マイケル・ケインがMI6諜報員を演じるドン・シーゲル監督のイギリス映画
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ドン・シーゲル監督の『ドラブル』です。原作はクライヴ・イーグルトンが書いた「殺人への七日間」で、MI6諜報員をマイケル・ケインが演じています。英語タイトルも「ドラブル」の予定でしたが、ユニバーサルピクチャーズの幹部から許可が下りずに「黒い風車」の題名で公開されました。映画評論家レナード・マルティン氏は「職人芸的ではあるけど全体的にはパッとしないスリラー」と評しています。
【ご覧になる前に】『大脱走』コリン役のドナルド・プレザンスが上司です
寄宿舎の近くの野原で模型飛行機を飛ばそうとする少年たちは、政府機関を名乗る大人たちに取り囲まれトラックに乗せられます。その頃ロンドンでは同僚の荒い運転で郊外の屋敷に到着したジョン・タラントは、諜報機関幹部が集まる会合で上司ハーパーから50万ポンドの資金がダイヤモンドに換えられたことを知らされます。別居中の妻からの電話で息子が誘拐されたらしいと知らされたタラントが急いで自宅に戻ると、「ドラブル」と名乗る男から19時に上司のハーパーと話をさせろと要求されるのでしたが…。
作家のクライヴ・イーグルトンは本作の原作となった「殺しへの七日間」(Seven Days To Killing)を1973年に発表したほかはあまり多くの作品を残していないようで、15年後の「十年目の汚辱」という小説がある程度です。その原作を脚色したのはプロデューサー兼シナリオライターのリー・ヴァンス。ヴァンスは主にTVシリーズの台本を書いていて、日本では「スパイ大作戦」として知られている「ミッション・インポッシブル」シリーズの中のシーズン4以降でいくつかのエピソードを執筆しています。
ドン・シーゲルは戦前からワーナーブラザーズで編集助手や助監督として下積み生活を送った後に監督に昇進したものの、リストラされてRKOなどでB級映画を撮り続けた人。1956年製作の『ボディスナッチャー/恐怖の街』はその頃の代表作で、メジャーではないアライド・アーティスツで製作されています。同社がTV番組の製作に活路を見い出したことが影響したのか、ドン・シーゲルも「金を稼ぐため」にTVシリーズの演出を手掛けるようになり、そこで監督したリー・マーヴィン主演の『殺人者たち』がキャリアの転機となります。
1969年の『マンハッタン無宿』でクリント・イーストウッドと意気投合したドン・シーゲルは、イーストウッド主演作を次々と監督することになっていきます。『真昼の死闘』『白い肌の異常な夜』に続く『ダーティハリー』で名声を確立したシーゲルは自身のプロダクションを立ち上げ、1973年に『突破口!』を製作・監督すると、本作でも同じように製作・監督を兼任したのでした。
主演のマイケル・ケインはスケジュールが空いていて出演料がもらえれば内容を問わずどんな作品にも次々と出演する俳優で、シリアスな役からコメディものまでジャンルにこだわらずに幅広い演技を披露したことで知られています。本作の前にも『探偵<スルース>』でローレンス・オリヴィエと対決していますし、本作の後には『王になろうとした男』でショーン・コネリーの脇に回るなど、1970年代中盤はマイケル・ケインのキャリアがピークに達した頃。本作のスパイ役もマイケル・ケインの演技が見どころになっています。
マイケル・ケインの上司ハーパーを演じるのがドナルド・プレゼンス。『大脱走』でジェームズ・ガーナーと一緒に脱走するコリンを演じた俳優と言った方が通りが良いかもしれません。第二次大戦中に搭乗していた爆撃機が撃墜されてナチスドイツの捕虜になった経験もあるプレゼンスは、戦後舞台を経由して映画界に入り脇役を演じ続けていて『大脱走』で脚光を浴びることに。『007は二度死ぬ』ではスペクターの首領ブロフェルドを演じ、1970年代には悪役として個性を発揮しました。本作では007シリーズの「M」にあたるようなMI6のマネジメント役をきっちりと演じています。
【ご覧になった後で】スパイから父親に変わっていく主人公が魅力的でした
