「忠臣蔵」を子供向けにアレンジした東映動画全盛期のアニメーションです
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、白川大作監督の『わんわん忠臣蔵』です。昭和33年に『白蛇伝』で本格的長編アニメーション映画を世に送り出した東映動画による6本目の作品で、おなじみの「忠臣蔵」が動物を主人公にして子供向けにアレンジされています。作画監督をつとめた大工原章は東映動画創設時を支えた名アニメーターの一人で、動物のキャラクターを活かした楽しく大胆なアニメの動きが存分に発揮された一本です。
【ご覧になる前に】手塚治虫の原案・構成は採用されず路線変更されました
森の中で獲物を狙っているのはキツネのアカミミ。大王様と呼ばれる虎のキラーに献上するためですが、日本犬が勇敢にもキラーを追い払います。シロを母親にもつロックはリスやウサギたちとかくれんぼをして遊ぶ子犬で、ある晩アカミミに誘い出されたシロがキラーによって崖から突き落とされたため孤児になってしまいます。キラーを倒そうと挑みますが逆に追われることになり、ロックは森を離れて力を蓄えるために都会に出ることになりました。しかし都会でロックを待っていたのは…。
東映の前身である東横映画は教育映画の製作にも力を入れていてその中で短編アニメーションも作られるようになると、その製作は日動映画に委託されることになりました。日動映画は昭和23年に設立されたアニメーション製作会社で、日動映画の主力アニメーター薮下泰司ら20数名によって小規模に運営されていました。当時は戦時下では輸入されなかったディズニー映画が一斉に日本で公開された時期で、昭和25年の『白雪姫』を皮切りに昭和26年に『バンビ』、昭和27年『ピノキオ』、昭和29年『ダンボ』、昭和30年『ファンタジア』と次々に映画館で上映されたディズニー映画は日本の観客を魅了していきます。
日動映画存続のため手助けしてほしいと東映を訪れた薮下泰司に対して、東映社長大川博は東映営業課長の今田智憲が「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と勧めるのを聞いて日動映画の買収を決めます。大川博は東急副社長から東映の社長になった人物で、東映作品には必ず「製作大川博」とクレジットされていたにも関わらず映画については素人だったと言われていましたので、アニメ映画にどれだけの商機を見い出していたのかは定かではありません。しかし教育映画には熱心だったそうなので、アニメが子供たちにとって有益なメディアになるという読みはあったのでしょう。このようにして日動映画を母体とした東映動画は昭和31年に設立されたのでした。
薮下泰司とともに森康二など優秀なアニメーターがいた旧日動映画のスタッフに東映動画一期生として加わったのが大塚康生で、のちに『太陽の王子 ホルスの大冒険』で作画監督に昇格することになりますが、それはまた別のお話。昭和31年末に東映東京撮影所に隣接して東映動画の製作スタジオが竣工して最初に製作されたのが日本初の本格的長編アニメーション『白蛇伝』でした。日動映画時代は家内制手工業的な個人作業だったのが、企画・脚本・演出・作画と分業化されたことで日本映画にアニメーションというジャンルが確立されることになったのでした。
ディズニー映画を食い入るように見た観客のひとりが手塚治虫で、マンガ家手塚治虫はアニメーション映画を作ることを最大の夢と考えるようになります。東映動画がその才能を放っておくわけがなく、手塚治虫の「ぼくの孫悟空」を原作として『西遊記』が昭和35年に製作されると手塚治虫は東映動画で構成を担当することになりました。昭和37年の『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』に北杜夫とともに脚本で参加した手塚治虫は、いよいよ本格的にアニメ映画に参画しようと「森の忠臣蔵」というオリジナルの原作を作って絵コンテまで準備をしていました。しかし東映動画サイドの意向と合わず、企画会議で路線変更が決まった末に手塚のアイディアはほとんど採用されなかったといいます。「原案/構成」と名前だけがクレジットされた手塚治虫は、アニメーションを作るには自分のスタジオを持たなければならないと「虫プロ」設立に向って動き出すことになります。
