ヌーヴェル・ヴァーグの監督によるパリを舞台にしたオムニバス短編集です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・リュック・ゴダール、クロード・シャブロルなど6人の監督による『パリところどころ』です。ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督6人がパリの6つの場所を舞台にした短編を撮り、その6作品を集めたオムニバス作品になっています。原題の「Paris vu par…」は「~から見たパリ」という意味なんだそうで、サンジェルマン・デ・プレから始まって北駅や凱旋門広場などを舞台にした6つのショートストーリーが並べられていて、英語版タイトルは「Six in Paris」でした。1965年のベルリン国際映画祭で初上映されたのですが、日本では日本ヘラルド映画の配給で1993年になってやっと劇場公開されました。
【ご覧になる前に】全編16mmフィルムで撮影され35mmに拡大して公開
サンジェルマン・デ・プレの美術学校に通う女学生がアパルトマンのベッドで目覚めると男はもう服を着て簡単な朝食を用意していました。電話でメキシコからの飛行機の到着時間を確かめた男は女学生を追い出すようにしてアパルトマンから外に出てメキシコ行きの飛行機に乗るんだと立ち去ります。その午後、キャンバスを抱えた女学生が美術学校のデッサンルームに入ると、そこでヌードモデルをしていたのは飛行機に乗るはずのあの男でした…。
6人の監督は以下の通りで6つの場所がそのまま短編のタイトルになっています。ジャン・ドゥーシェ監督の「サンジェルマン・デ・プレ」、ジャン・ルーシュ監督の「北駅」、ジャン・ダニエル・ポレ監督の「サンドニ街」、エリック・ロメール監督の「エトワール広場」、ジャン・リュック・ゴダール監督の「モンパルナスとルヴァロワ」、クロード・シャブロル監督の「ラ・ミュエット」で、ゴダールの短編に入っているルヴァロワはパリに隣接したオー・ド・セーヌ県の町のようですので、正確にいえばパリ6ケ所+パリ郊外1ケ所の7つの場所が舞台になっています。
その「モンパルナスとルヴァロワ」でジャン・リュック・ゴダールは「監督」ではなく「作品組織化」(film organize)とクレジットされていて、もしかしたら現場での演出は他の人にやらせて、プロデューサーとか編集の仕事だけをやったのかもしれません。それでもゴダールのフィルモグラフィでは『アルファヴィル』と『気狂いピエロ』にはさまれて明記されています。ちなみに原案になったのは1961年製作の『女は女である』のレストランの場面でジャン・ポール・ベルモンドがアンナ・カリーナに話して聞かせるニュース記事なんだそうです。
2005年にフランスでリバイバル公開され、それに合わせて日本でもザジ・フィルムズの配給で再上映されました。その際にフランス版のが間違っていたのかザジ・フィルムズが間違えたのかわかりませんが、フライヤーに第一話と第三話がテレコになってしまい、その影響なのかWikipediaでも第一話が「サンドニ街」で第三話が「サンジェルマン・デ・プレ」と表示されています。これらはすべて間違いで、映画はサンジェルマン・デ・プレの街並みを捉えた映像にジャン・ドゥーシェ監督のものと思われるナレーションから始まります。
プロデューサーのバーベット・シュローダーはテヘラン出身の監督兼製作者で、エリック・ロメールとともに1962年に「レ・フィルム・デュ・ローザンジュ」を設立した人。第一回作品の『モンソーのパン屋の女の子』からエリック・ロメール監督の「六つの教訓話」シリーズが始まり、シュローダーは『カラビニエ』ではゴダールの助監督をつとめています。1969年にはピンク・フロイドを音楽に起用した『モア』で監督デビューを飾り、1990年代には『運命の逆転』『ルームメイト』『死の接吻』などアメリカ映画を次々に監督することになります。
フランス文化省傘下の公的機関CNC(国立映画・アニメ映像センター)は16mmフィルムを標準以下と見なしていて、16mmフィルムは短編映画でしか許可されていませんでした。プロデューサーのシュローダーはCNCに長編映画ではなく6本の短編映画の許可申請を個別に提出することにして、結果的に本作の撮影はすべて16mmフィルムのキャメラで行われることになりました。映画が完成した際に16mmフィルムを35mmフィルムに拡大デュープして劇場で上映されたそうで、この方式で公開された初めてのフランス映画となったのでした。
【ご覧になった後で】ウィットに富んだ6編の中で「北駅」の実験性に注目
いかがでしたか?6つの短編それぞれが面白く作られていて、気の利いたユーモアがありつつも知性や観察力を感じさせる小品揃いでした。「サンジェルマン・デ・プレ」は女学生をひっかける男がアパルトマンと車を共有しているという設定だけでやや低調ではあるものの、観客をパリの街の雰囲気に入り込ませるスターターの役割を果たしていましたし、やり手娼婦と内気な皿洗いレオン君の対照がおかしい「サンドニ街」ではテーブルでパスタを食べる二人を真正面から切り返すカッティングにこだわりを感じさせました。
ジャン・ミシェル・ロジェ演じる服飾店の店員が浮浪者を殺してしまったのではないかと出退勤のルーティンを変える「エトワール広場」はちょっとしたエスプリとサスペンスを感じさせる短編映画のプロトタイプのような完成度でしたし、二人の恋人に手紙を出し間違えたと思い込んだジョアンナ・シムカスが鉄板アーティストと車の修理工の両方からフラれる話は粋なフランス映画っぽい感じがありました。ちなみにカナダ人のジョアンナ・シムカスは、パリでファッションモデルをやっているときに『スタンダールの恋愛論』で映画デビューしたのですが、本作の撮影はその前だったみたいで女優っぽくない演技が自然に感じられましたね。
クロード・シャブロルが自ら父親役を演じた「ラ・ミュエット」だけは仲の悪い夫婦の言い争いを聞きたくない息子が耳栓をつけることになり母親の事故に気づかないといういかにも教訓話っぽい仕立てになっていて、やや鼻白む出来栄えだったのは残念でした。クロード・シャブロルは妻の祖母の巨額な遺産でAJYMフィルムを設立してジャック・リヴェットの『王手飛車取り』や自ら監督した『美しきセルジュ』を製作した人。ヌーヴェル・ヴァーグの創設に多大な貢献を果たしたことで、本作ではトリに選ばれたのかもしれません。たぶんセリフのある役での出演は本作だけではないかと思われるのですが、黒髪で高い鼻と黒縁メガネはジャン・クロード・ブリアリを想起させ、クロード・シャブロルの作品でブリアリが主演をつとめることが多かったのは自らを反映できるからだったんでしょうね。
6作の中で最も印象的だったのはジャン・ルーシュ監督の第二話「北駅」。本作は16mmキャメラでの撮影が見事にハマった一本になっていて、隣で高層ビルの工事が始まったアパルトマンのキッチンでナディーヌ・バローが夫(なんとプロデューサーのバーベット・シュローダーが演じています)と口論しているところから始まります。二人は洗面所や寝室に移ってもまだ口論を続けてるのですが、夫の発言に傷ついたナディーヌは部屋を出てエレベーターに乗り、勤め先まで歩き出します。そこで車に轢かれそうになり、ナディーヌを誘おうとついてくる車の運転手が北駅のガードから飛び降り自殺をしてしまうという展開の、その飛び降りまでがなんと長回しのワンショットで撮られている非常に実験性の高い作品でした。
アパルトマンでの口論はほとんど台本が用意されていなかったようで、夫婦役の二人はやかましい騒音の中で売り言葉に買い言葉をアドリブで重ねていき、演じてる本人たちでさえどんな展開になるかわからない口喧嘩を繰り広げたのです。見ていても全く不自然なところがなく、ワンショットの長回しだと気づかせないような緊密な感じが維持されていたのは、ジャン・ルーシュの撮り方によって生まれたものでした。演出なのか演技なのか即興なのか記録映画なのか、その境界線がわからなくなるような撮り方がこの短編のリアルさの背景にあったのです。
キャメラは部屋のあちらこちらに移動した末にナディーヌ・バローと一緒にエレベーターに乗り込み、アパルトマンの外に出ます。たぶん狭いエレベーターには機動性のある16mmキャメラでなければ入り切らなかったでしょう。車の男と一緒に歩くナディーヌ・バローのヒールの音がカツカツとクリアに聞こえるのに対して、キャメラマンの足音はほとんど入っていないので、一瞬アフレコなのかとも思ったのですが、部屋の中の口論をアフレコで完全に再現することは不可能です。同時録音でなければ携帯型のテープレコーダーでキャメラとシンクロさせて採録したのかもしれませんけど、飛び降りでカットが変わるまでの10数分をワンシーンワンカットで撮った「北駅」は本作の中で最も緊張感のある迫真性の高い短編だったと思います。
ジャン・ルーシュは1917年生まれですからカイエ・デュ・シネマ出身の監督たちより年長で、シネマテーク・フランセーズの創設者アンリ・ラングロワと同世代になります。「シネマ・ヴェリテ派」として『ある夏の記録』を残していますが、文化人類学者として記録用に映画を用いることが多かったようで、本作の「北駅」はジャン・ルーシュの作品が見られる唯一のメジャー映画といってよいでしょう。一般的には本作はゴダールの「モンパルナスとルヴァロワ」が入っていることに注目が集まりがちですが、1986年から1991年にかけてシネマテーク・フランセーズの代表をつとめ、映像人類学を確立した学者でもあるジャン・ルーシュの短編が含まれていることこそ本作の価値なのかもしれません。(T081226)

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