昭和二十年以前

昭和二十年以前

新しき土(昭和12年)

戦前に日本とドイツが共同製作した原節子主演作にはふたつのバージョンがあり、DVDなどで見られるのはアーノルド・フィンク監督の日本語&ドイツ語版ですが、同時に伊丹万作が監督したものもあり、本作はドイツ語部分が英語に差し替えられています。
昭和二十年以前

白蘭の歌(昭和14年)

久米正雄が東京日日新聞と大阪毎日新聞に連載していた小説が原作となっていて、日本人の鉄道技師と満州の富豪令嬢との恋愛を描いています。映画化は創設されたばかりの東宝と満州に設立された満州映画協会の合作で進められました。
昭和二十年以前

十字路(昭和3年)

『狂った一頁』に続いて衣笠貞之助が松竹京都撮影所で作ったのがこの『十字路』で、映画が完成すると衣笠は松竹を辞めてロシアを経由してヨーロッパに渡り、本作を「ヨシワラの影」という題名にして公開することになりました。
昭和二十年以前

生きてゐる孫六(昭和18年)

昭和18年7月公開の松竹映画『花咲く港』でデビューを果たした木下恵介の監督第二作で、同年11月に公開されました。脚本も木下恵介のオリジナルで、名刀「関の孫六」をモチーフにしながら因習に縛られる地方の村での騒動を喜劇的に描いています。
昭和二十年以前

乙女ごころ三人姉妹(昭和10年)

成瀬巳喜男が独自のトーキー技術を開発したPCLに移籍して初めて監督したのが本作で、松竹ではサイレント映画しか作れなかった成瀬巳喜男はやっとのことでトーキーを手に入れることができたのでした。
昭和二十年以前

兄とその妹(昭和14年)

島津保次郎は松竹蒲田撮影所で「小市民映画」スタイルを確立して松竹を代表する名監督でしたが、本作はその島津保次郎の代表作とされる作品です。兄夫婦宅に妹が同居している三人家族を主人公にしていて、兄を佐分利信、妹を桑野通子が演じています。
昭和二十年以前

続 姿三四郎(昭和20年)

『姿三四郎』がヒットして内務省の検閲にも通りやすい続編を作るのが安パイでもあり、黒澤明も会社に命じられるままに監督するしかなかったのでしょう。藤田進と月形龍之介のライバル同士を含めてほとんど同じ顔触れで続編が作られました。
昭和二十年以前

歌ふ狸御殿(昭和17年)

戦時統合で大映が設立された年の11月に公開されたのがこの『歌ふ狸御殿』で、継母や義姉にいじめられるシンデレラを元ネタにしてカチカチ山のタヌキ伝説を取り入れたオペレッタ風ミュージカルになっています。
昭和二十年以前

花咲く港(昭和18年)

松竹で島津保次郎のもとで助監督をしていた木下恵介は本作で初めてメガホンをとることになり、同時に木下作品のほとんどでキャメラを回すことになる楠田浩之もこの作品で撮影助手から撮影技師に昇格を果たしました。
昭和二十年以前

泣蟲小僧(昭和13年)

原作は林芙美子の短編小説で、脚本八田尚之・監督豊田四郎のコンビで映画化されました。この二人は前年の昭和12年に石坂洋次郎原作の『若い人』を初めて映画化していて、それぞれ文芸路線で活躍することになります。
昭和二十年以前

姿三四郎(昭和18年)

黒澤明は富田常雄の原作が出版される広告を見て、プロデューサーの森田信義に「これを買ってください」と頼んだそうです。公開されるや大ヒットを記録して、黒澤明はここから日本を代表する映画監督の道を歩み始めることになったのでした。
昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
昭和二十年以前

兄いもうと(昭和11年)

日本映画史においては昭和28年に成瀬巳喜男監督が京マチ子主演で撮った大映版の『あにいもうと』が有名ですが、実は最初に映画化したのは東宝になる前のPCL映画製作所においてで、監督はPCLの主力だった木村荘十二がつとめました。
昭和二十年以前

綴方教室(昭和13年)

生活綴方教育がさかんに行われていた当時、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
昭和二十年以前

大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
昭和二十年以前

エノケンの近藤勇(昭和10年)

浅草出身のコメディアン榎本健一はエノケン劇団を松竹座で立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。ピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。
昭和二十年以前

暖流(昭和14年)

昭和14年の公開時には「前篇 啓子の巻」(94分)と「後篇 ぎんの巻」(83分)が一挙上映されました。現存しているのはその前後篇をくっつけて2時間4分にまとめて昭和22年に再上映された総集編バージョンのみで、50分強がカットされた計算になります。
昭和二十年以前

あの旗を撃て(昭和19年)

太平洋戦争における日本軍のフィリピン攻略でのコレヒドールの戦いを描いていて、フィリピン占領後に製作されたこともあって捕虜になったアメリカ人や現地のフィリピン人が多く出演している珍しい作品です。
昭和二十年以前

警察官(昭和8年)

本作は昭和8年の新興キネマの作品でして、松竹の傍系の会社でもありトーキーではなくサイレントで製作されています。しかしながらサイレント映画ならではの映像表現が詰め込まれていて、本分を果たそうとする警察官の奮闘と苦悩を描く内田吐夢の演出力が堪能できる作品です。
昭和二十年以前

ハナ子さん(昭和18年)

昭和18年は太平洋戦争の敗戦を予測する軍人も一部に現れた頃でしたが、そんな時期に映画法の検閲の元で国威発揚映画としてミュージカル映画が作られていたのでした。監督は名前の表記をコロコロ変えるマキノ正博で、「雅弘」ではなく「正博」だったときの作品です。
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