戦時統合された大映がシンデレラを元ネタにしたミュージカルを作りました
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木村恵吾監督の『歌ふ狸御殿』です。太平洋戦争が始まって内閣情報局は映画界の再編を目的に映画会社を戦時統合することになり、昭和17年に大日本映画製作株式会社(大映)が設立されました。その年の11月に公開されたのがこの『歌ふ狸御殿』で、継母や義姉にいじめられるシンデレラを元ネタにしてカチカチ山のタヌキ伝説を取り入れたオペレッタ風ミュージカルになっています。木村恵吾が原案から脚本、監督を担当して生まれたタヌキシリーズは戦後になっても継承され、木村恵吾自身も昭和34年に本作をリメイクした『初春狸御殿』を作っています。
【ご覧になる前に】ミュージカルナンバーは古賀政男が作曲しているようです
カチカチ山で死んだ父親狸の墓に酒をお供えしているのは娘のお黒。家に帰ると継母のおたぬから小言をもらい義姉のきぬたからは下女扱いされ、お黒は森に戻ってきぬたよりも白木蓮の花のほうが美しいのにと嘆きます。それを聞いたきぬたは河童のぷく助に命じて白木蓮の大木を切らせますが、森が乾いてしまうと言ってお黒が止めさせると、霧の中から白木蓮の精が現れてお黒の姿をさぎり姫に変え、暁の鐘が鳴り終わるまでに帰るように伝えます。狸御殿で開催されるお祭りにさぎり姫が現れると、若殿狸吉郎はきぬたを無視してさぎり姫を見初めるのですが…。
映画の撮影や上映に使用されるフィルムは、ニトロセルロースという材料で作られていて、燃えやすいことからしばしば撮影所やフィルム倉庫が火事になることもありました。このことからもわかるようにニトロセルロースに各種の添加剤を加えたものが火薬となり、多くの工場で爆薬を作るためにニトロセルロースが必要とされたのです。となるとあおりを受けたのは映画界で、内閣情報局は映画用フィルムで使用できるニトロセルロースを制限するためにも、映画産業全体への規制を強化することにしたのでした。
情報局はまず映画産業を製作・配給・興行の段階ごとに統合することにして、製作会社を二社にして撮影用フィルムを絞り、配給会社を一社にして上映用プリントの本数を圧縮する方針を打ち立てます。当時は最も歴史の古い日活が経営不振から松竹と東宝に株を握られていて、松竹と東宝の二社にその他の映画会社が吸収されるんだろうという見方が一般的でしたが、そこに反旗を翻したのが永田雅一。永田雅一は松竹の資本が入った新興キネマの京都撮影所長に過ぎませんでしたが「二社では競争がなく談合が生まれる」「もう一社増やして国策映画専門会社とすべき」などと強硬に主張します。松竹か東宝のどちらかに取り込まれることを嫌った日活も三社体制案に賛成したため、結果的には日活・新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画製作株式会社がスタートすることになりました。
内閣情報局もプロパガンダとして映画を活用するために統制会社を持っていたほうが得策と判断したようですが、林長二郎を松竹から東宝に移籍させた黒幕とも言われた永田雅一は大映社長に作家の菊池寛を担ぎ上げて隠れ蓑とし、自らは専務として実質的な映画製作を仕切っていきます。そんな海千山千の永田雅一ですから黙って情報局の言いなりになるわけがありません。国策映画を主体とするはずだった大映が、太平洋戦争開戦一年になろうとしている昭和17年11月にこの『歌ふ狸御殿』のような戦局に全く関係のない娯楽作品を作ることができたのは、言ってみれば金儲けを追求する永田雅一の政治力のなせる技だったのかもしれません。
実は人間に化けた狸を主人公にしたオペレッタ映画は、木村恵吾が昭和14年に『狸御殿』として新興キネマから世に送り出していて、本作でお黒を演じている高山廣子がきぬた姫とお黒の一人二役で出演していました。そういった意味では永田雅一としては本作は鉄板番組だったのでしょう。情報局の統制によって製作用フィルムは月6本分までの使用に制約されましたから、三社で割ると一社2本しか作れません。となると必ずヒットさせないと製作費が回収できなくなります。戦時中とはいっても一般の観客は戦闘機や戦艦が出てくる戦意高揚映画よりも普通に笑える娯楽作を好んで見に行ったそうで、戦記ものをやっている映画館はガラガラでエノケン映画がかかった劇場は満員だったなんて話も伝わっていますから、狸もので確実に売れる路線を狙ったのでしょう。
