黒い十人の女(昭和36年)

浮気男を十人の女が謀殺しようとする和田夏十の脚本を市川崑が監督しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『黒い十人の女』です。市川崑は昭和35年に作った『おとうと』で見事にキネマ旬報年間ベストテンの第一位を獲得しました。大映の永田雅一からそのご褒美として好きな映画を撮っていいと言われた市川崑は、妻のシナリオライター和田夏十が書いたオリジナル脚本で撮ることに決めます。映画業界のライバルだったTV局のプロデューサーを妻と九人の浮気相手が共謀して殺そうとするブラックなドラマは、市川崑の実験的な映像づくりもあいまって、昭和36年のキネマ旬報ベストテンで10位に選ばれる異色作となりました。

【ご覧になる前に】山本富士子を始めとした豪華な女優陣の共演が見ものです

夜道を歩く女のあとをヒールの音を立てて追う女がいます。その様子を車の中から眺める別の女が煙草に火をつけていると、後を追いかける女たちの数が増え、ついには崩れた廃屋跡に九人の女が集まりました。それを塀の上から見下ろすのは今では死んでしまって亡霊となった和服の女。彼女は追いかけられていた女の夫でTV局プロデューサーの風を巡る女同士の諍いだと語り出します。風が女優の部屋から出ていくと、押し入れに隠れていた和服の女と演出助手の女が出てきます。三人はともに風の愛人で、風の妻は夫が多くの愛人を作っていることを知りながら、カチューシャというバーを経営していたのでしたが…。

市川崑は戦後の日本映画界を代表する監督のひとりですが、他の名監督たちに比べると非常に多作な人でした。東宝から日活に移って『ビルマの竪琴』を作りますが、上映形式や総集編の扱いを巡って会社側と対立した市川崑は、キャメラマンの宮川一夫と一緒に仕事がしたくて大映に移籍することになりました。大映では年3本のペースで次々に新作を発表して、念願だった宮川一夫とは『炎上』『鍵』『おとうと』でコンビを組むことができました。大映としてはほぼ会社の方針に沿いながらコンスタントに良作を作る市川崑に対して褒賞の意味も込めて、自由に好きな映画を一本撮るということを許したのかもしれません。

市川崑が助監督のときから付き合っていた和田夏十は、市川崑が監督デビューすると同時に結婚して、以後は市川崑作品に和田夏十の名義で脚本を書き続けました。その意味では市川崑の公私にわたるパートナーだったわけで、昭和34年の『野火』まではすべて市川崑作品でしか脚本を書いていません。和田夏十がはじめて夫以外の監督のために脚本を書いたのは本作の前年に製作された『流転の王妃』で、田中絹代の監督第四作でした。この年さらに増村保造監督のために『足にさわった女』の脚本を書きますが、キャリアの中で夫以外の作品はこの2本だけ。本当に市川崑のためだけにシナリオを書き続けた人だったんですね。

「十人の女」を演じる女優陣が豪華なのですが、その中でもやっぱり山本富士子は別格で、船越英二の妻役を演じてクレジットタイトルでもトップに出てきます。次に出るのは宮城まり子ですが、当時は歌手としてのネームバリューが勝っていたんでしょうか。女優としては格上の岸恵子は三番目の位置づけになっています。さらに中村玉緒、岸田今日子と続きますが、映画として十人をじっくり描くのは無理なので、残りの五人はその他大勢としてクレジットされています。

一方で船越英二は大映専属俳優としてメチャクチャに酷使されている時期で、昭和28年から昭和37年までの十年間でなんと120本近い映画に出演していたという記録が残っています。単純計算すると一ヶ月に1本ですから、もちろんすべて主役ではありませんけど、そのたびに台本を渡されて衣裳合わせをして役作りをして撮影にのぞみ場合によってはアフレコまでやっていたわけです。こんなひどい労働環境だったので、本作のプロデューサー役の設定などは船越英二にとっては屁でもない程度だったかもしれません。

スタッフではキャメラマンの小林節雄は昭和33年の『穴』で市川崑のもと撮影監督に昇進したのちに、『あなたと私の合言葉 さよなら、今日は』『野火』でも市川崑とコンビを組んでいます。市川崑が昭和50年に『ビルマの竪琴』をリメイクしたときもキャメラマンに指名されていますので、市川崑から信頼されていたんでしょうね。また音楽は芥川也寸志が担当していて、日本のクラシック音楽を代表する作曲家は全盛期の映画界においては欠かせない存在だったんでしょうし、作曲家たちにとっても良い収入源になっていたのだと思われます。

【ご覧になった後で】クローズアップの使い方と船越英二の演技が絶品でした

いかがでしたか?この作品は公開後長らく注目されることがなく、ピチカート・ファイヴの小西康陽がフィルムセンターでの再上映を見て、さかんにいろんなところで宣伝したおかげで、一般映画館で上映されたりソフト化されたりしました。さらにはTVドラマ化や舞台化までされるようになり、現在では市川崑の代表作のひとつとして再認識されています。それはともかくとしても、本作の魅力は「自由に撮っていい」といわれた市川崑による映像づくりとこれ以上の適役はないというほどの船越英二の演技にあることは間違いありません。

