野菊の如き君なりき(昭和30年)

伊藤左千夫の「野菊の墓」を木下恵介が映画化した哀しくも美しい恋物語です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』です。原作は明治期の歌人である伊藤左千夫が書いた「野菊の墓」で、明治39年に「ホトトギス」誌に掲載されると夏目漱石も評価したと言われる悲恋小説でした。木下恵介は昭和29年に『二十四の瞳』を発表してキャリアの頂点に達しましたが、映画に対する実験的精神はとどまるところを知らず、本作では映画の大半を占める回想シーンを白い楕円形のフレームで囲うという試みを行っています。信州を舞台にして十五歳の政夫と十七歳の民子の淡い恋愛がはかなく壊れていく過程を丁寧に描いていて、この年のキネマ旬報ベストテンで第三位に選出されています。

【ご覧になる前に】笠智衆の老人が幼き日の淡い恋を回想するという設定です

山間の川を下る舟に乗っている老人に船頭は電車があるのに舟を頼むとは珍しいと話しかけます。七十三歳になる老人はこの土地を死ぬ前に一度訪れたかったと言い、遠い昔の日々を思い起こすのでした。旧家の次男政夫の家には病身の母を助けるために伯母の家から従姉の民子が手伝いに来ていました。幼いころから一緒に育てられた二人はいつも仲良く野山でを駆け回り、遊ぶ日々を過ごしていたのですが、兄嫁のさだや女中のお増は、二人の仲を羨んで何かにつけて民子に文句をつけ、村人たちも二人が夫婦気取りでいると陰口を叩きます。村の祭が近づいたある日、母から山の畑へ綿摘みの仕事を言いつけられた二人は誰に気兼ねすることなく出かけていきますが、仲が良いと思っていた互いの気持ちが恋に変わっていることに気づくのでした…。

伊藤左千夫は江戸末期に千葉県の農家で生まれ、正岡子規に師事して歌人として活躍した人。関川夏央作・谷口ジロー画によるマンガ「『坊っちゃん』の時代」にも、いかつそうな顔をしてロマンチックな短歌を詠む詩人として登場しているくらい、柔道家と言ってもさしつかえないようないかつい容貌の明治人でした。夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表したことで有名な「ホトトギス」誌に伊藤左千夫が四十二歳のときに初めて書いた小説が「野菊の墓」で、自身の出生地をモデルにした小説は夏目漱石に絶賛されたといわれています。

浜松の大きな漬物問屋出身の木下恵介は、昭和26年に作った日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』でロケーション撮影した信州に愛着を感じて第二の故郷のように思っていたとか。なので千葉県松戸の矢切の渡しが舞台となっていた「野菊の墓」の映画化に際しても、設定を信濃川に変えて長野県でロケーション撮影を行いました。松竹を代表する監督のひとりになっていた木下恵介は、小津安二郎のようにひとつのスタイルにこだわることなく、松竹の要請に合わせて喜劇もメロドラマも社会派作品も器用に撮りこなしていくタイプの監督でした。昭和29年に撮った『二十四の瞳』と『桜の園』が黒澤明の『七人の侍』をおさえてキネマ旬報ベストテンでワンツーを独占した木下恵介は、再会した幼馴染が恋心を蘇らす『遠い雲』を次作に選びました。そんなメロドラマ路線を極めたいと思ったのか、続く本作では若い二人の純粋な恋愛を描いた「野菊の墓」に目をつけたのでした。

政夫と民子を演じるのは田中晋二と有田紀子。田中晋二は劇団民藝で子役をやっていた人のようで、本作以降は木下恵介の『夕やけ雲』、『太陽とバラ』や大島渚の『青春残酷物語』に出演したりしています。一方の有田紀子も木下作品に出ていますが映画出演は数本にとどまっています。有田紀子は昭和15年生まれという記録も残っていて、それが本当だとすると本作出演時は十五歳だったことになります。

主演の二人以外は木下組ともいえるスタッフとキャストが集まっていまして、撮影は木下の義理の弟でもある楠田浩之。音楽は実弟の木下忠司、記録の杉原よ志も木下組の常連で黒澤組の野上照代のような存在だったんでしょうか。俳優陣では回想する老人役に笠智衆。母親役は杉村春子で兄役が田村高廣、祖母役には浦辺粂子があてられています。注目なのは作女役の小林トシ子で、この人は『カルメン故郷に帰る』で高峰秀子とともに故郷に帰ってくるストリッパー役を演じた女優さん。本作ではあまりに地味な役なのでほとんど同じ人だと思えないくらいですが、物語のキーマンになっていく役どころです。

