日本の悲劇(昭和28年)

戦後まもない日本の世相を背景にした母と娘・息子の悲劇の物語です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『日本の悲劇』です。昭和28年は日本映画にとって豊作の年でして、松竹からは本作のほかに小津安二郎の『東京物語』が出ていますし、大映からは溝口健二の『雨月物語』と衣笠貞之助の『地獄門』、東映からは今井正の『ひめゆりの塔』が公開されています。そんな傑作揃いの中で本作はキネマ旬報年間ベストテンで第六位に入っていますが、内容的には戦後の世相を反映した母子の悲劇を描いていて、明朗なイメージのある木下恵介監督の中では極めて社会性の強い作品になっています。

【ご覧になる前に】脇役専門の望月優子が主人公の母親役を熱演しています

熱海の旅館で女中として働く春子のもとに息子の清一が久しぶりに訪ねてきますが、清一は姉の歌子の下宿のほうに行ってしまいます。医学生の清一は医者になるために子どもを亡くした老医者の家に養子に入ることを春子に告げにきたのでした。裁縫と英会話を習って自立して働こうとしている歌子は下宿に押し掛けてきた春子に清一の意思を代わりに伝えてあげるのですが、それを聞いた春子は絶対に養子入りは認めないと言い張るのでした…。

母親役を演じる望月優子は劇団民藝出身の女優で、本作と同じ昭和28年に公開された『君の名は』ではいじめにあう真知子を影ながら応援する義理の叔母を演じるなど脇役を専門としていました。本作でもクレジットではまず佐田啓二が出てくるので配役上も主演ではないように思ってしまいますが、紛れもなく主人公である春子を演じています。佐田啓二や高橋貞二、上原謙などおなじみの松竹の俳優が揃って出ている中で、娘役をやるのは桂木洋子。松竹歌劇団出身で松竹入社後は娘役をやっていましたが、作曲家の黛敏郎と結婚して引退してしまいました。実に可憐な美少女といった雰囲気ですが、本作では戦後混乱期に育って複雑な過去をもった娘を演じています。

木下恵介監督はいつも同じスタッフを起用することが多く、ゆえに「木下組」と呼ばれていました。本作でも撮影の楠田浩之、照明の豊島良三、編集の杉原よし、録音の大野久男といった固定メンバーを揃えていまして、さらに音楽は実弟の木下忠司が担当しています。戦後すぐの木下恵介は『お嬢さん乾杯!』や『破れ太鼓』、『カルメン故郷に帰る』など敗戦によって価値観が180度変わってしまった中でも次の生き方を自ら開いていく明るい登場人物たちを描いた作品を発表していました。ところが本作では戦後の日本社会全体の混乱をドキュメンタリー風に実録にして盛り込むなど社会派タッチの作風に変化し、本作の翌年以降『女の園』『二十四の瞳』と明朗一辺倒ではない平和や自由への提言を込めた作品を製作しています。たぶん昭和27年に連合国軍による日本占領が終わって、GHQの検閲体制がなくなったことがきっかけになったのでしょう。GHQの占領時では「三鷹事件」や「下山事件」「血のメーデー事件」などの映像は絶対に映画の素材に使えなかったはずですので、占領から解放されて木下恵介としては満を持して作った意欲作だったといえるのではないでしょうか。

公開前に松竹大船撮影所内の試写室で本作が上映されたときには、あまりの衝撃にエンドマークが出て照明が灯っても誰もが椅子に釘付けになったようにして身動きひとつしなかったそうです。当時まだ助監督だった篠田正浩は「一生かかってもこれ以上のものは作れない」と思い、松竹をやめようかと考えたほどだった、と同じく助監督だった高橋治が「絢爛たる影絵」で振り返っています。