まずオープニングタイトルで女優たちのクローズアップとともに名前が表示されるのもカッコいいのですが、このクローズアップは本編のスタイルを予告する前振りのようになっていて、夜道のファーストシーンからとにかくクロースアップまたはアップめのショットを連打していきます。夜道の次は時制が戻って岸恵子の部屋になりますけど、この部屋のシーンも船越英二と岸恵子の二人をワイドスクリーンの左右にクローズアップでとらえたショットになっていて、ちょっとヒッチコックのラブシーンを思い起こさせます。宮城まり子と中村玉緒が道端で転がって取っ組み合いするのもほぼバストショットくらいで画面いっぱいにとらえていますし、岸田今日子と永井智雄の小部屋での面談場面でも互いの超クローズアップが交互に繰り返されます。

このようなアップショットの連続が登場人物同士の交流感を断絶しているというか自己都合を優先する個人主義を表しているというか、余白のない窮屈な画面によって余裕のない精神状態や超多忙な仕事が強調されていました。ついでにいっておくと永井智雄の局長役は巧かったですね。面談で次々に相手の話そうとすることを先回りしながら専務に呼ばれたらすぐに出て行ってしまうところは、本当にああいう上司いるよなーという感じでした。

で、船越英二の話になるんですが、この風という風変わりな名前をもつ主人公をもし船越英二以外の人が演じていたら本作は成り立たなかったでしょうね。船越英二は品の良さが身上の俳優ですので、本人が言う通りに「仲の良い女性は40人くらいいてそういうのとあんまり変わらないんだけどなあ」という友人関係と肉体関係の境目がはっきりしないというかできない浮気性のキャラクターに観客もなんだか共感してしまうような魅力がありました。声がいいというのもありますし、愛人といっしょに床を共にする場面も出てきますが肉欲的なものを感じさせない柔らかさというかあたりの良さがあるんですよね。

仕事もいい加減のようでいて、フットワークよく現場に行くし、周囲の同僚からも好かれているようです。このようなダメ男のラインにギリギリ落ちそうで落ちない人物は船越英二でしか表現できなかったでしょう。ちなみにブームが再燃した後に作られたTVドラマ版では小林薫、船越英一郎が演じていますが、いかがでしょうかね。船越英二は本作のプロデューサー役と、『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』のパパ役の二作が代表作ではないかと思います。

一方の女優陣ですが、本作出演時の山本富士子ってなんと二十九歳なのです。あの貫禄で二十九歳というのはなんだか現在では想像もできないくらいです。かたや終盤に一気に主役の座を奪ってしまう岸恵子は二十八歳。イヴ・シャンピと結婚して四年後くらいですが、こちらも女ざかりというか成熟した大人の女性という雰囲気を出していて、当時の女優さんというのは現在よりもはるかに人間的な重みがあったんだなあと感心してしまいます。そして宮城まり子は和服姿でもありますし、旦那と死別して高校生の息子がいるという設定もあるのですが、撮影時には三十三歳。セリフでもおばさん扱いされていましたけど、年齢的には全くそんな歳ではないですよね。この三人だけでなく女優陣全員の演技力というか存在感には当時の年齢など全く関係がなく、本当に圧倒されるようでした。

本作は昭和36年5月に公開されていて、同じ年の11月には東映の大スター中村錦之助が女優の有馬稲子と結婚して1000人を招待した披露宴を開いています。後年になって有馬稲子が暴露したところによると市川崑は有馬稲子と不倫関係に陥っていて、錦之助とは結婚するなと有馬稲子に懇願していたとか。そういう市川崑の裏の顔を和田夏十が知っていたのか知らなかったのかはわかりませんけど、そういう時期に「TV局のプロデューサー」を主役にした「妻がいるのに平気で愛人を作る」話を書いたわけです。しかも女優の愛人として出演する岸恵子は「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を有馬稲子とともに立ち上げた人でした。このような背景を考えると、本作は作品としての面白さもさることながら、製作の背景にあったであろうドロドロも踏まえて見るべき映画なのかなと思います。

だとするとラストシーンは実に象徴的ですね。車を走らせる岸恵子は反対車線で事故を起こして火だるまになっている車を見ます。この事故車をどう捉えるかは観客の自由なのですが、一瞥しただけで何も気にせず岸恵子を見ると、不幸な事故は反対車線で起きただけのことでこちらの道にとっては何の問題でもないということを表しているのではないでしょうか。そして岸恵子は仕事に行くこともできない船越英二がいる海岸の家に戻るのです。浮気男がすべてを取り上げられて女優の飼い犬となって終わるというこのエンディングは、和田夏十が訴えたかった心情を反映しているのではないかとつい勘繰りたくなります。そういう意味では『黒い十人の女』は市川崑の業の深さが生み出した作品、なのかもしれません。(T021023)

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