高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

若き日の高倉健がプロペラ旅客機のパイロットを演じる元祖パニック映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、小林恒夫監督の『高度7000米 恐怖の四時間』です。羽田空港から仙台経由で札幌に向かうプロペラ旅客機に凶悪な殺人犯ぐが乗り合わせていたという設定で、1970年代に一大ブームとなったパニック映画の元祖的な作品になっています。出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。

【ご覧になる前に】様々な乗客が乗り合わせるグランドホテル形式ものです

東京の空の玄関である羽田空港では、山本機長と副操縦士の原の二人が仙台空港経由千歳空港行きのダグラスDC-3の出発準備をしています。スチュワーデスのみどりと蓉子は妻を亡くした日も仕事を続けた山本のことが気になって仕方ありません。一方搭乗口では飛行機に乗り込もうと、老夫婦や一人旅の子供、新聞記者の小林夫妻、落選ばかりしている議員候補などが、テレビが都内で拳銃による殺人事件が起きたことを伝えている待合ロビーに入ってきました。外車のセールスをしている和子が自分の名前を呼ばれてカウンターへ行くと同姓の男性の呼び出しだとわかり引き返しますが、石川という男はサングラスをかけた神経質そうな風貌をしていたのでした…。

羽田空港は昭和6年に東京飛行場としてオープンしますが、終戦後に占領軍に接収されたときにはハネダエアベースと名前を変えていました。占領終了後の昭和27年にその大部分が返還されて東京国際空港という正式名称になり、通称羽田空港が戻ってきたのでした。昭和33年に米軍接収部分がすべて返還された後、昭和34年にはA滑走路が2550mの長さに延伸されています。なので本作撮影時にはちょうど羽田空港が世界レベルの国際空港としての姿を確立した時期にあたっています。

本作の影の主役ともいうべきDC-3はアメリカの航空会社ダグラス社によるプロペラ旅客機で、1936年にデビューして以来、世界初の本格的旅客機として1万機以上が製造されました。第二次大戦中にC-47として大量生産された機体が戦後になって民間企業に払い出されDC-3Cの名称で運航されていたとのことですので、本作に全面的に協力している北日本航空でもそのような経緯でDC-3Cを入手していたのかもしれません。操縦乗員2名、乗客数28名で巡航速度は266km/hということですから、現在的には320km/hで走行する新幹線よりはるかに遅いスピードで空を飛んでいたことになります。まあ30人乗りの大型バスがプロペラをつけて空を飛ぶというようなイメージだったんでしょうか。

北日本航空は昭和28年に北海道で設立された航空会社で、なんでもDC-3を日本で最初に導入した会社だったそうです。しかし北海道内の飛行場が未整備ということから当時の運輸省の認可が下りず設立後数年は宣伝飛行や薬剤散布飛行などを行っていました。やっと旅客機として運航できるようになったのは昭和33年のことで札幌丘珠空港から道内での飛行が許されたそうですので、本作の製作時にはまだ北海道ローカルしか飛んでいなかったことになります。そんな環境下ですから当然経営は苦しかったらしく昭和39年に東急系の会社と合併して日本国内航空となり、そこから東亜国内航空になり、日本エアシステムと名前を変えて、日本航空に吸収されることになるのでした。

山本恒夫は戦後東宝で黒澤明監督作品にスタッフとして関わっていて『素晴らしき日曜日』と『酔いどれ天使』では演出補佐を担っていました。東宝争議で移籍した東横映画がすぐに東映に統合されて、東映東京撮影所で監督デビューを果たし、小林恒夫は東映の中で現代劇を中心に活動していくことになります。一番有名なのは昭和33年公開の『点と線』で、松本清張ブームに乗って大ヒットし、本作はその翌年に撮った作品です。脚本の舟橋和郎は大映に入ってすぐにフリーとなって東映と大映を中心に150本近いシナリオを書いた人で、後に川島雄三の『雁の寺』や増村保造の『黒の試走車』の脚本に参加しています。あと注目なのは音楽が木下忠司だということくらいでしょうか。木下忠司は松竹の人でしたが、どこかの段階でフリーになったんでしょう。本作以前から松竹以外の仕事もしていて、徐々に松竹と東映東京が半々くらいになっていく時期の一本です。

高倉健はもちろんまだ東映がやくざ映画を始める以前の頃ですから、東映東京撮影所での現代劇に多く出演していた時期にあたります。飛行機の乗客にはなかなかの名優を揃えていて、左卜全と岡村文子の老夫婦、殿山泰司の議員、加藤嘉の新聞記者といった具合です。また東映でデビューしたばかりの梅宮辰夫も出演していて、あまりに痩せているのでちょっと見ただけでは梅宮辰夫だと判別できないくらいです。そして実質的ヒロインを演じるのは中原ひとみ。本作出演時は二十三歳で翌年に江原真二郎と結婚するのですが、東映東京撮影所でメチャクチャな本数の映画に出演させられていたので、忙しさに嫌気がさしたのかもしれませんね。

