日本映画

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てんやわんや(昭和25年)

原作は獅子文六が毎日新聞に書いた連載小説で、連載終了の翌年すぐに松竹で渋谷実監督によって映画化されました。愛媛県宇和島市は獅子文六の妻の在所で、戦時中宇和島に疎開していた獅子文六が地元のお祭りや名産品、方言などの文化や風習を題材にして小説化した作品だそうです。
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あこがれ(昭和41年)

昭和40年の黒澤明監督作品『赤ひげ』でデビューした内藤洋子は翌年に仲代達矢版『大菩薩峠』のお松に出演しましたが、この『あこがれ』が初主演作品となりました。相手役の田村亮は言わずと知れた阪東妻三郎の次男坊で、デビュー三作目で同じく主役に抜擢されています。
昭和二十年以前

その夜の妻(昭和5年)

小津安二郎は松竹蒲田時代にはアメリカナイズされたサイレント映画を次々に製作していまして、本作はその中の一本で、岡田時彦が初めて小津映画の主演をつとめた作品としても有名です。娯楽雑誌「新青年」に掲載された「九時から九時まで」というオスカー・シスゴールという人の小説が原作になっています。
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あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(昭和34年)

父親と二人の娘がいる家庭を舞台にしたホームドラマで、父親を佐分利信、娘を若尾文子が演じています。オリジナル脚本の久里子亭は市川崑と妻和田夏十が共作したときの合同ペンネームでアガサ・クリスティをもじってつけられたもので、京マチ子や川口浩がからむ恋愛喜劇に仕立てました。
昭和二十年代

新馬鹿時代(昭和22年)

昭和22年10月12日に前編が公開され二週間後の10月26日に后編が続いて劇場にかかりました。昭和22年4月に日比谷の有楽座でロッパとエノケンの合同公演が実現し、その余勢を買って東宝が映画化したのがこの『新馬鹿時代』で、合計すると2時間46分にも及ぶ長編喜劇となったのでした。
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ゼロの焦点(昭和36年)

松本清張が書いた原作は昭和34年の末に光文社の「カッパ・ノベルス」の第一弾として刊行されました。連載休止をはさみながらなんとか完成した小説を松竹の野村芳太郎監督が映画化し、いわゆる清張ものを代表する作品のひとつとなっています。
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女性の勝利(昭和21年)

戦時中は『元禄忠臣蔵』など国策映画の流れにのった溝口健二でしたが、占領下ではGHQの方針にそって女性の地位向上をうたった「女性解放三部作」に取り組むことになります。本作はその一作目にあたり、女性弁護士が男性優位の封建的な考え方に固執する検事と対峙する姿を描いています。
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高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。
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女中ッ子(昭和30年)

主人公は秋田から女中をしに上京してきた織本初。奉公先の次男坊がはじめは「はつ」と呼び捨てにするのに、徐々に「はっちゃん」と慕うようになる過程がとても丁寧に描かれていて、女中が主人公のホームドラマになっています。
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秋津温泉(昭和37年)

岡田茉莉子が自身の映画出演が100本に到達するというので、当時のベストセラー作家だった藤原審爾の出世作「秋津温泉」を映画化することを自ら提案した作品で、昭和37年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選ばれるなど高評価を得ました。
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