大いなる幻影(1937年)

第一次大戦下ドイツとフランスの士官を描いたジャン・ルノワールの傑作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』です。ジャン・ルノワールが兵士の真実の姿を描こうと立てた企画は三年間お蔵入りしていましたが、突然実現の見通しがつくことになり撮影が完了した『ピクニック』の編集を投げ出したジャン・ルノワールは本作の製作にかかりきりになりました。映画が公開されると非常な反響を呼び、ドイツでは「反ドイツ映画ナンバーワン」とレッテルを貼られ、フランス本国でも厭戦的だという批判がおき上映禁止騒ぎが起きました。パリ占領後にナチスドイツの手によって奪われ行方不明となっていたネガフィルムがモスクワで発見され、1958年にルノワール自身によって復元が行われ、そのバージョンが「完全版」となりました。

【ご覧になる前に】エリッヒ・フォン・シュトロハイムが影響を及ぼしました

第一次世界大戦下のフランス空軍基地で休暇に向おうとしていたマレシャル中尉はボワルデュー大尉から空撮のやり直しを指示されます。しかしドイツ空軍のフォン・ラウフェンシュタイン大尉の編隊によって撃墜され捕虜として連行されますが、ラウフェンシュタイン大尉はボワルデューとマレシャルの二人を士官として厚く待遇します。捕虜収容所に移送された二人は銀行家だったユダヤ人ローゼンタールに豪華な缶詰料理をご馳走になりながら、脱走計画を企てます。労働階級出身のマレシャルは、計画を指揮する貴族階級出身のボワルデュー大尉にどこかよそよそしさを感じながら、仲間たちとトンネル掘りに従事するのですが…。

ジャン・ルノワールは1936年の7月から8月にかけて『ピクニック』の撮影にかかりきりになっていました。本当はもっと短期間で仕上げるつもりだったのが、雨のせいで撮影が長引いてしまったのです。そのせいで『ピクニック』の撮影が終わるとすぐに次作の『どん底』の製作が始まることになり、ジャン・ルノワールは『どん底』の撮影に8月末から10月までの二ヶ月強を費やします。そんなときに急に3年間お蔵入りしていた『大いなる幻影』の製作開始に目途が立ち、急いで『どん底』を完成させたルノワールは『大いなる幻影』の準備に入ります。そんなわけで『ピクニック』は撮影を完了したものの編集されずに放置され、完成は1946年まで先延ばしにされてしまったのでした。

3年間お蔵入りしていた『大いなる幻影』はもとはジャン・ルノワールが戦友のパンサール大尉から聞いた話もとにしたもので、偵察機に乗って写真を撮っていたルノワールを戦闘機で守ってくれ、ドイツ軍捕虜になってからは何度も脱走を企てたのがパンサール大尉でした。「君の脱走の物語をもう一度聞かせてくれ」と書きとめた紙が本作の出発点となり、戦争を俯瞰的に見るのではなく戦闘員の立場から真の戦争の姿を描こうとした「マルシャル大尉の脱出」という企画がスタートしました。

いよいよ実現となった際にジャン・ルノワールとともに脚本を完成させたのはシャルル・スパーク。欧州連合の父とも呼ばれるポール・アンリ・スパークを兄弟に持つシャルル・スパークは女優カトリーヌ・スパークの父親としても知られていて、ジェラール・フィリップ主演の『白痴』のシナリオを書いていますし、ルノワールとは『どん底』でも共同で脚本を書いた人です。

1940年にパリを占領したナチスドイツのゲッベルスは、フランスから押収した芸術作品の中に必ずこの『大いなる幻影』のフィルムを含めるよう指示したそうです。というのも公開された当時からドイツ軍の描き方が軟弱であるとして本作を「反ドイツ映画」に指定していたからでしたが、本作のネガフィルムはナチスドイツの敗北と同時にモスクワに渡りました。戦後モスクワの映画アーカイブがフランスのトゥールーズと資料を交換した中にそのネガフィルムが紛れ込んでいたことが発見され、ちょうど本作の復元をしようとしていたジャン・ルノワールの手に渡ることになりました。ドイツとは逆にイタリアのムッソリーニは本作を高く評価して、ジャン・ルノワールをイタリアに講師として招いたりしたようですから、本作には第二次大戦の戦中・戦後を通じていろんな国がからんでいたわけですね。

ドイツ軍のフォン・ラウフェンシュタイン大尉を演じたのはエリッヒ・フォン・シュトロハイム。ウィーン生まれのシュトロハイムはサイレント時代にハリウッドに渡り、俳優を経て監督として活躍した人。『愚かなる妻』や『グリード』を世に送り出したシュトロハイムはD・W・グリフィス、セシル・B・デミルと並んでサイレント時代の三大巨匠と称される偉大な足跡を残し、トーキーの到来とともに監督業に終止符を打ち、俳優に専念することになります。ヨーロッパに戻りルノワールからオファーを受けたシュトロハイムは、物語の導入部に登場する空軍大尉と後半部の収容所長のふたつの役をひとつに統合するアイディアを提示して、それをルノワールが受け入れたことで出演が実現したという話が伝わっています。そのような配役だけでなく、衣裳や美術などにもシュトロハイムのアドバイスが生かされ、シュトロハイムは本作に大きな影響を与える存在になったのでした。

