衣笠貞之助監督が新感覚派映画聯盟として製作した字幕なしサイレント映画
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、衣笠貞之助監督の『狂った一頁』です。衣笠監督が横光利一や川端康成らと結成した新感覚派映画聯盟の第一回作品で日本初の前衛映画と言われています。長らく松竹京都撮影所の火事とともにフィルムが消失したと思われてきましたが、昭和46年になって衣笠邸の蔵からネガとポジのフィルムが発見され、衣笠が再編集して音楽をつけた「ニュー・サウンド版」が製作されました。このヴァージョンがフランスやイタリアなどヨーロッパ各国で上映されると1920年代の歴史的名作だとして世界各国から再評価の声が上がるようになったのでした。
【ご覧になる前に】共同名義ですが脚本の大半は川端康成が書いたようです
大粒の雨が窓を激しく叩く夜、ある精神病院でひとりの女が白黒の縞模様を背景に踊り続けています。隣の病室で目を開けたまま床に横たわっている髪の乱れた女を格子越しに眺めているのは中年の男。彼はこの病院の小間使いで、病院の廊下では医者たちがせわしなく歩き回り、看護師の女性たちは患者を病室に移動させるのに苦労しています。夜が明けて庭での散歩の時間になると、小間使いの男は遠くに歩く和服姿の若い女性を見つけるのですが…。
1896年(明治29年)生まれの衣笠貞之助は十九歳のときに女形として芝居の世界に入り、大正6年にサイレント映画に出演するようになりました。当時はフィルムの感度が悪く、グラスステージ(太陽光の下で撮影できるようにした植物園のようなガラス張りのスタジオ)で撮影が行われていて、演技をする俳優を固定したキャメラで撮り続けていました。1マガジン200フィートのフィルムが切れると「マッタ!」の声がかかり、俳優は演技を中断してそのままの姿勢でフィルムが交換されるのを待たなければならず、フィルムが入れ替わると「ハイ!」の合図ととともに演技の続きを再開したんだそうです。
初期の日本映画では歌舞伎と同じように男優が女性の役を演じていて、女形出身の衣笠貞之助も当然のように映画では女性を演じていたのですが、舞台とは違ってクローズアップで顔が大写しされる映画では女性が女性が演じたほうがいいだろうということになり松竹蒲田撮影所が女優の採用を始めました。映画の仕事に将来性を感じていた衣笠貞之助は作る方の側になりたいと考え、女形をやめて映画監督に転身を図ります。その際にフィルム交換時に同じ姿勢で待たされた俳優時の経験から、フィルムをカットしてさまざまな角度や位置から撮影すればいいのではないかと思いつき、いくつかのショットを組み合わせてひとつのシーンを作ろうとしたのです。
大正9年(1920年)に自ら脚本を書いた『妹の死』で監督デビューした際には、主人公の妹役を女形として衣笠自身が演じました。当時の作品としてはストーリー展開が目まぐるしくシーンがころころと変わるので、弁士から説明ができないとクレームが入るほどだったんだとか。『妹の死』はフィルムが残っていないのでどのようにショットがつなげられていたのか不明ではあるものの、セルゲイ・エイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』でモンタージュを確立したのが1925年のことですから、衣笠はかなり早い時期からエイゼンシュテインと同じような志向性で映画製作をしていたわけです。
川端康成は東京帝国大学在学中に菊池寛の仲介によって横光利一と出会い、以降川端にとって横光は「恩人」「無二の親友」となりました。川端康成が「伊豆の踊子」を発表した直後の大正15年春、衣笠貞之助、横光利一、川端康成、岸田國士らが「新感覚派映画聯盟」を設立して映画製作に取り組み始めます。サーカスと老人の物語で映画製作を構想していた衣笠でしたが、横光や川端と話し合っているうちに見送りとなり、たまたま精神病患者を見かけた衣笠が松沢病院を見学したことがきっかけになって精神病院を舞台にした物語を製作することに。たまたま手が空いていた川端がシナリオを書くことになったものの撮影が開始されても出来上がらず、衣笠と犬塚稔、沢田晩紅の協力によって完成稿が書き上げられました。
