日中戦争最中の中国大陸で長期ロケを敢行した火野葦平原作の戦争映画です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田坂具隆監督の『土と兵隊』です。昭和13年に改造社が出版した火野葦平の小説が原作になっていて、日活多摩川製作所が中国大陸で100日以上の長期ロケーション撮影を敢行して完成させました。戦後になって戦意高揚の国策映画だとしたGHQが接収したためフィルムが破損し、昭和43年に日活が再公開したのは114分の短縮版でした。最近になって国立映画アーカイブが日活所蔵原版からオリジナルの155分に近い153分バージョンを作製しまして、戦前に公開されたものに最も近い形で見られるようになりました。
【ご覧になる前に】応召された火野葦平は杭州作戦に従事した下士官でした
輸送船の中で将校が中隊長を集めて杭州湾に敵前上陸する作戦の遂行を伝えます。中隊長が小隊長に、小隊長が分隊長に上意下達で命令を下しますが、第二分隊では玉井伍長が13名の兵隊に対して「力を合わせて元気でやろう」と訴える姿がありました。酒を飲み交わし軍歌を歌う兵隊たちは餌をやりながら軍馬を励まします。翌日敵の砲弾が炸裂する平原の中を兵隊たちは突っ走り、猛反撃を受けながらも敵前上陸を完了させるのでしたが…。
明治40年(1907年)福岡県に生まれた火野葦平は小倉高校から早稲田大学に進み労働運動に身を投じますが検挙されて転向し、文学の道に入ります。昭和12年「糞尿譚」の発表直後に応召されて杭州湾敵前上陸作戦に従事、当時三十歳だった火野は兵隊たちから信頼される下士官だったそうです。従軍中に「糞尿譚」の芥川賞受賞が決まり、その存在が軍部の目に留まった火野葦平は陸軍報道部に転属。戦地から送った従軍記「麦と兵隊」で人気作家となった火野が続けて発表したのが「土と兵隊」で、以降火野葦平は日本兵の勇敢さを伝える著作を書き続けたのでした。
戦後は軍部に協力的だったということから一時期追放指定を受けたものの、自伝的長編「花と竜」を発表するなど再び流行作家に返り咲きます。昭和35年に五十三歳で没したのですが、遺書が残されていて睡眠薬自殺だったことがわかり、昭和47年に遺族からその真相が明らかにされました。死後刊行された「革命前後」のあとがきでは自らの戦争責任に言及していたそうで、「或る漠然とした不安のために」という遺書の言葉はそれを差していたのかもしれません。ちなみにアフガニスタンで医療活動や用水路の整備に従事しながら非業の死をとげた中村哲は、火野葦平の甥にあたるということです。
脚色をした笠原良三は「若大将シリーズ」や「社長シリーズ」など東宝ドル箱映画の脚本家として活躍する人。昭和11年に日活多摩川撮影所に入社して昭和16年には新興キネマ脚本部に転属していますので、本作は日活時代の笠原良三にとっての代表作というか初仕事といえるでしょう。本作は日活多摩川撮影所が製作していますが、太平洋戦争が始まると内閣情報局の指示で戦時企業統合が進められ、日活の製作部門は新興キネマ・大都映画と統合されることになり、昭和17年に大日本映画製作株式会社すなわち大映が誕生します。このときに暗躍したと噂されたのが永田雅一で、日活が戦後に映画製作を再開するのは昭和29年のことになります。
その日活多摩川撮影所で活躍していたのが監督の田坂具隆で、昭和13年に発表した『路傍の石』『真実一路』は山本有三の小説の映画化で、『五人の斥候兵』は戦争映画でした。特に『五人の斥候兵』は第6階ヴェネツィア国際映画祭でイタリア民衆文化大臣賞を獲得し、海外で映画賞を受賞した最初の日本映画だったと言われています。田坂具隆は昭和20年に召集されて入隊した広島で原爆に遭い、被爆者として後遺症を抱えながらも『女中ッ子』や『五番町夕霧楼』などの秀作を発表。昭和49年に七十四歳で亡くなりました。
キャメラマンの伊佐山三郎は『五人の斥候兵』でも田坂具隆とコンビを組んでいて、戦後も『乳母車』『陽のあたる坂道』などの田坂作品で撮影を担当し続けました。また主演の玉井伍長をつとめる小杉勇も田坂具隆に重用された人で、日活多摩川撮影所時代の田坂作品にはほとんど出演していますし、田坂具隆の後押しで小杉勇が監督業に進むことになりました。出演者では小杉勇のほかには、見明凡太郎が工兵中尉約で、高品直吉(高品格)が谷村一等兵役で出ています。
【ご覧になった後で】突撃場面は冗長なのに伍長と兵隊の結束が伝わります
