もず(昭和36年)

にんじんくらぶ製作作品で淡島千景と有馬稲子が母娘役で共演します

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渋谷実監督の『もず』です。本作は松竹が配給しましたが、製作は文芸プロダクションにんじんくらぶによるもの。設立者の1人である有馬稲子が娘役を演じているのですが、脚本では母親は五十歳で、娘を二十歳のときに産んだという設定なのに、母親役の淡島千景は当時三十七歳。ちょっと無理があるのではと思ってしまうところを淡島千景は演技力ではね返してしまい、母娘の愛憎ストーリーの主役を見事に果たしています。

【ご覧になる前に】もとはTVドラマだったのを映画化した作品です

小料理屋の一福は今夜も常連客で大賑わい。おてるとおなかの二人が客あしらいする一方で、おすがは二階の小部屋で松山から上京した娘のさち子と二十年ぶりに対面していました。そこへおすがの馴染み客藤村が訪ねてきます。おすがが懇ろな仲の藤村と戯れ合うのを見たさち子は一福から抜け出して、美容師になる夢を叶えようと小さな美容院で住み込みを始めるのですが…。

昭和35年に日本テレビで放映されたドラマが好評だったのを受けて、台本を書いた水木洋子が映画用に脚本を書き上げて、渋谷実が監督したのが本作です。明治生まれの水木洋子は、戦前には舞台やラジオドラマの脚本を書いていて、最先端の職業婦人でした。一時期、映画監督になる前の谷口千吉と結婚していましたが、一年も立たずに離婚。そんな縁もあったのか、昭和25年に岡田英治と久我美子のガラス越しのキスシーンが一世を風靡した『また逢う日まで』で八住利雄と一緒に脚本を書き、戦後には映画の脚本家として活動するようになります。その作品は成瀬巳喜男の『浮雲』、今井正の『ひめゆりの塔』、市川崑の『おとうと』など名作ばかり。NHKの大河ドラマ「竜馬がゆく」も水木洋子が書いています。なので本作も女性脚本家の大御所がシナリオを書いたというのが女性客に支持されて、そこそこヒットしたようです。ちなみに離婚した相手の谷口千吉は黒澤明の盟友でもあったのですが、二度目の結婚時に宝塚歌劇団出身の八千草薫と不倫関係に陥り、妻を捨てて八千草薫と添い遂げたという人生を歩むことになります。すみません、余計なお世話でした。

「文芸プロダクションにんじんくらぶ」は、岸恵子と久我美子と有馬稲子の三人が昭和29年に設立した独立プロダクション。戦前は映画俳優が自ら製作会社を持つことが当たり前でしたが、昭和29年といえば、松竹・東宝・大映・東映の大手映画会社が製作から配給まで手がける垂直統合が完成した時期でした。活動を再開した日活の引き抜きを危惧して、新設された新東宝を含めた大手五社が「五社協定」を締結したのがその前年のことですから、にんじんくらぶは五社協定に真っ向から反旗を翻すようにして、俳優が自ら出演する映画会社を選べるように設立されたのです。一時は二十人以上の俳優が所属したにんじんくらぶは、映画製作にも着手することになり『人間の條件』などの意欲作を世に送り出します。本作もそんなにんじんくらぶによって有馬稲子主演で製作されたんですね。

監督の渋谷実は松竹の監督ですが、松竹は助監督から監督に昇格すると、社員としての雇用契約から年度単位の業務委託契約に切り替えることが常でした。基本的には専属契約なのですが、ある程度監督としての地位が確立すると作品ごとに契約を交わすフリーになる人も多かったようです。ここらへんの契約や所属の話はあまり表に出てこないのでよくわからないものの、たぶんにんじんくらぶの作品で監督をしたというのは、渋谷実はこの時点でフリーの立場だったのかもしれません。ちなみに本作のクレジットでは「澁谷實」の旧字表記になっていまして、苗字も名前も両方旧字にすると、なんだか別の人物みたく感じてしまいます。

