三人の名付親(1948年)

ピーター・B・カインの小説をジョン・フォード監督が再び映画化した西部劇

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『三人の名付親』です。1913年に出版されたピーター・B・カインの最初の小説が原作となっていて、ジョン・フォード監督は1919年に『恵みの光』というタイトルで一度映画にしていますが、本作はその再映画化作品です。タイトルロールの三人をジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニアが演じていて、ジュニアのお父さんで『恵みの光』に主演した初期西部劇俳優ハリー・ケリーに捧げられています。

【ご覧になる前に】ウィントン・C・ホックは本作からフォードと組みました

馬に乗って荒れ地を越えてきた三人の男が「アリゾナへようこそ」の看板を眺めています。ボスのロバートはメキシコ人の相棒ピートと二人で銀行を襲おうとこの土地に来たのですが、若いキッドは自分の意思でついてきたのでした。町に入ると「B・スイート」という表札の家の男が三人にコーヒーを振舞い、妻からパーシーと呼ばれた男が着た皮のベストには保安官のバッジが光っていました。銀行を襲撃してわずかな金貨を奪った三人が逃げる途中、追っ手のパーシーはキッドに銃傷を負わせ、水袋に穴を開けます。砂漠を水なしでさまようことになった三人は水場があるマジャヴに向いますが、そこにはすでにパーシーと臨時保安官たちが待ち構えていたのでした…。

原作者ピーター・B・カインはアメリカ文学でも最も多作な作家としても有名で、特に短編小説を大量に発表していました。彼の長編小説のデビュー作が1913年に発表した「Three Godfathers」で、これまでに何度も繰り返し映画化され、カインの代表作となりました。1930年代には映画館で上映されている作品の大半がカインの小説の映画化だったというくらいの人気作家だったそうで、1957年にその生涯を閉じています。

1917年に監督デビューしたジョン・フォードも「Three Godfathers」を原作にして『恵みの光』という作品を撮ってますが、なにしろサイレント時代に西部劇を月に一本のペースで監督していた時期でしたし、現在ではフィルムも現存していないので、しっかりと作り直したいという気持ちがあったのかもしれません。大戦中に海軍に従軍して戦記物映画を撮っていたジョン・フォードは戦争終結後『荒野の決闘』『アパッチ砦』に次いで、『三人の名付親』のリメイクに挑戦したのでした。

本作はジョン・フォードにとって初めてのカラー作品で、キャメラマンを担当したウィントン・C・ホックは本作以降、ジョン・フォード一家のキャメラマンとして『黄色いリボン』『静かなる男』『捜索者』などでキャメラを任されるようになります。ロケーション撮影はカリフォルニア州のモハベ砂漠で一ヶ月以上行われ、西部開拓というのはこんな土地を開墾することだったのかと痛感するくらいに厳しい荒野や砂漠の姿があますところなく映像化されています。

ジョン・フォードの『恵みの光』の原題は「Marked Men」と言い、当時の映画ポスターを見るとまさに本作同様、ボスとメキシコ人と若いカウボーイの三人が跪く姿がイラストで描かれています。本作でジョン・ウェインが演じるロバートが「Marked Men」ではシャイアン・ハリーという役名になっているらしく、その役を演じていたのがハリー・ケリーでした。どうやらジョン・フォードのサイレント西部劇は「シャイアン・ハリーもの」といってハリー・ケリー主演でシリーズ化されていたらしく、本作のクレジットに献辞を入れたのも若き日のジョン・フォードとハリー・ケリーがコンビを組んでいたことの証左でしょう。ハリー・ケリーは本作公開の前年に亡くなっていて、ジョン・フォードが息子ジュニアを主演級に抜擢するために本作のリメイクを決めたという説もあるそうです。

脚本はローレンス・ストーリングスとフランク・S・ヌージェントの共作で、ヌージェントはフォード一家の一員とも言えるライタ―です。本作以外に『アパッチ砦』『黄色いリボン』『静かなる男』『捜索者』と多くの作品でシナリオを書いたのがヌージェントでした。ストーリングスは本作の翌年に『黄色いリボン』の共同脚本に参加していますが、割と早めにTV界に移ったようですね。

カインの「Three Godfathers」はジョン・フォードの『恵みの光』だけでなく映画の原作として大変人気があって、1936年にも映画化された作品はその後「砂漠の奇蹟」というタイトルに変更されたようです。また本作を現代劇にリメイクしたのがフランス映画の『赤ちゃんに乾杯!』(1985年)ですし、さらにそれがアメリカに戻って『スリーメン&ベビー』という映画になっています。こうなるともうカインの原作の映画化というよりも三人の男が赤ちゃんを背負い込むことになるというモチーフが残ったと言ったほうがいいかもしれません。