ですから木村恵吾にしてみれば手の内に入った題材ですから、ちょっとアレンジした程度で脚本も完成したのではないでしょうか。また映画の中で歌われる歌謡音楽は古賀政男の作曲となっていて、古賀政男は日本コロムビアの作曲家として藤山一郎の「丘を越えて」などのヒット曲を数多く輩出していました。戦前の歌謡界のヒット曲はほとんど古賀政男の作品じゃないかというくらいで「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」「東京ラプソディ」「誰か故郷を想わざる」などのたくさんの名曲が古賀政男の手によるものでした。
【ご覧になった後で】狸御殿の豪華絢爛なセットが戦時中と思えませんでした
いかがでしたか?昭和17年の戦時下に作られたとは思えない狸御殿の豪華絢爛なセットには驚かされてしまいました。中華風なドーム形状の大伽藍は異国情緒を感じさせますし、御殿に続く道は『オズの魔法使い』に出てくる黄色いレンガの道のようにも見えます。螺旋状に湾曲した階段はジョルジュ・ゲタリーが「I’ll Build a Stairway to Paradise」を歌った舞台装置にそっくりで、ステップを踏むごとに音が鳴る仕組みもかなり時代を先取りしていました。美術関連には何人かのスタッフの名前がクレジットされていまして、たぶん上里義三という人が担当しているようです。この人は一貫して大映京都撮影所で装置やセットを作り続けたようで、戦後の『初春狸御殿』でも同じように美術をやっています。上里義三特有のデザインセンスが細部まで行き渡った結果が豪華絢爛なセットにつながったのではないでしょうか。
そして木村恵吾の演出はハリウッドミュージカルのスタイルをきっちりと踏襲していて、基本的には人物をフルサイズで収めるロングショットで長回しを多用しています。MGMミュージカルもそうですが、映画ではあってもレビューシーンは舞台で演じられるような設定が多いので、基本的には劇場の観客席に座った目線で歌や踊りを等身大で眺めるという構図が最も歌手や踊り手の芸を堪能できるのです。変にキャメラのアングルを変えたりショットのサイズをいじったりすると、カッティングによって芸が寸断されてしまうんですよね。木村恵吾はそこらへんを十分に理解していて、本作がほとんど舞台劇を見ているような雰囲気になっているのはキャメラの視点とサイズが適切だからなのです。
お黒を演じた高山廣子は新興キネマ出身の女優さんで、『狸御殿』に出演した直前には『阿波狸合戦』の正続編にもお姫様役をやった経歴を持っています。美人なのですがたしかにキツネ系ではなく瞳がパッチリとしたタヌキ系の美人だったので、本作の主役にはぴったりでした。殿様の狸吉郎を演じるのは宮城千賀子という人で、宝塚歌劇団を退団して日活に入社してすぐに稲垣浩監督の『宮本武蔵』でヒロインお通を演じました。大映設立後に本作に出演した後に一時映画界を引退しますが、離婚とともに映画出演を再開し生涯で120本ほどの作品を残しています。こちらは線を引いたような薄い目が特徴的でいかにも浮世絵に出てきそうな美男子が似合っていました。
というわけで狸ですからカッティングを使っていきなり画面に現れるという映像表現がぴったりとハマることもあり、本作のあちらこちらでその手法が使われていました。中でも無人の広場に狸御殿の明かりが灯るといきなり大勢の腰元たちが出演して踊り出すというモブシーンが印象的でしたし、大人数でのダンスの設計もなかなか計算されていて、バスビー・バークレー調とまではいきませんけど、それなりにミュージカル風の雰囲気を見せていました。本当にこれを昭和17年11月に公開できてしまったことに、永田雅一の政治力というか突破力を感じないわけにはいきませんね。
とは言ってもお黒が殿様と結ばれるハッピーエンドだけではあまりにも娯楽色が強過ぎますし、継母と義姉の立場もありません。結局は義姉のきぬたは突然しおらしくなって、お黒をいじめたことを反省してみせてキャラクターが浄化されますし、お黒も自分だけが幸福になっては申し訳ないと、継母の手を引いて御殿に迎えるというショットがラストに出てきます。たぶんこのエンディングは後付けでくっつけたものだと思われ、内閣情報局から「ちょっとは我々の顔も立てろよ」みたいな指摘があったのでしょう。「親孝行」を最後にもってくることで「銃後高揚映画」の仲間入りを果たしたのではないでしょうか。(A092723)
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