大映「黒シリーズ」第五弾は宇津井健が偽造商標調査から事件を追求します
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、弓削太郎監督の『黒の商標』(くろのトレードマーク)です。昭和30年代後半に大映が製作した「黒シリーズ」は全部で11作品ありまして、本作はその5作目にあたります。邦光史郎が書いた「仮面の商標」が原作になっていて、「黒シリーズ」初登場の弓削太郎がメガホンをとりました。主演の宇津井健が偽造商標を調査するうちに事件の真相に迫るという社会派サスペンスとして昭和38年9月に劇場公開されました。
【ご覧になる前に】田宮二郎と結婚する前の藤由紀子がヒロインを演じます
スーパーマーケットの百円均一セールに買い物客が殺到する中、ある男が陳列されたワイシャツを凝視しています。彼は国際レーヨンに勤める井手で「KOKUSAI」の商標が「KOKUSAN」と表示された偽物の出処を調査するために大阪へ出張しますが、特急こだまの食堂車から出たところで何者かに刺殺されてしまいました。通り魔事件として処理されたことに納得のいかない同僚の杉野は部長に有給休暇取得の許可をもらって単身大阪に乗り込みます。繊維問屋街の友人神後に紹介されて田子というコンサルタントの自宅を訪ねると娘の雪子が調査に協力してくれることになったのですが…。
邦光史郎は役所勤めをしているときに兵隊にとられ、広島で原爆に遭って除隊後放送作家から文筆業に入りました。昭和37年に産業推理小説「欲望の媒体」でデビューすると続く「社外極秘」で直木賞候補になります。これらの著作は三一書房から出版されていまして、当時の三一書房は三一新書シリーズが若者から支持されていました。中でも五味川純平の「人間の條件」と「戦争と人間」はヒット作となり、神田駿河台に新築された本社ビルは通称「五味川ビル」と呼ばれたそうです。
邦光史郎は企業小説。推理小説、歴史小説、伝記小説を多く執筆しましたが、本作はその初期の一作。平成8年に亡くなるまでのキャリア後半では、トヨタやダイエー、住友、松下電器など特定企業を題材にしたノンフィクションも多く遺していますし、昭和55年に「熟年時代」という著作があるように45歳から65歳までの年齢層を「中年」ではなく「熟年」と呼ぶことを提唱した人だと言われています。
脚色を担当した長谷川公之は警視庁鑑識課で検死作業に従事していたところ学生時代の著作が映画化されて脚本家に転じたという変わった経歴の持ち主。新東宝からスタートして、東映の「警視庁物語シリーズ」は昭和30年代のヒットシリーズになりました。「黒シリーズ」ではもう一本『黒の切り札』を書いていますし、市川雷蔵主演の「陸軍中野学校シリーズ」の『雲一号指令』『第三号指令』『開戦前夜』のシナリオを書いたのも長谷川公之でした。
弓削太郎は大映東京撮影所に助監督として入社して『野火』などについた後の昭和35年『女は抵抗する』で監督デビューを果たした人。本作に続いて『黒の駐車場』でもメガホンをとっていて、昭和46年に大映が倒産するまで監督業を続けていました。しかし昭和47年に行方不明になり、その一年後には軽井沢の山中でミイラ化した遺体となって発見されたそうです。自殺と見られていますが、五十歳になる前に亡くなったのは当時の日本映画の衰退を象徴しているようでもあります。
宇津井健は「黒シリーズ」第二弾の『黒の報告書』で主演して以降、『黒の死球』に続いての起用となりました。その『黒の死球』で宇津井健の相手役となった藤由紀子が引き続きヒロインを演じていて、藤由紀子も「黒シリーズ」の常連となっていきます。
藤由紀子は松竹音楽舞踊学校を経て松竹に入社して木下恵介監督の『永遠の人』で高峰秀子の娘役などをやっていましたが、TVドラマへの出演を禁じる会社の方針に合わず松竹を退社。フリーとしてTVの「人間の條件」に出演した後に大映で再デビューすることになり、滝瑛子・姿美千子とともに大映新人スターとして売り出されました。大映の看板男優だった田宮二郎と昭和40年に結婚して引退。田宮二郎が亡くなった後は「子供を育て上げることが田宮の遺志」と言って映画界に復帰することはありませんでした。
【ご覧になった後で】新刊本的にそれなりに見られるプログラムピクチャー
いかがでしたか?昭和38年といえば翌年の東京オリンピック開催に向けて東京の至る所でインフラ工事が進められていたとき。当然ながらTVの普及も飛躍的に伸長していて受信契約数が1500万台を突破する一方で、全国の映画館数は下り坂を転がるようにして減っていきました。ピークの昭和35年からわずか三年で映画館は4分の3になってしまい、映画産業は入場料の値上げでなんとか経営を維持していた状態だったのです。