【ご覧になった後で】聖書の導きみたいな教訓を除けばなかなかの良作でした

いかがでしたか?本作は脚本が非常にうまくできていて、保安官との出会いから銀行強盗へと展開し、水場を求めて彷徨う三人と保安官たちの追跡という西部劇の王道が見事なプロットで語られていきます。ところが破壊された水場で出産間近の妊婦を発見する場面が転機となって、三人の男が生まれたばかりの赤ん坊の命を守り抜けるかという別のテーマが立ち上がります。このように大きく方向転換するストーリーは西部劇ではなかなか見られないと思いますが、それまで描かれた三人の関係や水がない砂漠の行程の厳しさに赤ん坊が加わったことで、映画に劇的な化学反応が起こり、西部劇というよりは人間ドラマ風に昇華していくのです。ピーター・B・カインの原作が何度も映画化されたのは元の小説にこの基本構造が込められているためでしょうけど、本作はジョン・フォードの映像的語り口もあり、観客を引き込む力をもった良作に仕上がっていました。

特に素晴らしいのはウィントン・C・ホックのキャメラで、『捜索者』のときもそうでしたけど西部の厳しい自然環境を映像にするならこの人しかいないというくらいにまざまざとアメリカ西部の自然と気候を描き切っていました。猛烈な嵐が吹き荒れる砂漠の映像では、なぜ砂紋ができるかは本作を見れば一目瞭然というくらいに砂漠における嵐の凄まじさが伝わってきましたし、果てしなく続く塩湖の白く干上がった平地が延々と続く映像からは、西部開拓史とは銃をぶっ放すことではなく何もない不毛な土地に人が足を踏み入れることだったんだなという歴史を実感することができます。その峻厳な自然環境の中を三人の男たちは映画後半部を通してずっと徒歩で移動するわけですから、フラフラになって行き倒れるという描写が決して嘘ではないのだと胸に迫ってくるようでした。

ホックのキャメラショットの中で印象深かったのは倒れてしまったジュニアからジョン・ウェインがカウボーイハットで陽射しをさえぎる場面でした。ここは太陽を隠すジョン・ウェインと顔がその影になっているジュニアを切り返し、ジュニアの息が絶えるとジョン・ウェインはカウボーイハットを握った手を降ろします。その瞬間、キャメラが太陽を直に写すことになるのですが、1948年という製作年度を考えると黒澤明が『羅生門』で宮川一夫に木漏れ日を撮らせる前に本作ではキャメラが太陽に向けられていたことになります。どっちが先かは別にしても、このショットを双葉十三郎先生が絶賛していたのをお伝えしておきます。

そしてジョン・ウェインは銃を扱う場面はほとんどないにも関わらず、銀行泥棒チームのボスであり、メキシコ人の相棒を友人として扱う知識人であり、水筒の水をキッドのために使う親心の持ち主であるロバート役に実在の厚みを持たせる演技を披露していました。ジョン・ウェインといえば西部劇のヒーロー役で有名だったわけですが、決してワンパターンの演技をしていたのではなく、本作のように強き男であると同時に人情味があって正しい振舞いができる男をしっかりと表現する演技力を兼ね備えていたんですね。

そしてピートというかペドロを演じたペドロ・アルメンダリスは、あの『007ロシアより愛をこめて』でMI6のイスタンブール支局長役をやった人。本作出演時は30代半ばなので精悍なイメージがあり、かつ敬虔なメキシコ人っぽい感じをうまく出していました。007シリーズ主演中に末期がんを患っていたそうで五十一歳でピストル自殺したというエピソードを子供の頃に知って強く胸に刻まれている俳優さんです。

保安官役のワード・ボンドもフォード一家の俳優のひとりで、執念深く追い詰めたジョン・ウェインが酒場で倒れた次のショットでは牢屋の柵越しにチェスに興じているという粋な場面展開がよく似合っていました。ジョン・フォードの演出は本当にこのような語り口のうまさがあって、省略したり詳述したりの強弱のつけ方は比類ないものがあります。本作では珍しくオーヴァーラップの技法を使って、死んでしまったペドロとキッドがジョン・ウェインを励ましながら歩くという場面を見せていて、それが安っぽくならず、逆になんだか神聖さみたいなものを醸し出していたような気がしました。

しかしそのすぐ後で、断崖の間を抜けたジョン・ウェインはロバに出会い九死に一生を得ます。それは聖書の一節が現実になったという寓意だったわけですが、本作は後半でやたら聖書が登場しては神の教えみたいな一節がたびたび読み上げられます。これがなんとも映画のリズムに悪影響を及ぼしていて、三人の男がひとつの命の誕生を見守り、死んでいく母親と交わした約束を果たすという人間的な良心によって行動していたにも関わらず、なんだか神の導きによって赤ん坊が救われたみたいな教訓物語に変質してしまいました。ここらへんがアメリカ映画の薄っぺらいところで、プロテスタントかカソリックかの違いはあったでしょうけどキリスト教が一神教的に普遍化されていた1940年代には通じたのかもしれませんが、現在的に見るとヒューマンなドラマがチープな教科書っぽい訓話に貶められたように感じてしまいました。

それでも本来は20年の懲役刑のところをわずか1年に短縮され、しかも町一番の美女に好意を持たれて汽車で帽子を振りながら去っていくジョン・ウェインはカッコいいわけで、昔ながらのハリウッド西部劇の良さが伝わるエンディングであったことは確かです。ロバート・ウィリアム・ペドロと命名された赤ん坊が本当にその名前を受け継ぐのかまでは描かれませんでしたが、『三人の名付親』というタイトルが映画の内容にぴったりとハマっていた良質な西部劇でした。(V042924)

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