F・L・グリーンの原作をキャロル・リード監督がロケ撮影を活用して映画化
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、キャロル・リード監督の『邪魔者は殺せ』です。原作はF・L・グリーンが書いた「Odd Man Out」という小説で「仲間外れ」とか「のけ者」というタイトルでした。キャロル・リードが北アイルランドの首都ベルファストで長期にわたるロケーション撮影を行って映画化した本作は、1948年の英国アカデミー賞で最優秀イギリス映画賞を受賞。日本では1951年に『邪魔者は殺せ』(「ころせ」ではなく「けせ」)という邦題で公開され、1951年のキネマ旬報ベストテンでは外国映画部門で第5位に選出されました。
【ご覧になる前に】キャメラは『第三の男』と同じくロバート・クラスカー
街に建つ教会の時計が午後4時を指す頃、男が老婆のいる家に入っていきます。そこは組織のアジトで二階ではジョニーが資金調達のための襲撃計画の段取りを確認中でした。刑務所を脱獄して半年間潜伏し続けていたジョニーに対してデニスはリーダー役を変わるよう進言しますが、ジョニーは彼に想いを寄せるキャスリーンに見送られ出ていきます。パットが運転する車に別々に乗り込んだジョニーたちは、リネン工場の事務所に入ると銃で係員たちを脅し金庫から札束を奪って逃走しようとしたとき、建物を出たところで眩暈を起して会計係の男ともみ合いになったジョニーは銃を発砲してしまうのですが…。
1902年にポーツマスで生まれたF・L・グリーンは1934年に作家としてデビューして、「火事の夜」で注目された後に1945年に本作の原作となる「Odd Man Out」を発表しました。アイルランド出身の妻と結婚したグリーンは北アイルランドの首都ベルファストで暮らしていましたが、1953年に五十一歳で亡くなっています。
映画化にあたってF・L・グリーンとともに共同で脚本を書いたのはロバート・C・シェリフ。シェリフは1920年代から戯曲家として舞台の台本を書いていて、1930年代には映画のシナリオの仕事もこなすようになります。1939年には『チップス先生さようなら』でアカデミー賞脚色賞にノミネートされましたが、この年は『風と共に去りぬ』が主要な賞を全部かっさらった年でしたので、英国映画の受賞はなりませんでした。
F・L・グリーンの原作がどうなっているのかはわかりませんけど、本作に出てくる「組織」はあきらかにIRA、すなわちアイルランド独立闘争の武装組織です。1970年代に北アイルランド紛争を起こすIRAは第二次大戦中は弱体化していて、一時期は英国への反発からナチスドイツに手を貸すこともあったようです。なので市民から支持されていたわけでもなく活動資金も枯渇していた状況にあり、本作でもそれが反映されているようです。
キャロル・リードは1940年の『ミュンヘン行き夜行列車』がヒッチコックの『バルカン超特急』の二番煎じと言われるなど戦前はB級監督と見なされていましたが、1945年に共同監督で関わった記録映画「The True Glory」がアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞すると一気にイギリスで最も有能な監督として認められます。ロケ撮影でリアリズムを表現するスタイルを身につけたキャロル・リードは本作でイギリス映画界の地位を確固たるものにすると、1948年に『落ちた偶像』、1949年に『第三の男』と映画史に残る名作を連続して世に送り出すことになります。
主演のジェームズ・メイスンはケンブリッジ大学で建築を学んだものの演劇の道に入り、1935年に映画デビューしました。1945年の『第七のヴェール』で注目されて本作で主役を勝ち取ったメイスンでしたが、当初オファーされたのははスチュワート・グレンジャーでした。しかしシナリオを渡されたグレンジャーがセリフの少なさから出演を断ってしまい、メイスンにチャンスが回ってきたんだそうです。ジェームズ・メイスンは本作の演技を自身のキャリアの中で最高のものと後になって振り返っています。
ジェームズ・メイスンのほかに出演している俳優の多くはダブリンにあるアベイ座に所属していました。アベイ座とはアイルランド国立劇場のことで、イギリスの支配に対抗してアイルランド文化を守ろうという支援者たちの手によって1903年に設立されました。初演はアイルランドを代表する詩人であり劇作家イエーツの「バレの磯」という芝居で、当初は経営的にも厳しい状況が続いたものの次第に劇作家のための劇場という名声を獲得するに至ったそうです。「The Abbey Theatre」なので日本語的にはビートルズの「アビー・ロード」と同様に「アビー劇場」と呼んだ方が耳馴染みは良いのですが、現地的には「アベイ」のほうが近いようです。
【ご覧になった後で】前半のサスペンスが後半はいろんな人の群像劇に転調
いかがでしたか?キャロル・リード監督にとって『落ちた偶像』『第三の男』の前に位置する作品ですし、『邪魔者は殺せ』のタイトルからしてもサスペンス映画としての先入観で見始めて、その期待通りに序盤から秘密結社のメンバーによって白昼堂々工場から金を奪う緊迫した展開になります。狭い部屋での密議からロケーション撮影によるオープンな感覚に一転する演出も鮮やかですが、ジェームズ・メイスン演じるジョニーが長い間の潜伏生活によって外の世界に戸惑う描写が早々に不安感を誘い、車から見た風景がゆらゆらと歪むショットつなぎはさすがキャロル・リードだなと感心させられます。