「演出」とクレジットされている白川大作は『西遊記』で演出を担当した人で、本作以降は東映動画のTVアニメ部門に移ることになったようです。その白川と共同で脚本を書いた飯島敬は『わんぱく王子の大蛇退治』で企画・脚本を担当したばかりで当時はまだ新人でした。作画監督の大工原章は買収直前に入社した日動映画組のひとりで東映動画長編第二作『少年猿飛佐助』では演出を担当していました。昭和42年の『少年ジャックと魔法使い』でも作画監督をやっていますけど、東映動画がTVアニメの大量生産体制に入るとTVよりの仕事が中心になっていったようです。
当時の東映動画では作画監督が実質的なアニメーションディレクターで、その指示のもとキャラクターをどう動かすか(=アニメ上の演技)は原画担当の仕事でした。本作の原画を描いたのが日動映画出身の熊川正雄、森康二(『長靴をはいた猫』の作画監督)、小田部羊一(『白蛇伝』に感動して東映動画に入って『空飛ぶ幽霊船』で作画監督)、奥山玲子(小田部羊一と結婚します)といった精鋭たち。小田部羊一と奥山玲子の夫婦は2019年のNHK連続テレビ小説「なつぞら」のモデルにもなりましたね。
【ご覧になった後で】子供の感情に丁寧に対応した脚本と演出が見事でした
いかがでしたか?個人的には高校生の頃に東映動画にハマった時期がありまして、当時は配信はおろかDVDやビデオなんてありませんから昔の映画が見たくてもTV放映を待つしかありません。幸いにも地方都市では春休みや夏休みになると午前中などに子供をターゲットにしたTVアニメの再放映なんかをやっていて、たまに東映動画の旧作もTVでやることがありました。比較的繰り返し放映されていたのが『西遊記』で、『太陽の王子 ホルスの大冒険』や『わんわん忠臣蔵』あたりはなかなかTV放映されなくてジリジリした記憶があります。宮崎駿は『ルパン三世 カリオストロの城』が上映されたばかりの頃ですからまだ全然知名度もない時代で、東映動画といえば「ルパン三世」の最初のシリーズを作った大塚康生に尽きるみたいな受け止め方でした。
なのでたぶん50年ぶりくらいの再見だったのですが、脚本の作り方やアニメーションの表現力、音楽との一体感などどれもが子供向けに非常に丁寧に作られていて、東映動画のクオリティの高さに今さらながら驚いたというのが実感でした。まずキャラクターの自然な感情を最大限に活かした脚本を高評価したいところで、子供向けだからといって安易にストーリーの状況設定だけを優先してキャラクターの思いがなおざりになってしまう作品が多い中で、本作では主人公ロックの心情が手に取るようにわかる脚本になっていました。観客の子供たちは主人公ロックに感情移入してロックになりきって映画世界に没入するわけですから、子供が感じる思いを裏切ってはいけません。本作は見事に子供ならこう反応するだろうとかこう行動するだろうという気持ちを読み切って、それをキャラクターに乗せてプロットとして組み立てているのが見事でした。
母親が死んで嘆くロックは子犬ながらもキラーに復讐しようとします。ここでは復讐という行動に切り替えないと母親の死という悲しみが後を引きずってしまいますし、子犬なのに立ち向かっていく行動そのものが母親に対する深い愛情を示しています。またきぬたのキャラ設定は、声優の演技力もあって憎めないドジなタヌキになっていて、アカミミに唆されてロックを倉庫に閉じ込めるという浅はかな行動も間の抜けた感じやなんとか失敗を取り返そうとするのが浄化作用になって、なんとなく許してしまう気持ちにさせられます。
森の動物たちは人間の山狩りで残らず動物園に移住することになりますが、これは遊園地の大団円を成立させるために動物たちを一か所に集めなければならないという状況を設定するための展開でしょう。普通なら強引に感じられる運びですが、動物園に来園する人間たちが穏やかに描かれてるのと動物たち本人が弱肉強食の森よりも快適な暮らしだと納得する場面が挿入されるので、動物園暮らしが楽園のように見えてきます。偏屈な観客からすると自由が奪われた森の動物たちが動物園の囲いの中に閉じ込めることを正当化している詭弁に過ぎないと非難されるところでしょう。けれども観客の子供たちからすれば動物園は最高の娯楽のひとつであって動物園は子供にとっての非日常空間なのですから、物語の中で動物園をうまく使うのは子供の感情を最大限に尊重している証左でもあります。