【ご覧になった後で】戦後を感じさせる傑作、でも二度見はしたくないですね

いかがでしたか?昭和20年代の様々な出来事を振り返るニュースフィルムの挿入が特徴的でしたね。そして日本が敗戦した後の混乱期において、市井の人々が生き延びることがいかに困難であったかも非常に切実に伝わってきました。バラック小屋、闇米の買い出し、満員の鉄道、青空学級、告げ口。なにもかもがひっくり返ってしまった世の中で、母一人で二人の子を育てるのはどんなに大変だったでしょうか。けれども本作はそんなお涙頂戴程度の映画にとどまりません。子どもたちは厳しい時代を生き抜いた母親を冷たい目で観察していて、苦労したとはいっても母親が生来もっていたふしだらさを見逃しませんし、所詮は将来子どもの世話になろうという魂胆があることも見抜いています。普通ならこのような親子の諍いはなあなあのまま表面化しないのでしょうが、時代が時代だけにお金の問題もからみながら、徐々に溢れ出てきてしまう、その残酷な様相が禍々しいばかりに描きとられていました。木下恵介が書いた脚本は木下のオリジナルですので、原作なしにこんなに辛辣に時代を切り取ることができたのは木下恵介の才能ゆえのことだったでしょう。

さらに本作は映像表現としても非常に見るべきところが多く、オーソドックスな演出を得意とする木下恵介とは思えないほど、ショットの構成が実に見事でした。まずファーストショットからして、熱海の旅館のロングショットで、佐田啓二演じる流しが「湯の町エレジー」をワンコーラス歌う分まるまる長回しです。さらに旅館の厨房の場面ではそこにキャメラの横移動が加わって、ほぼワンシーンワンショットで旅館の登場人物や人間関係を見せていきます。このシークエンスショットは全編で多用されていて、本作は極めて総ショット数が少ない映画になっています。それだけにひとつのショットの構図は練りに練られていて、歌子に逃げられた春子が旅館の廊下で泣き崩れるところなどは、縦の構図の奥行きが春子の絶望の深さを端的に表現していました。

またいかにも映画的表現が冴えていたのは、歌子が英語教師の妻の前で電話を受ける場面。電話の相手は春子なのですが、歌子は英語教師と密談するように声色を使って妻を翻弄します。こういう場面は木下恵介が自分で脚本を書いているので、映像化を前提とした設定にできるんですよね。
加えてカットバックをほぼ全編にわたって使っていたのも効果的で、姉弟が駅前でうどんを食べているショットの次に唐突に幼い二人がバラック小屋でうどんを啜るショットをつなぐなど、当時としてはかなり前衛的なつなぎ方ではなかったでしょうか。そのカットバックの積み重ねが、特に厭世的にしか生きられない歌子の複雑な心理をうまく表していたと思います。

そしてやっぱり圧巻は望月優子の演技でした。映画の終盤で春子が自分の半生を振り返るようにして映画に出てきた場面を短いショットを積み重ねて春子の生き方をおさらいしていくのですが、その場面ごとの春子が実にリアリティがあって時代ごと境遇ごとに望月優子がそのときの春子になりきって演じ分けているのだなということが伝わってきました。なので春子というキャラクターが存在感をもって観客に迫ってくるんですよね。だから清一のもとから去っていく春子、あるいは歌子に逃げられてしまい流しに千円もの大金を渡してしまう春子に観客は共感してしまうのです。もちろんそうはいっても歌子と清一が酷薄な子どもだというようには描かれていません。母親に冷たくなったのにはそれぞれの事情があり、それでも春子は子どもたちを愛し続けているのだということは、望月優子の演技を見ていれば観客は理解できてしまうのです。

松竹での試写の話に戻りますが、上映が終わって撮影所の関係者が一斉に拍手をし始めると、ひとりすっと立ち上がって試写室を出て行ったのが小津安二郎だったそうです。小津の日記には「野心作ならむも一向に感銘なく粗雑にしてすの入りたる大根を噛むに似たり」と書き残されていて、小津から見ればすべてが大仰でやり過ぎに見えてしまったのかもしれません。もちろん小津が評価しなかったからといって本作の価値が落ちるわけではなく、木下恵介のある一面を代表する傑作であることには間違いありません。しかしながら本作は繰り返し見て味わうような映画ではなく、戦後という時代背景でしか成立しない極めて時事性の強い作品であることも確かです。なので大船シネマとしてもおススメ映画にしたいところではありますが、そこまでは行かないかなという感じの寸止めの評価になってしまいました。(A010422)

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