ルノワールは主演のジャン・ギャバンについても最大級の賛辞を送っていて「私はこれまで多くの人を撮影してきたが、これほどの映画的力を持つ人物に出会ったことはなかった。彼は映画的力を持つ人物であり、素晴らしい、信じられないような誠実な人物だ」と語っています。当時のジャン・ギャバンはジュリアン・デュヴィヴィエ監督のもとで『血の果てを行く』『我等の仲間』『望郷』に立て続けに出演してフランス映画界を代表する男優となっていましたから、本作が公開と同時に注目を集めたのはジャン・ギャバンが主演していたからということも影響していたかもしれません。

双葉十三郎先生は本作に「☆☆☆☆★★」という最高点をつけて大絶賛していますし、アメリカの映画評論家レナード・マーティンも「****」の最高評価を与えています。イギリスの雑誌「Sight & Sound誌」が10年おきに発表する「史上最高の映画100選」では1972年に第18位のランクされており、キネマ旬報の「外国映画ベストテン」1980年版では第5位となっています。いずれにしても映画史において最重要のポジションにある傑作であることは間違いありません。

【ご覧になった後で】終盤に向うほど徐々に完成度が高まっていく映画でした

いかがでしたか?たぶん中学生で見て以来の再見なのでもう何十年ぶりになりますが、世間でいうほどの大傑作かと言われるとそんなでもないかなというのが正直な感想です。映像的に圧倒されるわけではないですし、脚本が飛びぬけて優れているとも思えません。確かにジャン・ギャバン、ピエール・フレネー、エリッヒ・フォン・シュトロハイムという俳優たちは存在感があり、他の誰にも代わることができない役を演じているものの、それだけで映画史上の傑作と言えるわけでもありません。双葉十三郎先生には申し訳ないのですが、大船シネマのおススメ映画には入れませんでした。

特に前半の一般収容所のシークエンスはさほど興味がわかずちょっと眠気が襲ってくるようでもありました。ここでは収容所の床下にトンネルを掘って塀の向こう側に脱出しようという計画が企てられます。このプロセスがジョン・スタージェス監督の『大脱走』に似ているのは同じ脱走計画なので当たり前でしょうが、換気のために空き缶をつなげた通風菅を取り付けたり、トンネル内で落盤が起きたり、掘り起こした土を菜園にズボンから捨てたりするディテールはほとんど『大脱走』そのものでしたね。まあ1937年にこの映画を見た兵士たちが第二次大戦中にそれをドイツの捕虜収容所で実行し、そのドキュメンタリーをジョン・スタージェスが映画化したと考えると何の不思議もないのですが。

英国兵やロシア兵が捕虜の中に混じっている状況や女装して余興の演劇を見せる場面などは面白かったものの、大勢の捕虜を描く中ではキャラクターの打ち出しが薄まってしまい、ちょっと映画に入り込めませんでした。しかし急に移送が決まり、車窓から風景が流れるのを眺めて、城を改造した将校用の収容所に場面転換した後は、そこそこピリっとしてきます。というのもエリッヒ・フォンシュトロハイムが再び登場するからで、空軍大尉として背中をのけぞらせてウイスキーを一気飲みする姿もカッコよかったですが、骨折した背骨の矯正器具を身につけた収容所長の高貴で威厳ある姿が実に見事で、シュトロハイムの存在で本作の価値が数段階上がったことがわかりました。

シュトロハイムとピエール・フレネー演じるボワルデュー大尉がともに貴族階級出身であるということで互いに尊敬し合う関係になるというのが本作のサブストーリーを形成するわけですが、どちらかというとシュトロハイムのほうがフランス貴族に憧れを抱くような印象が強く思われました。ピエール・フレネーのほうは案外と素っ気ない対応をしていて、なのでフレネーがジャン・ギャバンとマルセル・ダリオを逃がすために笛を吹きながら城の階上を逃げ回るのをシュトロハイム自らが銃で撃つという展開が、シュトロハイムの片思いのようにも感じられて、フレネーの死を看取る場面もややセンチメンタルな側面が強調され過ぎだったように思います。

その後はジャン・ギャバンとマルセル・ダリオの逃走劇になり、ディタ・パルロ演じる母と娘との出会いにつながっていきます。この終盤は一転して戦時下の淡いロマンスのような雰囲気になり、ラストはドイツ兵の追撃からほんの少しのところで逃れてスイスに向うという希望を含んだ終わり方になります。人間ドラマとしては、戦争の無為さを強調する脚本になっていて、それなりに力を込めて書いたんだろうなと思ったのですが、ジャン・ルノワール本人は「書くのが容易なシナリオはたとえば『大いなる幻影』です。あれは子供でも書けるシナリオで、というのもそこには全体的な物語があって、それが子供っぽいものだからです。そして子供っぽいといいことは観客の注意をひきつけておっくことができるほど強力だということです」と語っています。ルノワールにとっては「脱走できるだろうか、できないだろうか」と観客に思わせておけばよい物語は「子供っぽい」シナリオということになるようです。

またルノワールは俳優の演技を最大限に重視していて、あらかじめ絵コンテなどで映像を決め込むことはせず、俳優の演技が固まった段階でそれをいかに映像に収めれば良いかを即興的に考えてフィックスや移動などの映像演出を決めていたそうです。監督のことをフランス語では「réalisateur」と言いまして、日本語に訳すと「実現する人」になります。ジャン・ルノワールはまさに俳優たちに演技をさせて、観客に伝えたいドラマを実現させるような演出家だったのでしょう。なのでこの『大いなる幻影』も映画的に鑑賞するよりは、そこに描かれたキャラクターやそのキャラクターを表現する俳優たちの演技に注目したほうがその価値を感じ取れるのかもしれません。(A061324)

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