稲妻(昭和27年)

成瀬巳喜男監督が『めし』に続いて林芙美子の小説を映画化した作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『稲妻』です。成瀬巳喜男が昭和26年の『めし』に続いて林芙美子の小説を映画化したのが本作ですが、原作となった『稲妻』は林芙美子が『放浪記』を発表して流行作家になった翌年の昭和11年に発表されたものです。成瀬巳喜男といえば女性を描くことが得意といわれていまして、本作も例外ではなく、主人公は母と姉二人に囲まれてその姻戚関係に引きずり込まれて暮らす姿が描かれています。

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都内観光のバスガイドをして働く清子には姉の縫子・光子、兄の嘉助がいますが、四人兄弟それぞれの父親が違うという環境で育ってきました。母と同居している独身の清子に姉の縫子が見合い相手として紹介したパン屋の綱吉は、旅館経営などを手がける如才のない男ですが、三十五歳と聞いた清子は縁談には気乗りがしません。そんなとき光子は夫が一晩帰ってこないと心配していたのでしたが…。

成瀬巳喜男は林芙美子の小説を合計六作映画化していますが、昭和27年になって戦前の小説『稲妻』が映画化されたのはなぜなんでしょう。林芙美子は昭和26年に四十七歳の若さで急逝していますので、もしかしたら映画会社としては若くして亡くなった女流作家の映画化ならなんでもいいからすぐに作ってしまえ、という事情だったのかもしれませんね。そんな経緯はともかくとして、成瀬巳喜男は本作のあとも『妻』『晩菊』『浮雲』『放浪記』と長きにわたって林芙美子原作に取り組むことになります。
原作ものなのでいかに映画に脚色するかがポイントになるわけですが、本作は『めし』と同じく田中澄江が脚本を書いています。田中澄江は戦前に戯曲家として活動していた人で、戦後になって『我が家は楽し』で映画の脚本を書くようになりました。登山が趣味で「花の百名山」などの著作を残すなど、女性登山家としても草分けの存在だったそうです。現在ではシナリオライターといえば女性のほうが多数派ですが、戦後すぐの時代では女性脚本家などほんの数人しかいませんでした。そんなときに成瀬巳喜男はあえて女性である田中澄江に脚本を書かせることで、原作の持ち味を殺さないようにしたのでしょう。成瀬巳喜男の指導のもとで映画監督に進出した田中絹代も監督第三作『乳房よ永遠なれ』であえて田中澄江を脚本に起用しています。

成瀬巳喜男は松竹からPCL(後の東宝)に移籍して、その後フリーの立場で映画を撮りますが、戦後は基本的に東宝で映画を撮ることがほとんどでした。よって成瀬組と呼ばれるスタッフたちが常連として成瀬巳喜男を支えていたのですが、本作は大映で撮った作品です。成瀬組から呼ばれたのは音楽の斎藤一郎くらいで、撮影や音響、美術などの主要スタッフはすべて大映のメンバーで固められています。しかしながらスタッフの扱いにかけては成瀬巳喜男は職人でしたから、棟梁としての腕前を発揮していつもの成瀬巳喜男トーンの映画をそのまま作り上げています。

主演の高峰秀子はバスガイドとして働く自立した女性として登場します。昭和16年に成瀬巳喜男監督のもと『秀子の車掌さん』でバスガイド役は経験済みですので、本作でも抑揚のないバスガイド特有の車内アナウンスを披露しています。ちなみにこの都内観光は「はとバスツアー」のようで、東京見物に来た地方客をターゲットに東京駅発着の名所めぐりコースを運行している設定になっています。はとバスは昭和23年に設立されて、その翌年には女性ガイド一期生を採用し都内定期観光バスの半日コースを売り出しています。本作で高峰秀子がバスガイドとして登場するのは、はとバスとのタイアップの側面もあったのかもしれません。

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いかがでしたか?兄弟全員父親が違うという設定もエグイのですが、長姉縫子の下品さと次姉光子のもどかしさと結局はその両極端な二人が金貸しの綱吉の餌食になってしまうという展開もドロドロのグドグドでしたね。おまけに兄の嘉助のだらしなさと義兄の龍三のなさけなさは原作を書いた林芙美子が男運がなかったのか心底男を軽蔑していたのか、とにかく男性への不信感を丸出しにしたストーリーは、見ていても決して気持ちのよいものではありませんでした。しかもこうしたどうしようもない一家と対照的に清子の下宿先の隣家に住む兄妹がなんと理想化されていることでしょう。妹をピアニストにするのを兄が応援し洗濯までぜんぶ兄がやってあげて、清子が訪ねると自然とメロンが出てくるなんて、あまりに出来過ぎていて、清子の境遇を不幸に見せるためだけに出てきた架空の兄妹のように見えてしまいましたね。

かたや浦部粂子がやる母親の飾り気のない素のままの感じはなんと清々しいことでしょう。どうして夫を変えたのかは一切描かれていないので、戦争で死に別れたのか単に離婚しただけなのかは定かではありませんが、ひとりの夫にひとりずつ子をこしらえて、悪びれることもなくただ分け隔てなく四人の子を育て上げた真摯さが浦部粂子の存在感を通してしっかりと表現されていました。結局、本作の登場人物は善悪というか清濁がはっきりと分かれてしまって誰もがステレオタイプ的キャラクターに見えてしまうところが欠点ではあるものの、それを補うように浦部粂子の母親が裏表も右左も一緒くたにしてシンプルに生きる姿を示しています。それが本作の読後感をさわやかなものにしているのかもしれません。

その母親と清子の対立と和解が映画のクライマックスになっていて、そこでの成瀬巳喜男の演出が静かな炎のように的確で、見ていてもこれぞドラマの見せ方だなあと感心させられました。切り返しのタイミングとショットのサイズ、ちょっと引いて二人をフルで収めるショットのインサートの仕方、そして俳優の動かし方。別にテクニックを目立たせるわけでもなく、個性的な手法にこだわるわけでもないのですが、母娘の心理を描くにはこれしかないというくらいに映像がきっちりと組み立てられています。その教則本のように構築された映像は面白味はないかもしれませんが、観客の引き込み力は抜群に強いのです。これこそが職人監督である成瀬巳喜男の真骨頂だったのではないでしょうか。

昭和27年の東京の日常生活がどのようなものだったのか、本作にはそれが映像として記録されていました。木造建築が並ぶ狭い路地を行商が行き交う姿が繰り返しインサートされていて、豆腐屋だったり刃物屋だったり修理屋だったりします。また現在のようにクレジットカードや電子マネーなどはないわけですから現金がすべて。なので親戚とか知り合いとかいうだけですぐにお金の貸し借りの話になるのが日常でした。道は舗装されてなんかおらず、朝には家の前を打ち水してホコリが立たないようにしなければなりません。そのような風景はもう失われてしまった、というか、そんなことはしなくてもいい世の中になっているわけですね。でも生活する人々の近しさが妙に懐かしいような気分になってしまう面もありますでしょうかね。いや、やっぱりないですね。(Y123121)

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