TVの普及で映画産業が衰退するのとは真逆に出版業界は成長産業の位置にありました。週刊誌が一気に部数を上げマンガ雑誌が百万部の大台に乗せるとともに、いわゆる新書ブームが到来していました。高度成長時代にあってビジネスマンや学生たちが情報や教養を新書から得ていて、新書が社会人の必須ツールだったわけです。ちなみに当時の文庫本は岩波文庫などのような古典が中心で、小説なども新書で出版されるのが当たり前でした。
本作を見るとまさに映画界も新書ブームに乗っかろうとしていた様子がよくわかります。すなわち売れる新書を原作としていち早く映画化し、新書でなじみのあるストーリーを映像として見せることで観客を映画館に呼び込もうというマーケティング戦略です。TVはまだ生放送のみでしたからプロレスのようなスポーツ中継と歌や演芸を中心としたバラエティ番組が中心で、本格的なTVドラマはまだ主流ではありませんでした。昭和36年春にNHKで朝の連続テレビ小説の放映が開始され、秋にはフィルムで製作された「七人の刑事」がスタートしたばかり。新書で発刊された本を次々に映画化する量産体制はTVにはできない手法で、大映が「黒シリーズ」として社会派企業ドラマを連打したのもそんな背景があったからだと思われます。
その一本としてこの『黒の商標』を見ると、なかなか良く出来ているなと思うわけです。ストーリー展開としては、あまりにも簡単に人が殺されて普通なら連続殺人事件として捜査されるはずなのに警察はのんびりとして動きません。列車内の刺殺、繊維問屋課長の一酸化中毒での自殺、垣内の焼死、コンサルタント浜田純の行方不明。しかし本作は宇津井健演じる熱血サラリーマンが単独で事件を解決するという筋立てですから、警察が有能では困るわけです。いつのまにか藤由紀子も母と弟を殺された復讐という口実で宇津井健の片腕となり、スーパーマーケットに潜入してスパイ活動をやり始めるのも、まるで新書本のページを次から次へめくらせるための無理矢理設定のようでした。
江波杏子は氷に仕込んだ毒をほんのちょっと舐めただけで死んでしまい、黒幕の三島雅夫も激高した高松英郎のナイフによって呆気なく殺されてしまいます。トラックで逃げようとする高松英郎に宇津井健の乗用車が体当たりを繰り返して崖の上から転落。高松英郎までお陀仏となり、本作の登場人物はほとんどが死んで生き残った宇津井健と藤由紀子が病室で接吻して「完」となるのでした。
まさに通勤電車の中で新書本を一気読みするような単純明快さで、状況設定やストーリー展開の矛盾などを感じさせない突貫工事のような突き抜け感がありました。商標を偽造したことを隠したいというだけで、まだ何ひとつ証拠も掴んでいない会社員を列車内でいきなり刺し殺す必要なんてないですし、宇津井健と会うと約束しただけで自殺に見せかけて殺すなんて手間の方が大変なんじゃないかと思いますけど、そんなことにこだわらずに宇津井健と藤由紀子の活躍をぼんやり眺めるためにある映画なのですから気にする必要はないのです。
観客をそのような気分に誘い込むために池野成の音楽が実に効果的に使われていて、不安感を醸成する場面での不協和音的なおどろおどろしい音楽とストーリーをトントン進めたいときの軽快なジャズが本作の目的を底支えしていました。また白黒のシネマスコープ画面も画角全体を使って人物をうまく動かしていて、石田博というキャメラマンも大映東京撮影所の手堅い職人芸を見せていました。
弓削太郎はサスペンス演出がなかなか冴えていて、特に藤由紀子が三島雅夫の鞄を漁って登記書を入手しようとするシーンにおけるショットの組み立てが見事でした。藤由紀子のミディアムショットの後ろに事務所の扉が映っていて、そのドアノブが回るのを画面いっぱいにクローズアップすると、ドアが開いて入ってきたのは経理の女子社員だったというところは、オチのつけ方までヒッチコックの手法そのものでした。
またトラックと乗用車のアクションシーンは1970年代のハリウッド映画を見るかのような迫力で、正面からトラックバックで二台の競り合いを映し、車体がこすれあうアップを短くはさむショットの繰り返しは、まさにカーアクションの王道ともいえる映像表現でした。しかも崖から転落して爆発するトラックの特殊効果もそこそこの出来栄えで、特にミニチュアセットで造った崖の山肌なんかが精緻にできているので一見すると特撮に見えないほどでした。
まあそんなに褒めるような作品ではないのですが、昭和38年という時代背景の中でよくやってるなという同情的な見方をすると80分飽きずに見られる映画だったのではないかと思われます。脇役の中ではことなかれ部長を演じる伊東光一がいかにもそれっぽかったのと、暑苦しい宇津井健を相手にクローズアップがふさわしいくらいの美貌を見せてくれる藤由紀子の活躍場面が多かったのが印象的でした。(A052526)

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