美術分野の第一人者です。さらに音楽は伊福部昭。あの『ゴジラ』の音楽を世に送り出したことで有名ですが、実は日本の民俗音楽をいかした管弦楽曲や歌曲を多数発表した日本の現代音楽の大家でもありました。このような一流のスタッフが揃ったのも、誠実な人柄が評判だった田坂具隆監督のおかげでしょうし、映画製作を再開した日活に対する期待の表れだったのかもしれません。

【ご覧になった後で】丁寧な作りで感動を誘いますがそれにしても長過ぎます

いかがでしたか?初と勝見の交流が丁寧に描かれていて、雪の秋田まで初を追いかける勝見の姿に思わず感動してしまいますが、この映画の上映時間は2時間20分。そんなに長尺にする必要があったんでしょうか。この内容でこの展開なら少なくとも1時間40分の標準上映時間に収められるはずです。丁寧過ぎてちょっと冗長になってしまったのが惜しまれる点でした。また初と勝見の二人だけにスポットを当てた反動で、他の登場人物の存在感が薄くなってしまったのも残念でしたね。佐野周二は鷹揚なお父さん風で良いのですが会社の上長の奥方を怒らせてしまった状況に全く何の反応も示さないあたりが、キャラクター造形の薄さにつながっていました。そこで動揺するにしろ無視するにしろ父親の個性をより強調するチャンスのはずなのに一歩踏み込みが足りないために人物像が掘り込まれていませんでした。

その点では轟夕起子がいちばん損な役回りになっていて、勝見が反発するのもこの母親に問題があるように見えます。実際に草履をダメにされたからといっていきなりチビをクリーニング屋に頼んで捨ててしまうのはどんなもんでしょう。佐野周二じゃないですけどかなり早計な行動ですよね。そしていちばんの損はオーバーコートを見つけて何ひとつ抗弁しない初をクビにしてしまうエンディング。勝見とあそこまで信頼関係を作った初が黙って何も言わないということをなぜもっと推量しないのでしょうか。初は何も言わないのではなく何も言えないのですよ。「勝見がやったんでしょ。勝見をかばっているのなら、私はもう勝見も怒らないし犬も飼い続けるからどんな事情か話してごらん」って初に救いの手を差し出してやればいいじゃないスか。それができない母親像しか描けなかったのは、田坂具隆による脚本の手抜かりでしょう。

とは言っても、全体的には非常に好感度の高い道徳的な映画で、当時の子供教育にかける良心的態度にあふれた作品であることには間違いありません。昭和30年にしては相当な上流階級に属している加治木家ではありますが、子供を育てる悩みは普遍的な問題でもあります。それを初という女中を通して、どうしたら子供の気持ちに寄り添えるかを丁寧に語った映画だといえるでしょう。ただ、やっぱり惜しいところなんですが、勝見を対立関係に中に入れて、子供のケンカに大人が口を出すような感じになっていました。上司の息子は関西から来た傲慢な子供として描かれていて、集団で勝見をバカにしたりチビを足蹴にしたりする姿は心底悪役という位置づけになってしまっています。そこに初が勝見の仕返しとばかりに学校の校庭で目隠し駆けっこを再現するのですが、そこでも初が圧勝する姿しか描きません。あそこで傲慢息子がひと言でも「おばちゃんの足、はええんだな」とかなんとかいえば、それなりに立場が救われたはずです。ことほどさようになんだか初と勝見だけしか見ていなくて、他の人物を盛り立て役として扱っているところが良心的な本作のマイナス点でした。

しかしながら、いよいよ勝見と初のことを佐野周二が真剣にお説教して、その姿を隣室から母親や姪がのぞいているという場面で、初が「ちょっと」と言って説教を止めさせて、庭の仕掛けにやってきたスズメを捕らえるのに成功すると、全員が一斉に「やったあ」と沸くのはなんとも無心な朗らかなイメージを伝えていました。あそこだけは加治木家全員の気持ちが一致した瞬間でしたよね。田坂具隆監督はああいう「間の演出」がうまい人だったのかもしれません。

加えて学校の運動会で初と勝見の二人が一等賞をとる場面。大会本部の前に連れて行かれた二人はそこで賞品のようなものを授与されるのですが、そこでかかる音楽がなんとあの『ゴジラ』で出てくるマーチで、後の東宝怪獣映画で自衛隊が進撃する場面で必ず演奏される「怪獣大戦争マーチ」だったのです。音楽は伊福部昭が担当していますので、本作の前年に公開された『ゴジラ』の楽曲を使用するのは当時としては許されたんでしょうか。現在的には映画音楽の著作権は音楽のみに単独に権利が発生するわけではなく映画そのものにも帰属するはずなので、日活の映画で勝手に東宝作品の楽曲を使うのはちょっと問題ありだと思います。そうだとしても、運動会のハレの場で「怪獣大戦争マーチ」が鳴り響くのもなかなか雰囲気を出しているなあと思われたわけでして、思いもかけず伊福部昭の音楽の汎用性を確認できたのでありました。(A092422)

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