いかがでしたか?NHK BSで放映されていたので「そういえばこの映画見たことないよね」と思いつつ見たのですが、脚本が巧いこともあってなかなかの出来栄えであっという間の1時間45分でした。マイケル・ケイン演じるタラント少佐がスパイであるにも関わらず息子を誘拐される展開が面白く、しかも実はタラントを犯人に仕立てようとする政府高官の陰謀だったことが徐々に明らかになるという展開がまさに「巻き込まれ型サスペンス」になっていたこところに本作の妙味がありました。
本作は1975年に日本公開されていて、もしかしたらと思って大昔のノートを引っ張り出したらなんと映画館で見たという記録があり、地方都市の洋画専門封切館でロマン・ポランスキー監督の『チャイナタウン』と二本立てで鑑賞していました。ジャック・ニコルソンが鼻をナイフで切られるシーンなんかは鮮明に思い出せるのに『ドラブル』を見た記憶はすべて飛んでいて、なかなか面白いなと思って見ていた1時間45分の間に「これ見たことあるかも」とは一瞬たりとも感じませんでした。記憶力の悪さには本当に呆れてしまいますね。
ドン・シーゲルの演出は非常に手堅く、室内ではしっかりフィックスに構えて登場人物たちのセリフに集中できるようにさせていて、複雑なシチュエーションを丁寧に観客に伝えていました。しかしアクションシーンになると一転して手持ちキャメラによる激しい移動ショットが続き、臨場感溢れた迫力のある演出に転調します。例えばマイケル・ケインが地下鉄を使って逃走する場面などは追う側と追われる側を激しくカットバックしながら二人の位置関係を整理しつつ、短い移動ショットでシュアなアクションシーンをつくり上げていました。こうしたテンションの高いアクション演出はパリでマイケル・ケインが「ドラブル」ことジョン・ヴァーノンと対峙するシーンやクライマックスの風車のシーンでも同じように効果を上げていました。
これらとは真逆に静かなフィックスショットが長いオーバーラップでつながれるところが本作の中で一か所だけ出てきます。ジャネット・サズマン演じる妻が公文書館みたいなところで「ふたつの風車」の場所を突き止めてマイケル・ケインに電話する場面。これで息子が助かるかもしれないという母親の想いから電話ボックスから冷静に政府高官に電話をかける父親にディゾルブする二つのショットは、別居して冷え切っていた夫婦が息子を救うという一点において再び同志として結びついたことを象徴するようで、サスペンスタッチのクールな映画の中で唯一情感が溢れた映像表現になっていました。
クールということで言えば、本作の中でマイケル・ケインが訓練された沈着冷静さを捨てて怒りをあらわにする場面が美術オークション場を模したMI6の建物での場面でしたね。ドナルド・プレゼンスのハーパーから身代金は支払えないと告げられたマイケル・ケインが自室のデスクの備品をなぎ倒すのですが、ここでマイケル・ケインは有能なスパイから息子を愛するひとりの父親に立場を変えるのです。このスイッチの入り方というか切り替えがすごく切実に観客に伝わってきて、ここだけ激高するマイケル・ケインの演技と相俟って非常に印象に残るシーンになっていました。
上司ハーパーを演じるドナルド・プレゼンスはいつも神経質そうにハンカチをいじっていたり、電話の相手の声を冷静に聞き分けたりして、ハーパーという人物に厚みを持たせていたのが巧かったです。タラントに任務を与えた自分にも責任があり、政府高官の指示に従う義務がありながら、息子を誘拐されたタラントに同情しているという難しい立ち位置をうまく演じていました。片手を骨折しながら観葉植物に水やりしているハーパーを妻が「ドラブルから」と言わずに別の名前を伝えて電話に出るように促すところでは、ほんの短いやりとりでハーパーと妻の信頼関係が描写されていて、こういう細かいところでハーパーという人物の魅力が増強されていたと思います。
というわけでなかなかよく出来た傑作サスペンスではあるものの、よくよく考えてみると詰め切れていない部分も散見されるわけで、例えばダイヤモンドを預けた銀行の貸金庫の鍵。ファイルに張り付けたのをデスクの引き出しに入れておくだけなんてことがあるわけないと思いますし、銀行のほうでも受電だけで本人確認せずにタラントを代理人として通してしまうことはありえないのではないでしょうか。またパリで警察車両が発車するとすぐにトレーラーとドラブルの車が追跡を始めますけど、そんなすぐ後を同じトレーラーがついてきたら警察車両の運転手に気づかれてしまうでしょう。
