昭和四十年代

日本映画

緋牡丹博徒 お竜参上(昭和45年)

本家本元の東映では岡田茂社長が女を主人公にしたやくざ映画を作れと大号令をかけ出来上がったのが藤純子が矢野竜子を演じた「緋牡丹博徒シリーズ」。全8作品が作られたシリーズの中でも本作は屈指の名作として呼び声が高く、最高傑作のひとつに数えられています。
日本映画

仁義なき戦い(昭和48年)

それまで東映が作って来たやくざ映画は明治から昭和初期にかけての義理人情の渡世を描いた任侠ものでしたが、この『仁義なき戦い』ではじめて戦後の現実的なヤクザすなわち暴力団の実態を映像化して、東映に実録ヤクザ映画という新しいジャンルをもたらしたのでした。
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逃亡列車(昭和41年)

映画の冒頭、日活のロゴマークが出る前に「この映画の製作に当たっては日本国有鉄道の協力を得ました」というテロップが無音で映し出される通り、中国の旧満州が舞台なのですが、ロケーション撮影は国内で行われ、映画に登場する汽車も国鉄が保有していた蒸気機関車が使われています。
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大魔神(昭和41年)

大映は昭和40年に『ガメラ』で特撮映画の分野に進出しましたが、「ガメラ」シリーズの『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の併映作がこの『大魔神』でした。「大魔神」シリーズは京都で製作され、時代劇を得意とする大映京都撮影所の持ち味が十分に発揮されています。
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氷点(昭和41年)

北海道旭川市出身の三浦綾子が朝日新聞の懸賞小説に応募して入選した原作は、新聞連載後に出版されて70万部を超えるベストセラーとなりました。その原作を翌年すぐに映画化したのが本作で、大映に招かれた山本薩夫が監督をつとめました。
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あこがれ(昭和41年)

昭和40年の黒澤明監督作品『赤ひげ』でデビューした内藤洋子は翌年に仲代達矢版『大菩薩峠』のお松に出演しましたが、この『あこがれ』が初主演作品となりました。相手役の田村亮は言わずと知れた阪東妻三郎の次男坊で、デビュー三作目で同じく主役に抜擢されています。
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昭和残侠伝 血染の唐獅子(昭和42年)

「昭和残侠伝」シリーズ第四作『血染の唐獅子』は第三作の一年後に公開されました。そして第五作は本作の一年半後に作られるので、計算されたようにペースダウンするシリーズものは東映でも珍しかったのではないでしょうか。ともあれ第三作までの佐伯清に変わって、第四作では大御所マキノ雅弘がメガホンをとりました。
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アルプスの若大将(昭和41年)

ーロッパロケを行っていることに加えて、国内でも苗場スキー場で撮影したり、スキー競技もヘリコプターによる空撮を行ったりして、非常にゴージャスな感じが加わっています。たぶん製作費もそれまでのシリーズ作より多く投下されたんだと思います。
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ある殺し屋(昭和42年)

本作で市川雷蔵は小料理屋の主人で裏ではプロフェッショナルな殺し屋稼業をやっている寡黙な男を演じていますが、一番の見どころは宮川一夫のキャメラではないでしょうか。冒頭の寂れた港の場面から妙に色調が抑えられていて、非常に乾いたタッチの映像になっています。
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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(昭和42年)

シリーズ第三弾にあたる本作では、空中戦と銘打って空飛ぶ怪獣同士の対決を見せようと羽をもつギャオスという対決相手が設定されましたが、空を飛ぶことよりも口から発射される超音波メスの切れ味があまりにも印象的な悪役怪獣が生み出されたのでした。
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