この眩暈のような感覚が逃走時のジョニーの失敗につながり、車に飛び乗ってから振り落とされるまでの短いショットつなぎは実に臨場感がありました。車の後ろの窓から倒れていたジョニーが立ち上がって走り出すのと車内で三人組が口論するのをカットバックするのも、観客も一緒になってどうしようかと迷ってしまうような緊急性が伝わってきます。そして負傷したジョニーが防空壕に隠れた後に街中に警察による捜査網が敷かれる様子を街のあちらこちらの様子を点描していくテンポも快調ですし、アジトに戻った三人組が責任を押し付け合ったりデニスが左腕に包帯を巻いてジョニーを探しに出ていったりする様子も、物語が多方向に進み出す感じが伝わってきます。
このあたりから時間の経過によって夜のシーンになり、三人組やデニスが警官たちの追跡を受けるところでのロバート・クラスカーによる夜間撮影が冴えてきます。細い石畳の道の奥から光があたってシルエットになった男が手前に走って来るショットや建物の壁面に警官たちの走る影が映し出されるショットはまさに『第三の男』の予告編といった感じで、キャロル・リードとロバート・クラスカーが本作の夜間撮影経験を二年後の『第三の男』で最大活用したんだなという連続性が確認できました。ベルファストの街で長期間ロケーション撮影をしたというのも、ウィーンでの現地撮影の練習になったことでしょう。
パットが信用できると言って匿ってもらった老婦人が密告して三人組のうち二人が警察によって撃ち殺されたり、ジョニーを防空壕から逃がすため囮になったデニスがバス車内で乱闘して捕まったり、そんな騒動を覗き見ては窓を閉めてしまう街の住人たちのショットが挿入されたりというところまでは、キャロル・リードらしい傑作サスペンス映画として十分な出来栄えだと思われました。防空壕にボールを追いかける女の子が出てきたり、デニスに小銭をせびって戦災孤児たちが群がったりするのも『第三の男』でボールを転がす男の子のユーモラスなシーンを想起させました。しかし実はこの映画は実に奇妙な構成になっていて、防空壕から出たジョニーが朦朧としながら街をさまよい歩く後半はサスペンスっぽい雰囲気から次第に逸脱していくのです。
トラックに轢かれたと勘違いして自宅にジョニーを連れて行く御婦人二人はコートのポケットに拳銃を見つけると逃走中の殺人犯であると悟ります。帰宅した夫は関わるなと云ってジョニーを放り出し、外は雨が降り出しています。辻馬車のキャビンに入り込んだジョニーは捜査網を潜り抜けて街の郊外へ。御者のジン・ジミーは警察に反感をもちジョニーの組織に親近感をもったようで、空き地の粗大ごみ置き場のバスタブにジョニーを押し込み、それを見ていた鳥飼いのシェルがジョニーの身柄が金づるになると考えて、トム神父に相談に行き、そこに警部に家宅捜索されたキャスリーンがやってきます。雨はいつの間にか雪に変わり、バスタブから電話ボックスを覗きつつ酒場に入るジョニーに対して、厄介ごとを避けようと個室に閉じ込めるバーテン、瀕死になったジョニーを絵に描こうとするルーキー、ジョニーの傷を見て完璧な応急処置をしてみせるトーバーとさまざまな街の人たちが次々に映画に登場しては去っていく展開になるのです。
サスペンス映画だったはずなのにいつの間にか群像劇のような雰囲気に変わっていき、なぜ群像劇になるかといえばジョニーがふらふらと街のあちらこちらをさまようからで、街の人たちが手配中かつ瀕死の殺人犯に対してどうふるまうかが人それぞれ全く違っているからです。観客は朦朧としたジョニーとともに新しい登場人物たちに囲まれるような感覚に陥り、夢にうなされるような気分で次ぐ次に立ち現れる寓話的なエピソードは眩暈のように感じられてしまいます。
サスペンスから転調した後半はジョニーを追いかけるキャスリーンが包囲された警官に発砲することで悲劇的な結末を迎えるわけですが、防空壕に偶然入ってきたカップルをはじめとしてジョニーと遭遇した街の人たちは一人残らずジョニーに寄り添って接することはありません。全員が自分の都合だけでジョニーを扱おうとします。親切心が仇になったと感じる御婦人二人、金づるを見つけたシェル、絵のモチーフ探しに利用するルーキー、腕試しに使う医者崩れのトーバー。その意味ではジョニーを愛しているというキャスリーンすら、自分の破滅願望のためにジョニーを利用して言ってみれば警官に発砲することで無理心中を成就させてしまいます。全員が殺人犯であり組織のリーダーであるジョニーを自分の良いように利用しようとする利己心というか自分勝手さが際立った後半は、サスペンスではなくジョニーをピエロ化してしまう市民たちの寓話だったといえるでしょう。
この奇妙な構成のためサスペンス映画としての完成度は大きく毀損されてしまったと思うものの、後半に出てくるキャラクターを演じた俳優の個性豊かな演技には圧倒されますね。鳥飼いシェルを演じたF・J・マコーミックとトム神父役のW・G・フェイの二人は1947年に亡くなっているそうで、本作が遺作になっています。絵描きを演じたロバート・ニュートンの存在感も強烈でしたし、アベイ座の役者たちのk個性を存分に引き出したのもキャロル・リードの別の功績かもしれません。(A041826)

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