偉大なるアンバーソン家の人々(1942年)

『市民ケーン』に続くオーソン・ウェルズ脚本・監督による家族の物語です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、オーソン・ウェルズ監督の『偉大なるアンバーソン家の人々』です。映画史に残る傑作『市民ケーン』を世に送り出したオーソン・ウェルズの二作目の脚本・監督作品で、オーソン・ウェルズ本人は本作ではナレーションの声だけで登場しています。ブース・ターキントンの小説を映画化した19世紀におけるアメリカ中西部の家族の物語で、アカデミー賞作品賞にノミネートされるなど作品としての評価は高かったのですが、110万ドルの製作費に対して興行収入60万ドルと惨敗してしまいました。第二次大戦下に製作されたこともあり、日本では映画評論家水野晴郎氏によるインターナショナル・プロモーションの配給によって1988年にやっと劇場公開されました。

【ご覧になる前に】オリジナル版130分をRKOが40分以上カットしました

アメリカ中西部の町に建つアンバーソン家の豪邸の前で乗合馬車は当家のイザベルが乗り込むのを待っています。自動車開発にのめり込むユージンが町を出たためイザベルはウィルバーと結婚し、溺愛されて育ったジョージのわがままぶりを見て町の人たちはいつか報いを受けるだろうとささやき合います。時が経ち自動車会社を興したユージンが娘ルーシーを連れて町に帰ってきました。ジョージは町の若者たちから声をかけられるルーシーを自宅のパーティに招待しますが、ユージンがかつて母イザベルの恋人だったことを知らされて複雑な気持ちになるのでした…。

原作者のブース・ターキントンは1910年代から20年代のアメリカにおける最も偉大な作家のひとりで、「偉大なるアンバーソン家の人々」と「アリス・アダムズ」のふたつの小説によって、ピューリッツアー賞を1918年と1921年の二度受賞した人です。「宇宙戦争」などのラジオ放送で人気を博したオーソン・ウェルズをハリウッドに招いたRKOは、ウェルズに製作を全権委任していましたから、『市民ケーン』でアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞したウェルズに二作目の脚本を任せたんでしょう。出版後二十年以上経っていたターキントンの小説に目をつけたのはRKO社長のジョージ・シェーファーではなく、本作をマーキュリー・プロとして製作したウェルズだったに違いありません。

オーソン・ウェルズは『市民ケーン』でアカデミー賞にノミネートされた名キャメラマンのグレッグ・トーランドを起用したいと考えていましたが、当時トーランドはサミュエル・ゴールドウィンと契約していて、あきらめざるを得ませんでした。結果的にキャメラマンに起用されたのはオーストリア系ユダヤ人の家に生まれたスタンリー・コルテスでした。

コルテスはサイレント時代のハリウッドでキャメラマンとなった兄リカルドを追って様々なスタジオで助手としての修行時代を過ごした人。ユニバーサル映画と契約したもののセカンドユニットやB級作品しか担当させてもらえず、1941年の『黒猫』が本格的な撮影作品となりました。本作でコルテスはアカデミー賞撮影賞白黒部門でノミネートされたものの、オスカーは『ミニヴァー夫人』が獲得。再びB級映画での撮影が続きますが、1955年のサイコスリラー『狩人の夜』では幻想的な夜を見事な白黒映像で表現することに成功しています。

ウェルズとコルテスは撮影が開始されてからソリが合わなかったようで、ウェルズの映像イメージにコルテスが応えられなかったそうです。製作の終盤にはコルテスはセカンドユニットに降格させられてしまい、撮影助手のハリー・ワイルドがキャメラマンを任されたらしいです。

また本作の製作費を圧迫したのがマーク・リー・カークによる美術セットで、アンバーソン家の屋敷はあらゆる角度から撮影できるようにというオーソン・ウェルズの要請によって、四方の壁から天井まで完璧に作りこまれたそうです。カーク自身も凝り性だったようで、花で飾られた豪華な客間セットを準備するなどセットづくりにこだわったものの、結局そのセットは画面に映らないままだったんだとか。10万ドルを超える美術セット費用は『風と共に去りぬ』を超えるほどの規模で、本作の撮影完了後もRKOはこのセットを再利用しました。『キャットピープル』のシモーヌ・シモンが住む下宿が素晴らしい階段がある豪邸だったのはそのためですし、ロバート・シオドマクの『らせん階段』にもこのセットが流用されているそうです。

本作の完成試写を映画業界で経験した中で最悪のものだったとコメントしたことからわかるように、RKO社長ジョージ・シェーファーは130分にもなる本作が長過ぎると判断し、次回作の撮影でオーソン・ウェルズがブラジルに出かけている間に編集の責任者だったロバート・ワイズに40分以上のカットを命じます。オーソン・ウェルズとロバート・ワイズは本作以降四十年間も険悪な関係になってしまったそうですが、1984年に全米監督組合がウェルズに生涯功労賞を授与した際、二人は観客の前で握手をして和解しました。

しかしカットされた本作を後年になってTV放映で見たオーソン・ウェルズは、後半になると見るのを止めてしまったんだとか。大幅カットを指示したジョージ・シェーファーは、新聞業界から圧力がかかった『市民ケーン』に続いて本作が興行的に失敗したことで辞任に追い込まれ、RKOを去ることに。シェーファーがいなくなったため、ブラジルに行って撮影した映画をお蔵入りとされてしまったオーソン・ウェルズは、自らの企画で映画を作ることができなくなったのでした。