【ご覧になった後で】これって『大空港』を先取りしたパニック映画なのでは

いかがでしたか?これって1970年公開のアメリカ映画『大空港』を先取りしたパニック映画の原型ともいえる作品なのではないでしょうか。ジョージ・シートン監督の『大空港』はアーサー・ヘイリーの原作を映画化で、大雪のシカゴ空港を飛び立ったボーイング707が、保険金目当ての男による爆弾での自爆で機体を損傷してしまい、穴が空いた機体をどう空港に着陸させるかという危機的状況が、様々な乗客や乗員の人間ドラマとともに描かれる傑作でした。アーサー・ヘイリーの原作も1968年出版ですので、『高度7000米 恐怖の四時間』公開から9年後のことです。この東映映画を見て参考にしたということはまさかないとは思いますが、空港、旅客機、犯人、着陸、乗客、乗員、飛行場係員という登場人物は完全一致しています。その意味では本作は着想がのちのハリウッドの大作を先取りしていたパニック映画の先駆的作品だったといえるかもしれません。

まあ『大空港』に比肩する映画だというのはあまりに褒めすぎだとしても、航空映画としての本作の価値を高めているのは北日本航空の全面的協力を得て作られた映像と機体セットにありました。DC-3が飛行する映像は、積乱雲に巻き込まれるなどの一部の特撮ショットを除いてはすべて実際の飛行を撮影したもので、これが非常に臨場感あふれたリアリティを提供してくれています。またあきらかにスタジオセットで撮影された機内の場面はたぶんDC-3の客席を忠実に再現したものなんだと思いますが、当時のプロペラ機の客席や乗員スペースのアーカイブ映像としての価値を持っていて、本当に大型バス程度の飛行機がお客を乗せて飛んでいたんだなあという時代の気分を味わわせてくれます。

またグランドホテル形式といったらこれも言い過ぎになりますが、乗員たちの人間模様が描けているとまではいかなくても、それなりに乗り合わせた人たちの群像劇にはなっていて、特に妻との久しぶりの旅行を台無しにしない決断をした加藤嘉が逆に特ダネの場面に遭遇することになるあたりは非常にうまい脚本でした。また胴体着陸が迫っているときに岡村文子が犯人のところに行って縄を解いてあげたりするのはいかにも日本映画の人情劇の面が表現されていましたし、相撲取りが乗り合わせていたりするのも趣向としては面白かったのではないでしょうか。

そんな中でやっぱり高倉健の硬派的カッコよさが本作を底支えしているわけで、副操縦士の今井俊二だけではこんなに盛り上がりませんし、ひそかに亡妻のことを忘れないでいるという一徹さの前に二人のスチュワーデスが恋心を封印するという流れも高倉健のストイックさがなければ成立しません。その意味では東映現代劇になくてはならない存在感を高倉健はこの時期から確立していたのでした。それに対して中原ひとみと梅宮辰夫が機内で手をつないで昵懇な仲になってしまうのはなんとも不自然で釈然としなかったのですが、札幌に到着した途端にちゃっかり自分の営業に専念してしまう中原ひとみを描いているので、機内でのあのそぶりはこの女性の気まぐれだったのだというオチがついていて得心したという感じです。

結果的には胴体着陸をやり直そうとして機体を振ったことで車輪が出て、無事にというかごくごく普通に飛行機が着陸するという結末になるので大規模災害も起こらずに済むのですが、そこまでの盛り上げ方はなかなかのもので小林恒夫監督のサスペンス演出の手堅さの成果だといっていいでしょう。ただし犯人を捕縛するために急激に高度を7千mまで上昇させるという設定には疑問を感じざるを得ません。現在のジェット機は空気抵抗の少ない高度1万mの成層圏を飛行することでより速くより効率的に運航できるのですが、その反面周囲の気圧に押しつぶされない頑強な機体と高い密閉性が要求されるわけです。DC-3はプロペラ機なので逆に空気抵抗があるところを飛ぶ必要があり、だから密閉度は低かったのかもしれないですね。だとするとなおさらですが、犯人はもちろんのこと高齢者を含む乗客にはもっと高度7千mの気圧の薄さは身体にこたえるはずです。副操縦士が「それでは他の乗客も参ってしまいます」と進言するのを高倉健が「我慢してもらうしかない!」と返して終わりというところが科学的にはどうしてもひっかかってしまうマイナス点でした。(Y092622)

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