【ご覧になった後で】思わず落涙してしまうくらいに純粋な悲恋物語でした

いかがでしたか?この映画を見たのは本当に何十年ぶりかなのですが、そのときは画面に白いフレームをつけているのがもう鬱陶しくて、なんでスタンダードの小さな画面をさらに狭苦しくするんだろうと憤慨しながら見ていて、本作の持っている純粋な悲恋物語の側面を全く見落としていました。久しぶりに本作を見たのも「プラス松竹」のサブスク契約を終わりにしようと思い、見ておくべき作品はないよねと確認していて残りの一本的な感じで見始めたという程度の動機でした。

なのでこの『野菊の如き君なりき』がこんなに涙が出る傑作だとは思ってもみませんで、前半途中から物語世界に引き込まれて後半から終盤にかけては涙が止まらなくなるほど感動してしまいました。もちろん原作が持っているピュアな恋愛ものの力が大きいのだとは思います。しかしやっぱり木下恵介の映像センスが本作を映画として面白く見せていることは確かです。白い楕円形フレームで語られる回想シーンは確かに遠い昔の記憶のように覚束なく見せると同時に、明治期という時代と田舎という環境の中では将来を嘱望された男子が年上の女性と結婚するのが大変困難なことだったという状況設定を確からしく見せる効果がありました。

またショットの中の人物のとらえ方が緻密に計算されていて、政夫も民子も旧家の室内ではほとんど他の人たちと同じようにフルショットで撮られていて、家の中の構成員のひとりとして描かれています。この旧家の中では彼らに個性を発揮する場はなく、個人の思いなど家の制度下ではすべて無視されるということを表しているようで、例えば民子が実家に帰される場面も実家で結婚を承知させられる場面も、民子のクローズアップはワンショットもありません。どちらも家の中にいて正座して首肯する民子を離れたキャメラが映すのみで、結婚を承知するときに背中越しにその表情がチラリと伺える程度でした。

そんな民子のクローズアップショットが出てくるのは、角隠し姿で人力車に乗った民子がキッと正面を向くところ。浦辺粂子に「お嫁さんは俯いてなきゃダメ」と言われてまたすぐに下を向いてその表情はわからなくなりますが、一瞬だけ正面を向いた有田紀子の顔のなんと美しく哀しいことでしょうか。いかにもこのとき民子は自分が死にに行くことになると悟ったかのようでした。そしてもうひとつのクローズアップは流産して実家に戻されて寝かされている民子のやつれた顔。有田紀子はちょっと若い頃の原節子っぽい雰囲気をもった女優で、非常に端正で思慮深い美しい顔をしているのですが、木下恵介は本作の中でほとんど有田紀子の表情を撮らない演出を貫きながら、民子がその悲惨な運命に向うところで実に印象的なクローズアップを使っています。ここらへんが本作を単なるメロドラマではない映像作品になさしめているポイントではないでしょうか。

楕円形フレームを使うためには回想シーンにせねばならず、よって冒頭から笠智衆の老人が少年時代を振り返るという構成にしてあるのですが、たまに現在に時制が戻って風景が変わるのも、笠智衆のナレーションで短歌が詠まれるのも、本作にある種のムードを与えていて効果的でした。またムードと言う点では木下忠司によるギターを中心とした弦の寂しげな音色が一層本作に抒情性を付与していて、信州の川と森の自然豊かな風景とともに、この作品を普遍的なものにしていたと思います。

木下恵介の脚本もうまくて特に民子の死を伝えるところは、普通の脚本家ではなかなか書けないような流れを持っていました。人力車の車夫に付き添われて帰宅する杉村春子、部屋に入ると突っ伏して泣く姿。その着物が黒であるということで民子の死はなんとなく観客に伝わります。そして電報で急遽帰って来た政夫にすぐに事情を知らせず、まず食事をさせて、そこで田村高廣に「民さん、死んじゃったよ」と怒ったように言わせるのが実に巧い運びでした。田村高廣も前年に『女の園』で映画デビューしたばかりなのに、旧家の跡取り息子役が似合っていましたよね。まあ小林トシ子のお増が途中から二人の味方に転じるので、兄嫁がたったひとり悪役を引き受けてしまうのはちょっと可哀想でしたけど。それでもこのシークエンスの流れには思わず落涙せずにはいられませんで、民子が政夫の手紙とりんどうの花を握って死んだという話を聞くともう涙は滂沱となって流れたのでした。本当に純粋な恋愛の思いというのは、いくつになっても心に響くものなんですねえ。(A010123)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました