波の塔(昭和35年)

松本清張の原作は、雑誌「女性自身」に連載した不倫恋愛小説です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、中村登監督の『波の塔』です。原作はあの松本清張ですが、清張が得意とする社会派推理小説ではなく、政治家への贈賄事件が絡むものの青年が人妻の女性と不倫におちる恋愛小説です。松本清張の小説を映画化するのは一種のブームのようになっていて、昭和32年の『顔』を筆頭に昭和40年までになんと二十作が映画化されています。特に松竹は8本の清張作品を製作した本家。本作も中村登監督によって丁寧に作られたカラー作品です。

【ご覧になる前に】主演は津川雅彦と有馬稲子、松竹に移籍した同士の共演

省庁の局長を父にもつ輪香子は女子大を卒業して一人旅を楽しもうと諏訪湖にやってきます。そこで古代の暮らしが好きだというある青年と出会い、輪香子は好感を抱くのですが、東京に帰って友人と深大寺を散歩していたとき、偶然その青年と再会します。青年は東京地検につとめる新任検事で小野木といい、大人びた女性を連れていたのでした…。

原作は松本清張にしては珍しい恋愛小説で、本作公開の前年に雑誌「女性自身」に連載されました。「女性自身」は光文社が昭和33年に創刊した女性ファッション誌。しかし売上げは低迷し、ファッション路線から皇室ゴシップを取り上げる女性週刊誌に衣替えした時期でした。「波の塔」の連載が大好評だったため「女性自身」の発行部数は急上昇。舞台となった深大寺には男女のカップルが殺到し、そばやは大繁盛したとか。松本清張ブームは推理小説だけのことではなかったんですね。

主役の小野木と頼子を演じたのは、津川雅彦と有馬稲子。津川は歌舞伎役者澤村国太郎を父にもつ芸能一家に生まれ大映で子役デビューしました。昭和31年の日活映画『狂った果実』で石原裕次郎の弟役でブレーク。日活のスターとなりましたが、昭和33年に松竹へ移籍しました。かたや有馬稲子は宝塚歌劇団出身。二年ほどで退団して東宝専属女優として映画デビューし、松竹に移籍したのが昭和30年。五社協定ができたのが昭和28年、新東宝に変わって日活が加わったのが昭和33年でした。津川雅彦も有馬稲子も五社協定による専属俳優の囲い込みが強まる中で、松竹へ移ったことになります。

監督の中村登は、松竹に助監督として入社した大船撮影所の第一期生。生粋の大船調育ちで、島津保次郎や吉村公三郎に師事しました。基本的にはプログラムピクチャーを量産した監督でしたからこれといった名作を世に送り出した人ではありませんが、松竹大船の映画作りの基本をきっちりと身につけた監督ですので、本作もその堅実な映画づくりが安心して見ていられる作品になっています。

【ご覧になった後で】有馬稲子の色香にほんの少し迷ってしまいそうですね

いやいや、本作の有馬稲子は実に大人の女の色香が感じられますね。特に小野木と頼子が台風の中を富士ノ宮まで山越えする場面。山小屋に避難したときの雨に濡れてブラウスの胸元がちょっとはだけている有馬稲子は、なかなかのエロティシズムを醸し出していました。有馬稲子は本作出演時二十八歳。たぶんヨーロッパ旅行を楽しんだあと、日本に帰ってきた時期の主演作だと思いますが、日本経済新聞に連載した「私の履歴書」でも本人が書いているように、有馬稲子はこの当時、妻子ある有名映画監督と不倫関係に陥っていました。恋愛、そして堕胎。泥沼化した関係を清算する意図もあり、昭和36年に有馬稲子は中村錦之助と結婚することになるのです。しかし錦之助との結婚生活は四年ももたずに破綻してしまいました。

有馬稲子は本作出演の前に小津安二郎監督作品に二本出ていて、『東京暮色』(昭和32年)『彼岸花』(昭和33年)では、どちらかといえば家庭に反発する娘を無表情に演じていました。その冷ややかな演技に比べると、本作の有馬は実に濃厚で、津川雅彦とのキスシーンなども熱い吐息が画面から匂い立つようです。それもこれも有名映画監督と不倫していた熱量が、立場を逆転して不倫する人妻役として爆発したのかもしれません。

映画の途中で、富士山山麓の樹海のことがセリフで説明され、一度迷ったら二度と抜け出せない森として紹介されます。結果的に頼子は小野木のもとから去ってひとり樹海に身を投ずるのですが、青木ヶ原樹海が自殺の名所となったのは本作がきっかけなんだそうです。当時の週刊誌や映画の影響力は、今でいうところのインスタやツイッターのようなものだったんでしょうか。自殺するならあそこというノリで広まっていったのかもしれません。確かに中村登監督の演出も、頼子の「富士吉田で降りる」というセリフのあとに樹海の遠景で終わるのかと思ったら、わざわざ樹海の中をさまよい歩く頼子を正面からトラックバックでとらえ、しかもその後ろ姿を俯瞰で撮るショットがラストなのです。ことさら樹海自殺を大仰に描いているとしか思えず、名所にしてやろうみたいな意図があったんですかね。端正で堅実な演出を見せる本作にとっては、なんだか違和感の残るエンディングでした。

かたや輪香子を演じる桑野みゆきは当時十八歳。有馬稲子と比べると、こちらはプロポーションが抜群に美しく、若さがはちきれんばかりです。戦前の松竹で清水宏や小津安二郎の作品に数多く出演した桑野通子の娘で、戦後すぐに三十一歳の若さで急逝した桑野通子でしたから、娘のみゆきは松竹では大切にされていたようです。『彼岸花』では有馬稲子の妹役もやっていましたね。頼子の夫役は南原宏冶。この人は有馬稲子が岸恵子・久我美子とともに設立した「文芸プロダクションにんじんくらぶ」に所属していたそうです。のちにTVの時代劇シリーズで脇役として活躍しました。

そんなわけで有馬稲子の磁力が強すぎて、津川雅彦がいかにもボンクラに見えてしまうくらいの、ドロドロ感を発散する作品でした。原作がしっかりしているんでしょう、とにかく見ていて飽きさせない展開で、そこそこ引き込まれますし、現場スタッフの熟練の腕が画面に刻み付けられていて、映像テクニックも確実で安定しています。こういう作品を簡単に作ってしまうのが松竹大船撮影所の強みだったんでしょうね。(A120921)

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