【ご覧になった後で】女優たちが見せる演技は圧巻の一言でした

いかがでしたか?まずは一福の女中たちの小股の切れ上がったやりとりが実に軽妙に繰り広げられて、見ているだけでニヤリとしてしまう導入部でした。カウンターを仕切っているのが桜むつ子で、この人は小津安二郎の映画にもよく出演していて、出るときは必ず飲み屋の女主人という役どころでしたから、まあカウンターがよく似合うこと!そしてひゃらひゃらと合いの手を打つようにいろんな声色を使う若手の女中に乙羽信子。本作の前年には『裸の島』でひと言もセリフのない母親役をやっていたのと同一人物とは思えないくらいの軽さです。いずれにしてもこのお二人、巧いですよねー。そして一福の女将さんは山田五十鈴。出演場面は少ないのにその印象は強烈で、いかにも都会の飲食業を経営する厳しさを体現していて、意地悪さではない冷徹な厳格さが伝わってきました。

そして一福系とは打って変わって、高橋とよ、清川虹子の二人は家主系とでもいうんでしょうか、こちらは腹の底から笑わせてくれます。特に高橋とよ。この人も小津映画の常連で、こちらはいつも中村伸郎にからかわれる料亭の仲居さんという立ち位置ですが、本作ではお節介なぶつぶつキャラが突出したコメディリリーフになっていました。清川虹子は船橋ヘルスセンターの遊戯場でいきなり出てくるのに、すぐに物語の牽引役になってしまうのですから、そも存在感は重量級といえるでしょう。

そして淡島千景は歳より若く見えるという設定とはいえ、あまりに若々しく綺麗なので有馬稲子の母親役はちょっと無理があったかもしれません。なにしろ原作となったTVドラマでは杉村春子と丹阿弥谷津子の二人がやったようで、杉村春子と淡島千景は十八歳も差があるんです。でもそんなハンデをはね返すくらいに気迫溢れていたのが淡島千景の演技でして、最後には病におかされてほぼスッピンの素顔まで晒して熱演していました。淡島千景は声がほんの少しだけハスキーなのが妙に色香を感じさせる女優ですが、そこに迫真の演技を加えて誠に立派な母親役であったと思います。

そこへ行くと、というか本作の最大の失敗は有馬稲子の下手さでして、他の女優陣があまりに巧いので、有馬稲子のだらしない演技が余計に目立ってしまっていました。有馬稲子はセリフの少ないちょいとミステリアスな役柄ならば、冷たさのある美貌を活かしてある程度間が持つのでしょうけど、本作のように本格的な演技合戦が主戦場となる映画では、その実力のなさが露呈してしまって、もうどうしようもない欠点に見えてきてしまいます。なので、前半快調の本作も後半に失速してしまい、やや凡庸な印象になってしまったようです。

渋谷実の演出なのか、キャメラマンの長岡博之の好みなのかはわかりませんが、終盤の病室の場面で、母親の死を知った有馬稲子が絶望して病室の片隅に座り込むショットが見事でした。病室の壁を真正面から捉えらフィックスショットなのですが、有馬稲子が横切り、最後にはその顔の上半分だけが画面に残るのです。まるで半身をもぎ取られたような娘の悲しみが映像に浮かび上がってきました。下町の美容室近くで娘に別れを告げる淡島千景を後ろからトラックアップで追いかけるショットとともに、本作の中で印象に残る場面でした。

蛇足ですが、高橋とよの口利きで娘に中年男との縁談を勧められたときに、淡島千景が「お半長右衛門じゃあるまいし」と吐き捨てる場面が出てきます。ご存知のようにこれは、十代の少女を四十近い商人が妊娠させてしまうという文楽の『桂川連理柵』に出てくる登場人物のこと。昭和三十年代とは、人形浄瑠璃の設定が例え話に使われるほどに人々の間に浸透していた時代だったんですね。今ではとても通用しないセリフでした。(T020422)

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