日本映画

昭和二十年以前

歌ふ狸御殿(昭和17年)

戦時統合で大映が設立された年の11月に公開されたのがこの『歌ふ狸御殿』で、継母や義姉にいじめられるシンデレラを元ネタにしてカチカチ山のタヌキ伝説を取り入れたオペレッタ風ミュージカルになっています。
日本映画

乾いた湖(昭和35年)

昭和35年4月『恋の片道切符』で監督デビューした篠田正浩の第二作で、岩下志麻のスクリーンデビュー作でもあります。松竹ヌーヴェル・ヴァーグの流れにのって8月末に公開された本作は6月に自然成立した日米新安全保障条約をめぐる安保闘争を題材にしています。
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その壁を砕け(昭和34年)

自分の車を買った修理工が殺人事件の犯人にされてしまう事件を描いた社会派サスペンスで、事件から捜査、法廷へと展開していく物語は非常に緊迫していて、1時間40分の上映時間があっという間に過ぎていく緊張感に満ちた作品にまとまっています。
日本映画

乱れ雲(昭和42年)

交通事故を通じて加山雄三演じる加害者が司葉子演じる被害者家族と知り合い、深い関係になっていく悲恋ドラマです。女性を描くことにおいては右に出るものがいないといわれた成瀬巳喜男監督は本作を完成させた二年後に癌で亡くなっています。
日本映画

ろくでなし(昭和35年)

昭和35年6月に公開された大島渚監督の『青春残酷物語』をきかっけに松竹の新人監督たちの作品が「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」として売り出されることになりました。本作は翌7月に公開された吉田喜重の第一回監督作品で、吉田喜重自ら脚本を書いています。
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お吟さま(昭和37年)

主人公のお吟は豊臣秀吉の茶頭だった千利休の義理の娘で、その波乱に満ちた生涯を小説にしたのが今東光でした。大女優田中絹代にとっては六作目の監督作品となりますが、残念ながら本作以降二度と監督することはありませんでした。
昭和二十年以前

花咲く港(昭和18年)

松竹で島津保次郎のもとで助監督をしていた木下恵介は本作で初めてメガホンをとることになり、同時に木下作品のほとんどでキャメラを回すことになる楠田浩之もこの作品で撮影助手から撮影技師に昇格を果たしました。
日本映画

暖春(昭和40年)

「原作:里見弴・小津安二郎」の通り、昭和38年にNHKで放映されたTVドラマのためのシナリオが元になっていて、中村登監督が松竹で映画化することになりました。早くに父親を亡くした母と娘が主人公というモチーフはまさに小津映画そのものです。
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旗本退屈男 謎の七色御殿(昭和36年)

サイレント映画時代から活躍を続けた時代劇俳優・市川右太衛門は旗本退屈男を当たり役としていて、本作はその28本目の作品にあたります。市川右太衛門が全編に渡って見事な立ち回りを見せる娯楽時代劇に仕上がっています。
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拝啓天皇陛下様(昭和38年)

本作は渥美清が主演した三番目の作品で、野村芳太郎監督によって渥美清の個性が存分に発揮された傑作喜劇となりました。この映画を見たフジテレビのスタッフがヒントを得て、TVシリーズの「男はつらいよ」を発想したという話もあるそうです。
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