いかがでしたか?復元最長版ということで2時間半を超える長尺作品ですから、途中で眠気に負けそうになることしばしばでした。特に杭州上陸後に平原で撃ち合いをした末に撤退指令を受ける序盤の戦闘シーンはストーリーらしきものがなくキャラクター設定もわからないままに始まるので、はっきり言うと半醒半睡状態で見ていました。しかし乗本一等兵が敵弾に倒れて部隊長の進言によって荼毘に付されるあたりから、個々の兵士がなんとなく伝わり始め、内藤一等兵が体調を崩し高橋一等兵が足に重傷を負う展開になると、観客は第二分隊とともに行軍しているような気分になってきます。二人が後送され泥道をひたすら歩き続ける中盤は純粋な映像だけで進むので、言葉を発することもなく黙々とひたすらに前進することだけが兵隊の役割なのかという戦争の現場実態がひしひし感じられたのでした。
中隊に属する多くの兵隊が移動を続ける映像が圧巻でして、田坂具隆の演出なのか伊佐山三郎のキャメラなのか、はたまた実際の記録映像を使っているのかわかりませんけど、悲惨な戦争を描く映画なのに平山郁夫が描いたシルクロードの絵画のような美しさが立ち上がってくるのです。上半分が兵隊の行進で下半分が崖になっている望遠レンズで撮ったショットや橋の上を渡る兵隊とそのシルエットが川面に映る上下二分割構成のロングショットなどは、デジタルリマスターも施されていない昔のフィルムの粗いモノクロ映像なのにこれはいい写真だなあと感じさせられるような美的感覚が表現されていました。
中盤以降は小杉勇演じる分隊長のキャラクターが際立ってきて、勇猛果敢であると同時に思いやりもあり包容力をもって兵隊を統率する頼もしいリーダーに見えてきます。兵隊たちも「分隊長はここで休んでいてください」などと言って敬う姿勢を見せるので、まるで黒澤映画に出てくる師弟関係のような下士官と兵士が日本陸軍にもいたんだなと思わず信じてしまいそうになりました。これは田坂具隆のオーソドックスな演出によるものも大きく、小杉勇はしばしばクローズアップショットでその表情をとらえて心情を直接見せていく一方で、兵士ひとりひとりにはキャメラは寄らずに兵隊を集団として扱うので、小杉勇対個人の関係ではなく小杉勇対集団のヒエラルキー構造が浮き出てくるのです。
そのヒエラルキーが結束感に直結していて時代劇における主従関係というか忠臣たちを見ているような気分にさせるのが本作の一番の魅力かもしれませんし、国策映画としての隠された誘惑でもあったのでしょう。戦後になって日本映画界は日本陸軍の残虐さを描き始めるわけで、山本薩夫監督の『真空地帯』のような陰湿なイジメや上官による暴力は当然のごとく日常茶飯事として行われていたことは間違いありません。しかしながら陸軍のすべての兵隊がイジメと暴力に支配されていたのではなく、中には本作の小杉隊みたいに分隊長と兵士たちが互いに思いやり同志的に結びつきながら果敢に戦闘行為に挑むというケースもあったのでしょう。上からの命令は絶対という軍のシステムも末端に行けば行くほどリーダーの力量によって集団の在り方は違っていたのは間違いありません。観客はたまたま優れたリーダーシップを持つ小杉勇という分隊長の在り様を目撃し、その分隊長を慕い従う兵隊たちに接するのです。その意味において本作は戦意高揚映画とも言えるでしょうし、珍しくも軍の中に存在した理想的小隊の記録映画とも言えるかもしれません。
終盤はさらに激烈な突撃シーンが続き、制圧しても次々に現れるトーチカ相手に果てしのない戦いが延々と映されるに至っては心底げんなりしてしまいます。ここらへんは中国本土の軍の協力なしには撮影できなかったと思いますが、突撃する最前線の兵士たちと後方から前進を支援する砲撃部隊との連携がうまく映像化できておらず、こんなに混乱しているのなら相撃ちなんてしょっちゅうだったんだろうななんて思いながら見ることになりました。もう少し戦略面でのアドバイスを受けるべきだったと思います。
冗長な戦闘シーンがやっと終わって、破壊された現地民の家屋に腰を落ち着けた兵隊たちが洗濯をしたり川で沐浴したりする姿が出てくると長尺をつき合ってきた観客もある種の開放感を味わうことができます。小杉隊が輪になって鍋をつつく姿をやや俯瞰で撮ったロングショットにはのんびりとした平和な雰囲気が感じられて、戦争の対義語としての平和の有難さが実感できました。しかしその平和もつかの間、進撃の命令ですぐに身支度を整えて出発する兵隊たちの長い隊列が映し出されて、バケツリレーで水をためた露天風呂がぽつねんと残された長いショットが続きます。はたして小杉隊の兵士たちは風呂に入れたんでしょうか。そこが気になってしかたないような気持ちになるエンディングでした。(T040826)

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