木下恵介

昭和二十年以前

花咲く港(昭和18年)

松竹で島津保次郎のもとで助監督をしていた木下恵介は本作で初めてメガホンをとることになり、同時に木下作品のほとんどでキャメラを回すことになる楠田浩之もこの作品で撮影助手から撮影技師に昇格を果たしました。
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女(昭和23年)

木下恵介は戦後松竹に復帰すると昭和21年の『大曾根家の朝』を皮切りに次々に新作を発表していきます。本作は昭和23年4月公開作品ですが、同年7月に『肖像』、11月に『破戒』を発表し、この三作品によって毎日映画コンクール監督賞を獲得しています。
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カルメン純情す(昭和27年)

昭和26年に公開された『カルメン故郷に帰る』は日本初のオールカラー映画でしたが、本作は高峰秀子のリリー・カルメンと小林トシ子の朱美の二人の後日譚になっていて、カルメンが前衛芸術家の男性に恋をするというストーリーになっています。
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夕やけ雲(昭和31年)

本作は昭和30年11月公開のメロドラマ『野菊の如き君なりき』から5ヶ月後に発表された青春もので、前作で起用された田中晋二が魚屋の長男洋一を演じています。脚本は木下恵介の実妹の楠田芳子で、妹の脚本を木下恵介が監督した唯一の作品でもあります。
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野菊の如き君なりき(昭和30年)

木下恵介は昭和29年に『二十四の瞳』を発表してキャリアの頂点に達しましたが、映画に対する実験的精神はとどまるところを知らず、本作では映画の大半を占める回想シーンを白い楕円形のフレームで囲うという試みを行っています。
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笛吹川(昭和35年)

この『笛吹川』も『楢山節考』と同じく深沢七郎の小説を映画化したもので、戦国時代の甲州の貧農たちを年代記風に描いた叙事詩的な作品に仕上がっています。白黒の画面に青や赤などの原色を着色するパートカラーになっているところも見どころです。
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楢山節考(昭和33年)

『楢山節考』映画化にあたって木下恵介監督がとった戦略は、原作の伝説的な雰囲気を映像表現するために全編をスタジオセットで撮影し、舞台のような効果を強調するために歌舞伎の演出手法を大胆に取り入れることでした。
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女の園(昭和29年)

この映画が『七人の侍』や『山椒大夫』よりも高評価だったとはにわかに信じがたいですね。世界の多くの映画監督たちが、彼らの人生に大きく影響を受けたと明言している黒澤明や溝口健二の作品よりも上のベストテン第二位です。
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喜びも悲しみも幾歳月(昭和32年)

灯台守夫婦を佐田啓二と高峰秀子が清々しく演じていて、公開時には大ヒット。昭和32年は新東宝が放った『明治天皇と日露大戦争』が当時の記録を塗り替える配給収入を打ち立てた年ですが、松竹で製作・公開した本作もそれに次ぐ第二位のヒット作となりました。
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日本の悲劇(昭和28年)

本作はキネマ旬報年間ベストテンで第六位に入っていますが、内容的には最も戦後の世相を反映した母子の悲劇を描いていて、明朗なイメージのある木下恵介監督の中では極めて社会性の強い作品になっています。
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