DISASTER

日本映画

八甲田山(昭和52年)

新田次郎の小説「八甲田山 死の彷徨」は昭和46年に出版されてベストセラーになりました。橋本忍は昭和49年にその映画化権を獲得するとすぐに八甲田山でロケハンを始めますが、雪山での撮影は困難を極めて結果的に完成まで3年の歳月が費やされました。
日本映画

新幹線大爆破(昭和50年)

新幹線を爆破するという犯人を主人公にした本作は、日本国内では不入りに終わったものの、海外のバイヤーたちから注目を集め、本編を3分の1カットした100分の短縮版はフランスをはじめ世界各国でヒットを記録しました。
日本映画

高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。
日本映画

東京湾炎上(昭和50年)

喜山CTS爆破を特撮フィルムとの合成でニセ中継するという着想には驚きました。それってピーター・ハイアムズ監督の『カプリコン1』の先取りではないスか!宇宙船による火星着陸を映像で偽装する『カプリコン1』が1977年製作ですから、ハリウッド映画のネタモトになるくらいのトリックを先行して映画にした事例なのでした。
日本映画

日本沈没(昭和48年)

SF作家小松左京が書いてベストセラーになった小説は、刊行前から東宝によって映画化されることが決まっていたそうで、小説が発表された昭和48年の年末にお正月映画として公開され大ヒットしました。
外国映画

タワーリング・インフェルノ(1974年)

1970年前後のアメリカは長期化するベトナム戦争の真っただ中で、ハリウッドも娯楽に徹した作品を打ち出しきれずにいました。そこに登場した新しいジャンルがパニック映画。戦う相手が自然災害や大規模事故なので、戦争賛成・反対などの政治色を出さなくて済みますし、困難に立ち向かう人びとをドラマチックに描くこともできます。たぶん最初のパニック映画は1970年の『大空港』だと思いますが、ブームの火付け役は1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』。そしてその火を業火のごとく燃え上がらせたのが、この『タワーリング・インフェルノ』でした。
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