犯罪河岸(1947年)

H・G・クルーゾー監督の戦後復帰第一作は殺人事件をめぐるサスペンスです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の『犯罪河岸』(はんざいかし)です。第二次大戦中に監督したサスペンス映画で注目を浴びたアンリ・ジョルジュ・クルーゾーは対独協力を疑われて表立った活動ができなくなっていましたが、ジャン・コクトーらの支援を得て、この『犯罪河岸』で映画界に見事復帰を果たしました。殺人事件をサスペンスタッチで描いた本作でクルーゾー監督はヴェネツィア国際映画祭の監督賞を受賞して、戦後のフランス映画を代表する監督のひとりになっていったのでした。

【ご覧になる前に】ピアニストと歌手の夫婦が殺人事件の犯人に疑われるお話

パリの小劇場に歌手志望の若い女性が訪ねるとそこではリハーサルの最中で、ピアニストのモーリスは妻で歌手のジェニーが初老の芸人と戯れているのを見て嫉妬心を抑えることができません。浮気性のジェニーはアパートに戻るとモーリスと熱いキスを交わし、本心ではモーリスのことを深く愛しています。モーリスの幼馴染で女流写真家のドラがジェニーのポートレートを撮影していると、背中の曲がったブリニヨンという老人が若い娼婦を連れて現れ、ヌード写真を撮ってくれと頼みます。ジェニーは映画界に顔が利くブリニヨンと一緒に翌日一緒に昼食に行く約束をするのですが…。

アンリ・ジョルジュ・クルーゾーはベルリンで外国映画の翻訳の仕事をしていましたが、1930年代に入ると脚本家として活躍し始め、短編映画で映画監督としてデビューを飾りました。1942年の『犯人は21番に住む』と1943年の『密告』は映画評論家からの好評を得ると同時に興行的にも成功を収め、注目を集めますが、内容的に対独協力を疑われパリが解放されてからは映画界では表立った活動ができませんでした。その苦境を救ったのがジャン・コクトーと言われていて、1947年に本作で戦後のフランス映画界に復帰。以降は『情婦マノン』で1949年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得し、1953年の『恐怖の報酬』ではカンヌ国際映画祭グランプリ、ベルリン国際映画祭金熊賞を同時受賞するなど活躍を続けることになります。

原作はスタニスラス・アンドレ・ステーマンというベルギーの小説家によるもので、『犯人は21番に住む』もステーマンの小説の映画化作品でした。クルーゾー監督が自身で脚色したのですが、シナリオ化するときにはステーマンの原作はフランスで絶版になっていて、クルーゾーは数年前に読んだ記憶を頼りにしながら脚本化したんだとか。結果的に原作とはかなり違った展開になっているらしく、原作者ステーマンは映画を見て激怒したと伝えられています。

殺人事件を扱ったストーリーで、原題の「Quai des Orfèvres」は「オルフェーブル河岸」という意味で、オルフェーブル河岸36番地はパリ警視庁の所在地です。東京でも警視庁のことを住所から「桜田門」とか言ったりしますから、パリっ子たちの間で警察を指す隠語を映画のタイトルにしているわけですね。ちなみにオルフェーブル河岸の警視庁はシテ島にありまして、ルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』では警視庁を誰がいち早く占拠するかが描かれていました。

警察でこの事件を担当するアントワーヌ警部を演じているのがクレジットタイトルでもトップビリングされているルイ・ジューヴェ。第一次大戦以前から演劇活動を始めた演劇人でヴィユ・コロンビエ劇場の舞台監督兼俳優を務めたのちには、コメディ・デ・シャンゼリゼ劇場を経てアテネ劇場の演出家兼俳優として活動を続けました。日本と同じくフランスでも劇団経営は苦しかったらしく、ルイ・ジューヴェは映画出演で劇団財政を支えたようで『女だけの都』や『舞踏会の手帖』、『旅路の果て』などの名作に数多く出演しています。

【ご覧になった後で】人間関係とトリックと捜査が上手にミックスされました

いかがでしたか?導入部はリハーサル場面から劇場のレビューへと目まぐるしく場面転換するので落ち着かない映画だなと思って見ていたのですが、嫉妬深いピアニストと浮気性の歌手の夫婦関係がわかってくるとそこにピアニストを慕っている幼馴染の写真家が絡んできて妙な三角関係が浮かんできます。そこに歌手を狙う老人が登場して呆気なく殺され、この殺人事件を巡ってルイ・ジューヴェ演じる警部が捜査を始めることになるのですが、ルイ・ジューヴェの捜査活動の描き方が、事件の概略を捉えて関係者を把握しながら足で事実を集めつつ徐々に核心に迫っていくプロフェッショナルな仕事の細部に及んでいて、軽妙なタッチながら実に厳しいリアルさを伝えます。

ルイ・ジューヴェの捜査が進む中でも、妻を殺人犯にしたくないピアニストと夫のために殺人を犯したことを隠し通す歌手と二人をかばおうとする写真家の三人の関係が丁寧に描かれます。加えて殺人当夜に起こった自動車泥棒やエデン劇場の手品の失敗などの細かなエピソードが終盤に向けて収斂されてきて、こんがらがった紐が徐々に解かれていくプロセスがうまく映像化されていきます。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーが書いた脚本は小説を読んだ記憶に基づいて書かれたということですが、かえってそれが良かったのかもしれません。本作の一番のポイントは脚本のうまさにあるので、うろ覚えの小説がクルーゾーの味付けによって見事に映画らしいシナリオに転換されたのが奏功していました。

もちろんクルーゾーの映像的センスも冴えていて、ピアニストがアパートの部屋で妻の浮気を疑う場面でトップライトのような照明の効果でピアニストの頭を白く照らしたショットが印象的でしたし、ピアニストと歌手がアパートで抱擁すると沸かしていた牛乳が沸騰して鍋から溢れてしまうなんていうヒッチコック的にいえばあまりに直截的な性的メタファーを使ったりしたいたのもクルーゾーらしいエスプリなんでしょうか。そして巧いのは部屋で殺された老人のこめかみに銃弾の跡が残っているのをきちんと見せていること。明らかにピストルで撃たれているのですが、観客は歌手がシャンパンのボトルで殴り殺したと自白する言葉を信じてしまい、銃痕のことを忘れてしまうのです。

この銃痕を忘れさせる演出が、本作の決め手でもある殺人トリックの巧妙さを際立たせていました。本作の殺人トリックは、歌手が「殺人を犯したと思い込んでいただけで実は犯人ではなかった」というトリックとピアニストが「殺そうと思って押しかけていったがすでに相手は殺されていた」というトリックの掛け合わせになっています。そこに写真家の「他人の殺人を隠すために第三者が証拠を消す」というトリックを重ねて、人間関係で描かれた三角関係がトリックの上でも三角関係になります。そして最後にはこの三角トリックが実はピアニストと歌手の無罪を証明することになって、ハッピーエンドを迎えます。

殺人を題材としながら本作が陰惨な印象を持たずに逆に軽妙な喜劇にも見えてくるのは、この終幕のためでもありますし、ルイ・ジューヴェ演じる警部が植民地勤務から帰還する際現地の子供を引き取って大事に育てているというサブストーリーや警察署員や新聞記者たちのストーリーと全く関係ないちょっとしたやりとりが挿入されるリズム感によるものです。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーが本作で見事にヴェネツィア国際映画祭監督賞を受賞したのもむべなるかなと感じられる作品でした。双葉十三郎先生も「いかにもよくつくられた作品という印象をふかくする。何ともいえない味がある」と評価されていますね。(A031124)

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