兄とその妹(昭和14年)

佐分利信と桑野通子が兄妹を演じる島津保次郎監督のホームドラマ決定版です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、島津保次郎監督の『兄とその妹』です。島津保次郎は松竹蒲田撮影所で「小市民映画」スタイルを確立した松竹を代表する監督のひとりでしたが、本作はその島津保次郎の代表作とされる作品です。兄夫婦宅に妹が同居している三人家族を主人公にしていて、兄を佐分利信、妹を桑野通子が演じています。本作が公開されたのは昭和14年4月で、5月には満州とモンゴルの国境でノモンハン事件が勃発していますし、9月にはヨーロッパで第二次大戦が始まります。そういう時期にホームドラマの決定版のような映画が作られていたことには驚くほかありません。評論家たちからも高く評価され、キネマ旬報ベストテンで第4位にランクインされています。

【ご覧になる前に】島津保次郎は本作を最後に松竹を去り東宝に移籍しました

深夜の住宅街を歩いて自宅に戻った間宮は風邪気味の妻あき子を気遣いますが、毎晩帰宅が遅くなるのは会社の部長の碁に付き合わされているからでした。隣室で寝ている妹文子の足を踏みつけた間宮は翌朝文子にトーストを焼いてもらいながらあき子のために医者を呼ぶよう言われます。会社に出勤した間宮は経理部の係長から部長の相手をしていることを労われますが、係長の座を狙っている行田は間宮のことを快く思っていません。そんな間宮に妹文子は昼食を一緒に食べようと電話で誘います。文子は貿易会社に勤めていて上司の日本語を英文にしてタイプするほどの才媛で、その仕事ぶりを見た取引先の青年有田は文子を食事に誘うのですが…。

明治生まれの島津保次郎は父親の友人の紹介で小山内薫の門下生ということで松竹蒲田撮影所に入所したものの、その小山内薫が設立した松竹キネマ研究所に移ります。小山内薫の映画改革志向が商業主義の松竹蒲田と合わなかったことが原因だったようですが、結果的には製作プロダクションとしての松竹キネマ研究所はうまく行かず一年も持たずに閉鎖されてしまい、島津保次郎も蒲田に戻ることになりました。大正11年に監督デビューした島津は松竹蒲田撮影所長に就任した城戸四郎のもとで普通の暮らしを送る生活者の日常を描いた「小市民映画」を確立することとなり、松竹蒲田を代表する監督に昇りつめていきます。

昭和6年に松竹が土橋式松竹フォーン方式を開発して日本初のトーキー映画を製作することになると、島津保次郎は初のトーキーを監督するのは自分しかいないというほどトーキー製作に意欲を燃やします。しかし撮影所長の城戸が選んだのは五所平之助。『マダムと女房』の公開から半年以上経過した頃にやっと島津は自身の初トーキー作品『上陸第一歩』を作りましたが、当時のトーキーは録音を最優先するために土橋兄弟が撮影現場で絶対的発言権を持っていたため、城戸四郎が大監督となっていた島津では土橋兄弟と衝突するだろうと踏んで若い五所平之助にトーキー第一作を任せたようです。その後トーキーを手の内にいれた島津保次郎は昭和9年に『隣の八重ちゃん』、昭和10年には『春琴抄 お琴と佐助』といった傑作を次々に発表していくことになりました。

この『兄とその妹』は島津保次郎にとって150本近い作品を撮り続けた松竹における最後の一本となりました。本作完成後、島津は東宝に移籍し原節子主演の『嫁ぐ日まで』などを作りますが、戦争が始まると東宝は率先して戦意高揚映画製作にシフトしていきます。島津も満映との合作で李香蘭が主演した『誓いの合唱』を作りますが、松竹時代のような傑作を残すことなく、敗戦の翌月に胃癌でこの世を去りました。享年四十五歳の早すぎる死でした。

島津保次郎は蒲田時代から自らシナリオも書き、オリジナル脚本を自分で監督するというスタイルを切り開いた人でした。本作も島津保次郎が脚本を書いていて、もちろん原作はないので島津保次郎のオリジナル脚本です。松竹大船撮影所では大御所となっていた島津保次郎ですから、たぶん本作は配役を想定してアテ書きされたのではないかと思われ、兄役の佐分利信、妹役の桑野通子、妻役の三宅邦子の三人がぴったりと役にはまった演技を見せています。そこに上原謙や坂本武、河村黎吉、菅井一郎らがからんできて、脇役も非常に豪華な顔ぶれになっています。

【ご覧になった後で】都会的で洗練されていて昭和14年製作とは思えません

いかがでしたか?この映画が昭和14年製作とはにわかに信じがたいくらいに都会的で洗練された作品でしたね。東京近郊(駅のアナウンスが蒲田でしたね)に住み、丸の内あたりのオフィスに勤め、社内には出世争いする者があり、妹は貿易会社で英語を流暢に扱い、誕生日には女学校時代の友人たちを呼びパーティを開く。舞台が日本家屋でなければパラマウント映画のファミリードラマを見ているような気分になってきます。ラストで大陸に飛び立つという設定が日中戦争が本格化していく当時の情勢を伺わせるだけ。それ以外はいたって平和でいたってのんびりとした妹の結婚にまつわる日常が描かれていて、松竹としてはあくまでも「小市民映画」路線を堅持して、せめて映画の中だけは平和を保とうとしたのかななんて思ってしまいました。