タラントを脱走させてそれを現地警察が撃ち殺すという筋書きだったということが後で明かされることになり、タラントひとりにダイヤモンド強奪の罪を着せる陰謀だったことが観客に伝えられます。しかしタラントの単独犯行だとしたらトレーラーの存在はどうなるんでしょうか。タラントを逃がすための共犯者がいたことになり、警察車両での移送を妨害されたフランス警察としてはメンツをかけてトレーラーの捜索に着手するはずです。しかもタラント殺害はたったひとりの中年警察官に任されていて、川の上から船に飛び降りたタラントを逃がしてしまうのです。ここまでやるならタラントを仕留めるほうに要員を割くべきだったのではないでしょうか。
そしてクライマックス。無事に息子を救い出してマイケル・ケインの「ママのところに戻ろう」というセリフで映画は幕となります。この急転直下のエンディングも悪くはありませんけれども、黒幕のエドワード卿はどうなったのでしょう。ドラブル一味が全員死んだとなると陰謀の証拠もなくなるわけで、エドワード卿はいくらでも言い逃れが出来てしまいます。そしてハーパーも電話を受けた以降姿を現しません。「ふたつの風車」の謎を解いたハーパーが現地にやって来てエドワード卿を捕らえることを暗示するようなショットなり表現がなかったのはエンディングとして中途半端でした。
あとこれを言ってはお終いよということかもしれませんけど、デルフィーヌ・セイリグ演じるバロウズをタラントの愛人だと見せかけるために冷酷に絞殺してベッドに括り付けるということまでしているのに、タラントの息子をいつまでも生かしておいたのはなぜでしょうか。タラントを犯人に仕立てるための誘拐事件だったわけでタラントを殺すのなら真実を目撃していて証人になるかもしれない息子を生かしておくのはいかにもリスキーです。もちろん子供を殺す展開は映画では受け入れられないですし、マイケル・ケインが息子を抱きしめながら朝焼けの中を帰っていくラストショットは感動を呼びますけど、非情な犯罪集団の犯行としては手抜かりが目立ってしまい、リアルなサスペンス映画がご都合主義に陥ってしまったように感じられます。せっかく良く出来た脚本なのですから、詰めの甘さが本作を傑作にし損ねていたのは残念でした。
ドン・シーゲルがタイトルにしようとしていた「Drabble」は「衣服の裾を水で濡らす」とか「糸を垂らして魚を釣る」とかいう意味があるんだそうです。英語タイトルとしてはダブルミーニング的でカッコよいような気もしますし、「黒い風車」というタイトルよりははるかに本作に似合っています。邦題の『ドラブル』がドン・シーゲルの意図を汲んだのかどうか知りませんが、日本語的に言えば「トラブル」の間違いなんじゃないかと多くの観客が感じたことでしょう。「息子を誘拐されたスパイ」というシチュエーションをうまく表現した邦題をつけたらもう少しメジャーな作品になったのではないでしょうか。
スパイ映画としてみると映画の冒頭でドナルド・プレゼンスが「ショーン・ケリー」というべきところを「ショーン・コネリー」という楽屋落ちがあって、本作が1960年代の派手なスパイ映画とは対極にある現実的で地味なスパイ映画であることは明らかです。MI6として海外の諜報活動に携わるタラントを国内の治安維持を担当するMI5の職員が見張るという設定も皮肉が利いていて、地下鉄でMI5の男からウィンクされたマイケル・ケインが追跡をかわしてウィンクし返すところはイギリス風ジョークが感じられました。また007の「Q」が作るような秘密兵器だったはずの弾丸を発射するブリーフケースがダイヤモンドの運送道具に転用されますが、ドラブルのアジトのワイン樽を破壊するだけに終わってしまうところも007シリーズを揶揄しているようで興味深かったです。(V052326)

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