スタッフ・キャストは新しいことに挑戦したいという二十代の青年たちで、キャメラマンの杉山公平は『十字路』から『地獄門』まで衣笠とコンビを組むことになります。主人公の小間使い役には舞台俳優の井上正夫が起用され、舞台から松竹蒲田に移った中川芳江が妻役、井上正夫に師事していた飯島綾子が娘役を演じています。
【ご覧になった後で】前衛映画の価値は認めるものの眠気は我慢できません
いかがでしたか?大正15年という年は12月25日に大正天皇が崩御したために大晦日までの7日間だけが昭和元年になったという特異な年で、そんな昔に本作のようなアヴァンギャルド映画が製作されて劇場公開されたことは驚愕するしかありません。その歴史的価値は認めなければなりませんけど、なにしろサイレントで字幕が出ない映画を1時間10分近く見るのは苦行というしかなく、眠気を我慢できずに何度も寝落ちしそうになりながらの鑑賞となりました。
あとでWikipediaの解説を読んでやっとわかったのは、主人公らしき男はかつて船乗りで家を空けることが多く、不安になった妻は親子心中を図ったものの幼児のみが死んで自分が生き残ったために心を病み精神病院に入院しているという設定だったということ。入院した妻を心配して男は病院の小間使いとなって見守っていたというのですが、実際に見ている側からすると、男が病院の給仕役のようなことをやっていてなぜがひとりの女性患者にだけは優しく接しているんだなという程度しか理解できませんでした。そのうえ病院の庭で出会った和服の女が夫婦の娘で結婚を控えているなんて、誰がどう見たらそうとわかるんでしょうか。観客にわからせたいなら字幕を出すべきですし、アヴァンギャルドではなく普通の見せ方をしないとあまりにも不親切ではないかと思います。
例えば、男が胸ポケットから一枚の写真を取り出すとそこには若き男とひとりの女が映っていて、病室の中の女がその写真にオーバーラップするみたいな表現があれば「フーン、かつては夫婦だったんだな」」とわかりますし、親子心中の新聞記事が映ったあとに葬式で泣き崩れる病衣の妻みたいな映像が出てくれば妻の心労の原因も想像がつきます。本作はそのような具体的描写が全くないまま、踊る女や怒り顔の患者の集団を映した白黒の陰影深いショットや傾いた仰角ショットばかりが出てくるので、序盤でついていけなくなりました。
途中で男が鍵を開けて女を病院から逃がそうとする程度の展開が出てくると多少は映画が動き出す感じになりますが脱出はうまく行かず、和服の若い女が不満を言っているあたりで元のわからなさに逆戻りしてしまいます。霊柩車の幻想のようなショットが被ったりするのも確かにアヴァンギャルドなんでしょうが、ストーリー性やキャラクター設定を無視した純粋映画を狙ったにしてはショットに中途半端な意味づけがされているので、観客としては映像だけ流し見すればいいのか物語を読み取らなければいけないのか非常に迷ってしまうんですよね。なので見ているうちに疲れてきてしまって、眠気との戦いのみに終始する結果となりました。
英語版では「A Page of Madness」というタイトルがつけられているようで、多くの映画史研究家から世界映画史における重要な作品と認められているようです。確かに1920年代といえば映画が発明されてまだ30年も経過していませんし、音を持たないサイレント映画時代においてはどのような映像を撮ってどうつなげればいいのかということのみが映画監督の腕の見せ所だったのかもしれません。エイゼンシュテインとほぼ同時期にさまざまなショットをモンタージュしてイメージを創り出すということを日本の衣笠貞之助が実現していたという事実は誇るべきことではあります。しかし見ていて眠くなる映画は基本的に映画の役目を放棄しているとしか思えず認める気にはなれません。芸術のみを志向する映画は歴史的価値はあるにしても、観客を引きつける要素がないのでなかなかツライんではないでしょうか。ちなみに大船シネマのジャンル分けのどこにも入れられず、やむなく「ホラー」ものにさせていただくことにしました。(A042926)

コメント