大巨獣ガッパ(昭和42年)

当時ピークを迎えていた怪獣ブームにのって日活がつくった怪獣映画

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、野口晴康監督の『大巨獣ガッパ』です。怪獣映画の元祖はもちろん『ゴジラ』を生み出した東宝ですが、ギングギドラが初登場した『三大怪獣 地球最大の決戦』が公開されると、にわかに「怪獣ブーム」が沸き起こります。昭和四十一年七月にテレビで『ウルトラマン』の放映が始まると、怪獣ブームは頂点に。すでに『ガメラ』を生み出していた大映は、昭和四十二年三月『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』を大ヒットさせます。同じ月に松竹が『宇宙大怪獣ギララ』を公開すると、そのすぐ翌月には日活がこの『大巨獣ガッパ』を封切りました。日本映画が斜陽の時代、とりあえず怪獣映画を作っとけ、みたいなノリだったのかもしれません。

【ご覧になる前に】皮肉がきいたストーリーと意外にも出来のいい特撮

「プレイメイト」を発刊する雑誌社は、南国のテーマパークをつくってリゾート事業を始めようとしています。南方の島を訪れた調査隊は、卵からかえったばかりの鳥に似た巨大な生物を発見、テーマパークの目玉にしようと日本に連れ帰ります。ところが子どもには巨大な親がいて、二頭の親ガッパは日本を襲撃するのでした…。

怪獣映画の製作においては、日活は最後発だったので、ガッパの造形については鳥と天狗の合体というコンセプトでデザインされたそうです。けれどもガッパが海からあがって街並みを破壊する場面の特撮は、これがなかなかけっこう頑張っていて、東宝の円谷組には勝らないけれども劣ってもいません。この映画の特撮には「株式会社日本特撮映画」という特撮技術集団が協力していますが、円谷プロで特撮の基礎を学んだ人たちが路線の違いから独立した会社でした。道理で出来がいいはずです。

レジャー産業へ進出するのは、雑誌社社長の独善的な暴走行為というように描かれています。このころの日活映画の社長は堀久作。堀は早くから水族館やホテルなど映画以外の事業に資金をつぎ込んだワンマン社長でした。『大巨獣ガッパ』の製作当時は、会社と労働組合の関係が悪化していた時期でしたので、この映画に出てくる雑誌社社長は、たぶん日活の堀社長をモデルにカリカチュアライズされたキャラクターかもしれません。

【ご覧になった後で】他社と違って、ガッパは狂暴な怪獣ではありません

怪獣ブームの端のほうに位置する作品なので、怪獣映画を語る際にもあまり話題にのぼることが少ない本作ではありますが、日活の製作現場が精一杯がんばっている感じがして、なかなか好感がもてる仕上がりになっています。特に親ガッパの設定。なにも日本を破壊にきたわけでもないですし、原爆や水爆の実験で狂暴化したのでもなく、単にかわいい我が子を取り戻そうと追いかけたきただけのこと。だから、ガッパの進撃をとどめようと重火器で砲火を浴びせる場面は、なんだかかわいそうな感じがしてしまいますね。

かつてはテレビドラマの「となりの芝生」などできれいな主婦役を得意としていた山本陽子。この映画であまりに若くて奇麗なので驚いてしまいました。日活ではたくさんの映画に出演しているものの、これという代表作に恵まれなかったようです。ほかには藤竜也がちょっと変な日本語を使う二世役で出ているくらいで、配役は今ひとつと言ったところでしょうか。

それよりもインパクトがあるのは、美樹克彦が歌う主題歌ですよね。東宝の怪獣映画なら伊福部昭のマーチか荘厳なオーケストラ曲が流されるタイトルバックでの、ギターとビッグバンドの演奏にのったこぶしの効いた演歌的な歌い方。「火をふく島か、空飛ぶ岩か、宇宙の神秘、怪獣ガッパ、南の海の、波間に深く、幾万年も住んでるという」。映画が始まっていきなりトップギアに入れたかのようなこの歌が、映画の中でいちばんの盛り上がりになってしまっていて、今でもこの歌の個性は十分に通用すると思われます。

子どもの頃に映画館で見た記憶がある作品なのですが、その記憶がいつどのように間違って上書きされたのか、次のようなラストだと思い込んでいました。「子ガッパに会えた喜びで、親ガッパが涙を流す。そのひとしずくがガッパの足に落ちると、それがニトログリセリンのように落下した衝撃で大爆発し、ガッパは親子もろとも木っ端みじんになってしまう」。どうでしょうか。親子が仲睦まじく南の島に帰っていくよりは、劇的だと思うのですが…。(A090621)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました