1940年以前

激怒(1936年)

フリッツ・ラングはユダヤ系オーストリア人で、ナチスドイツによる迫害の対象となることをおそれ、ドイツを脱出してパリに滞在後、アメリカに渡りました。本作はフリッツ・ラングがハリウッドのMGMで初めてメガホンをとった作品です。
1940年以前

M(1931年)

サイレント時代からドイツで監督として活躍していたフリッツ・ラングにとっての初めてのトーキー作品で、デュッセルドルフで起こった少女連続殺人事件をモチーフにしてラングと妻テア・フォン・ハルボウが脚本を書きました。
外国映画

軽蔑(1963年)

『勝手にしやがれ』でヌーヴェル・ヴァーグの一番最後に映画監督デビューを果たしたゴダールは、結婚したアンナ・カリーナを主演にした作品を発表していましたが、本作では当時の世界的女優ブリジット・バルドーが主演に起用されています。
日本映画

処刑の島(昭和41年)

松竹に入社して『恋の片道切符』で監督に昇進した篠田正浩はその5年後の昭和40年に松竹を退社しました。本作は退社後初となる監督作品で、武田泰淳の原作を石原慎太郎が脚色したシナリオを映画化しています。
日本映画

電送人間(昭和35年)

プロデューサー制をとっていた東宝では、『ゴジラ』を製作した田中友幸が円谷英二を特技監督に起用した特撮映画をシリーズ化していましたが、その初期には「変身人間もの」と呼ばれる連作がありました。本作は『美女と液体人間』に続く第二作です。
日本映画

朱唇いまだ消えず(昭和24年)

松竹三羽烏のひとりだった佐分利信と梨園の妻となって映画界を引退したものの戦後復帰を果たした高杉早苗が共演していて、かつて学生時代に恋人同士だった男女が、別々の人生を歩んだのち約二十年ぶりに再会し不倫関係になるというお話です。
日本映画

忠臣蔵(昭和33年)

日本の時代劇史上最大最高の鉄板コンテンツとして映画界でも繰り返し忠臣蔵ものが作られました。本作は大映が創立18周年記念としてオールスターキャストで製作したものですが、驚くことにシンプルでドンズバの『忠臣蔵』という題名を持つ忠臣蔵映画はこの大映版のみです。
外国映画

十戒(1956年)

1923年製作のサイレント映画『十誡』を大ヒットさせて「史劇の巨匠」とも呼ばれていたセシル・B・デミルが七十五歳のときに自らのプロダクションによりリメイクした3時間40分に及ぶ大作で、製作費は当時の金額で1300万ドルに達しました。
1940年代

三人の妻への手紙(1949年)

ジョセフ・L・マンキーウィッツは本作でアカデミー賞監督賞・脚本賞の二部門を受賞したのですが、翌年も『イヴの総て』で監督賞・脚色賞でオスカーを獲り、二年連続の二部門受賞は現在でもマンキーウィッツだけという快挙を成し遂げました。
1940年代

三人の名付親(1948年)

1913年に出版されたピーター・B・カインの最初の小説が原作となっていて、ジョン・フォード監督は1919年に『恵みの光』というタイトルで一度映画にしていますが、本作はその再映画化作品です。『恵みの光』に主演した初期西部劇俳優ハリー・ケリーに捧げられています。
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