一点だけ残念なのは灯台守の娘さんで、ロックを海から拾い上げて一緒に暮らしていたのに突然ロックがいなくなってしまってさぞ悲しんだことでしょう。行進するエンディングを見て「灯台に帰らなくていいのかな~」と思った子供はそれなりにいたと思われますので、なにかしら灯台守の娘さんのエピソードに決着をつけてほしかったですよね。それにしても犬かきしかできないロックが海にドボーンと飛び込んで都会を目指すにはびっくりしました。もちろん海を泳ぐロックでこにシーンはフェードアウトしますので映画の演出としてはこれで良いのですが、ここはちょっとヒロイック過ぎたかもしれません。
脚本以上に素晴らしいのは作画で、開巻すぐのアカミミが森を爆走するシーンはアブストラクトな背景が音を立てて流れるかのような疾走感があってまるで現代アートを見ているかのようでした。もちろんこれは観客をアニメ世界に引き込むための誇張表現であって、そのすぐあとに続く動物たちのかくれんぼのシーンで子供たちはすっかり森の動物の仲間になってしまうような多幸感に満ち溢れた雰囲気になります。アクションが多いのにどのキャラクターも柔和な感じに見えるのは輪郭線に墨を使っていないからで、ロックは茶色ですしアカミミは赤、ウサギは身体が灰色なので腕や足がクリーム色でトレースされていました。もちろんアクションがキャラクター設定そのものを表現していて、キラーのスクリーンを覆いかぶさるような大きな動きは観客の子供たちを威圧したでしょうし、アカミミの長い尻尾はいかにもコズルい感じが出ていました。
そしてクライマックスの遊園地での追っかけはアニメーターたちの腕の見せ所になっていました。ジェットコースターは映画のウソでレバー連動の動力式になっていて高いところから落ちるのではなく、行ったり来たりが可能な設定にしたのがミソでした。かつて見たときはこのクライマックスにギャグを入れ過ぎだなと感じたのですが、真面目なアクションシーンにしてしまうと子供たちには恐ろしく感じられてしまったかもしれず、憎まれ役のキラーも最後に落下して果てる前にコメディリリーフ的な演技をすることで作品自体が単純な勧善懲悪ものにならずに済んだといえるのではないでしょうか。
キラーの最後もそうですし母親シロの死もそうですが本作では直接的な表現が適切に避けられていて、子供の心に傷をつけない配慮が行き届いていました。映画の冒頭で母親が死ぬというストーリーはかなりショッキングですが崖の端につかまる母親の次ぎにキラーのアップになって、森の中でお墓が立っているという絵の流れは子供たちに「ああママはいなくなったんだな」と思わせるに十分です。クライマックスでも悪役のキラーはジェットコースターから墜落したのが俯瞰で出てくるだけですし、アカミミも操作室で感電するのがギャグ的に表現されます。首をとる必要もないですし復讐のために殺すわけでもないという優しさが、復讐をテーマにした本作を残酷ではなく安穏とした作品にしたのかもしれないですね。
というわけで忠臣蔵ファンからすると「どこが忠臣蔵なんだ?」と疑問の声があがるような内容でしたが、言うまでもなくキラーは吉良上野介のことですし、ロックは大石内蔵助を英語にしたということでしょう。あとヒロインのカルーは「仮名手本忠臣蔵」の五段目から七段目のヒロインおかるからの引用でした。
今回は国立映画アーカイブの東映アニメーション特集で見たのですが、やっぱりスクリーンの大画面で見るのは良いですね。当時のアニメーション技術の高さを当時と同じ映画館で見ることになるわけで、かつてTV放映で見ていたのはシネスコサイズの画角の一部に過ぎなかったことがよくわかりました。今では日本を代表する産業になったアニメーションですが、そのベースを築いたのは明らかに東映動画でしたし、東映動画出身のアニメーターが切り拓いた作画テクニックやアニメーション表現が技術継承されて今日の隆盛につながったのだと思うと『わんわん忠臣蔵』をおススメしないわけにはいきません。ご覧になる際にはぜひ映画館で見ていただきたい作品です。(T080926)

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