本作のベースはやっぱり島津保次郎のオリジナル脚本のうまさです。ファーストシーンで深夜の道を自宅に帰る佐分利信が後ろから迫ってくる足音を気にしながら早足になるところだけが本作の中では謎でして、なんであんな不安感をあおるようなファーストシーンにしたのかわかりかねたのですが、その後は不安とか不安定とかいう感じは一切なくなって、きわめてナチュラルでリベラルで微笑ましい家庭生活が描かれます。佐分利信は帰宅するなり靴下やシャツを乱暴に脱ぎ捨てて三宅邦子に着物をはおらせてもらうわりには、妻の発熱を気にしておでこに手をやったり早く帰ってきた日には雑巾がけや風呂の焚きつけまで率先してやります。桑野通子を交えて箱根にハイキングに行ったりするのも、とても仲の良い家族像で、結婚話も桑野通子の意思をきちんと尊重します。島津保次郎の脚本からは本当に自由で闊達な登場人物たちの価値観や生活感が伝わってきますね。

同時に仕事生活もきっちり描けているところが秀逸でした。佐分利信の勤勉で実直で勤務態度を描きながら、水島亮太郎の健全な係長と河村黎吉のずるい同僚をうまく対比させて、正直なだけでは立ち行かない、出世欲と嫉妬がからみあう会社の現実をややユーモアを交えて表現していくところがうまかったです。妹を部長に差し出すという流言飛語を聞いて佐分利信が辞表を書く展開には、結果的に佐分利信が会社を辞めれば桑野通子が何も懸念せずに上原謙と結婚できることになるなと思わされるのですが、そうならずに家族三人で大陸を目指すのもあとくされのない捌き方でした。本作が島津保次郎の代表作と言われるのはひとえに脚本の出来の良さに因っているのではないでしょうか。

佐分利信と桑野通子と三宅邦子が実に自然な演技をしていて、だからこそアテ書きだったのではないかと疑うのですが、まさに役にぴったりの雰囲気を出していましたね。佐分利信が笠智衆の家に行き仕事に誘われ思わず安心して泣いてしまう場面などは、佐分利信らしくないのですが、佐分利が間宮になり切っているので観客も思わずホロリとさせられますし、桑野通子と三宅邦子の義理の姉妹の会話もわざとらしさが一切なく、義理だけと本当に仲の良い関係ってあるよねと思わせてくれます。会話の中にあえて「自由意志においては」とか難しめの言葉を入れるのが当時流行していたんでしょうか。そんなところも普通のセリフに聞こえるので、この三人の演技は見ていて実に気持ちの良いものでした。

当時の流行といえば、桑野通子のファッションはこんな派手なコートを着る女性がいたんだろうかと思うもののあまりに桑野通子に合っているので不自然に感じられませんでした。女学校の友人たちの着物や洋装もお洒落でしたし、桑野通子が出がけに佐分利信の靴をササっと磨くところなんかも身だしなみに気をつけている品の良さが出ていました。また食べるものも注目で、アイスクリームた栗羊羹などお菓子がところどころに挿入されていて、ちょっと贅沢な雰囲気を味わえる仕掛けになっていました。

そして本作にほんのちょっと違和感を与えているのが島津保次郎の映像演出で、佐分利信が仕事に行っている時間帯、自宅の三宅邦子を映す場面では、庭あたりからやや引き気味で三宅邦子をとらえるショットが使われています。この「やや引き」の距離感が普通のホームドラマと違っていて、三宅邦子を突き放して客観的に分析するような気配を感じます。まあ現在的なホームドラマはバストショットくらいの寄りの絵を切り返すみたいなのが当たり前になっているので、それと違うので違和感を持つのかもしれませんが、間宮家の様子は佐分利信が着替えたりするのも友人たちのパーティもいずれも引きの構図が中心なんですよね。これが本作に独特の雰囲気をもたらしているような気がして、オリジナル脚本は抜群に面白くナチュラルに出来上がっているのに、映像ではその自然さを自然に受け止めさせないように客観視する視点を持っています。このアンビバレンツな感じが『兄とその妹』をアメリカナイズされたハリウッド映画調に見せているのかもしれません。

本作は昭和31年に東宝でリメイクされていまして、兄を池部良、妹を司葉子、妻を原節子が演じているそうです。原節子と司葉子が義姉妹を演じているのは大注目で、小津の『秋日和』『小早川家の秋』の4~5年前にすでにこの二人が共演していたとは知りませんでした。ちなみに監督は「社長シリーズ」で有名な松林宗恵でした。(T121223)

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