【ご覧になった後で】映像演出や演技は傑作級ですが細部の粗さが減点です

いかがでしたか?オーソン・ウェルズのナレーションで始まる導入部は画面の四隅に黒味がかかった回顧調になっていて、町の古き良き時代や登場人物たちの人間関係を巧みにさばいていて非常に心地よいテンポでした。男性が被る帽子がシルクハットから山高帽に変わっていく様子やジョゼフ・コットンが着替えをするのをファッションの変遷になぞられるなど、短いショットでジョージのわがままな子供時代までを軽やかに描写していきます。非常に期待できる出だしですよね。

アイリスアウトして時制が今になると、移動を交えた長回しショットが多用されて、映像演出のムードが一気に高まっていきます。美女ルーシーを見つけたジョージが手を組んで歩くのを前からドリーバックしてとらえた長回しショットでは、他の町からやってきたルーシーが数日の間に町の若者から注目されていることがわかりますし、屋敷でのパーティの場面も長回しが効果的に使われていました。ジョージの祖父や伯父が町に戻ってきたユージンについて話すところや階段に座ったジョージとルーシーにユージンが話しかけるところなど、パーティのシークエンスは流麗な移動ショットの組み合わせが見事で、前盤の大きなヤマ場として見応えがありましたね。

中盤以降は、物語の進行とともにワンシーンワンカットが増えてきます。奥から手前に三人ほど配置したショットや二人を横に並ばせて会話させるショットはフィックスでそれぞれの構図を映し出していました。一方で大胆な移動ショットもあって、屋敷の階段にいるジョージをとらえたキャメラがティルトアップすると上階にいる伯母ファニーが叫んでいるというような凝った動きが目立ちました。オーソン・ウェルズの映像演出はほとんどクローズアップやバストショットは使わずに、複数の人物をミディアムショットより離れた位置から画面に収めていて、アンバーソン家の人々をクロニクル的に描いていく意図が感じられました。

省略法も効いていて、ウィルバーの死はドアにつけられた喪章だけで表現されていて、次のショットでイザベルとファニーが喪服を着ていることで観客にしっかり伝わります。またジョージと分かれたルーシーが薬局で倒れるところも薬剤師が振り向く動作だけでルーシーを見せることなく表現していました。本作製作時のオーソン・ウェルズはまだ二十七歳。演劇やラジオドラマ出身なのに二作目の映画でここまで洗練された演出ができてしまうのは本当に天才だと思います。

しかしここで問題になるのがキャメラマンの技量です。オーソン・ウェルズの映像演出にスタンリー・コルテスのキャメラがついていっていないというか、キャメラや照明の不備のせいでせっかくの長回しショットに仕事の粗さが目立っていました。例えば、パンフォーカスの甘さ。階段の上にいるジョージとルーシー、階段下にいるユージン、その奥の広間で踊るゲストたち。この三つにカチッとフォーカスがあたっているべきなのに、なぜかルーシーの顔がボケてたところ。また、部屋のカーテンが閉められてイザベルの顔に光が当たらなくなるのですが、露出がアンダー過ぎて表情がわからないくらい暗くなってしまったりしていましたし、町を馬車で移動するジョージとルーシーを横からとらえる移動ショットでは馬車の動きにキャメラが遅れをとっていました。

屋敷の階段の上下ををティルトしてとらえるショットはすばらしかったのですが、上にいるファニーを映したときに画角が狭すぎて構図が決まっていなかったですし、ユージンの手紙を読んだジョージがイザベルの部屋を訪れるところは貧相なドアが画面中央に映されるので女中部屋と勘違いしてしまいそうで、そんな「惜しい!」と思わせるショットが頻出していましたよね。オーソン・ウェルズが意図した映像演出をしっかりした絵にし損ねていたのは本当に残念で、グレッグ・トーランドの起用を熱望したウェルズの判断は元は正しかったわけですね。

俳優はみんな達者な演技を見せていて、特にユージン・モーガン役のジョゼフ・コットンは『第三の男』や『疑惑の影』とは違って、スマートで洒脱なモテ男を重くなり過ぎずに演じていたのが新鮮でした。ジョージをやるティム・ホルトは本作以外では『黄金』くらいしか目立った作品がありませんけど、一見オーソン・ウェルズに似た風貌が買われての出演だったのでしょうか。またルーシー役のアン・バクスターの明るく聡明そうな演技は本作に明るさをもたらす効果がありました。

ユージンとファニーが病室から出て廊下を歩くラストショットはオーソン・ウェルズが知らないところで撮り直されたものなんだそうで、ユージンとジョージが和解したことを暗示する曖昧な終わり方でした。130分バージョンでは奇妙な若者たちが住む下宿屋でファニーが世話役をやっている姿をキャメラが引いていくと、そこはアンバーソン家の建物を改装した下宿屋だったというエンディングなんだそうです。カットされたフィルムを巡ってはピーター・ボグダノヴィッチやフランシス・フォード・コッポラ、ウィリアム・フリードキンらがなんとか発掘しようとハリウッドのスタジオ中を捜索しまくったものの、いまだ行方不明のままになっています。確かにスタッフとキャストがナレーションで紹介するのは130分の長尺であればこその形式だったんでしょうけど、実際の元バージョンは試写会でジョージ・シェーファーが落胆したようにかなり長ったらしくかったるい映画だったのかもしれませんね。(A030726)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました