日本映画

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沈黙 SILENCE(昭和46年)

遠藤周作の「沈黙」は、キリシタンが弾圧されていた江戸初期の日本に渡来するイエズス会の司教を主人公とした小説。戦後日本文学の代表作のひとつとして現在でも読み継がれていて、本作は出版の五年後に篠田正浩が監督したものです。
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血と砂(昭和40年)

岡本喜八監督は『独立愚連隊』など中国大陸の荒涼とした土地を舞台にした戦争映画を一貫して撮っていまして、本作もその系譜にあたる一作です。主演は岡本喜八と盟友関係にあった三船敏郎で、三船プロダクションが製作も担当しています。
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乾いた花(昭和39年)

石原慎太郎が昭和33年に「新潮」6月号に発表した短編小説「渇いた花」を原作とした作品で、昭和38年に完成していたにもかかわらず、8ヶ月遅れて公開されました。篠田正浩は松竹の監督でしたが、本作は文芸プロダクションにんじんくらぶが製作しています。
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悲劇の将軍 山下奉文(昭和28年)

日本軍による真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争は、次第にアメリカ軍が攻勢を強め、敗戦とともにフィリピン防衛戦でも日本軍が降伏します。そのときに第14方面軍司令官だった山下奉文大将を主人公にしたのが本作です。
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この広い空のどこかに(昭和29年)

小林正樹は昭和27年に中編『息子の青春』で松竹で監督に昇格しました。本作は小林正樹監督にとって四番目の作品にあたり、佐田啓二が営む酒屋に嫁いだ久我美子と酒屋の家族との日常が描かれています。
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伊豆の踊子(昭和38年)

川端康成が書いた短編連作「伊豆の踊子」が出版されたのは昭和2年のことでしたが、以来何度も映画化された中で本作は四度目に映画化された日活版です。原作で十四歳と設定されている踊り子を演じたのは、当時十八歳の吉永小百合でした。
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真空地帯(昭和27年)

昭和27年に河出書房から刊行された野間宏の長編小説「真空地帯」は評判を呼び、毎日出版文化賞を受賞しました。その小説を映画化して同年年末に公開させたのが東宝を退社して独立プロ新星映画社を立ち上げた山本薩夫でした。
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長崎の鐘(昭和25年)

長崎医科大学物理的療法科の永井隆助教授は、白血病と闘いながら原爆投下後の長崎で被爆者の治療にあたり、四十三歳で亡くなりました。永井助教授が残した手記をモチーフにした歌謡曲は大ヒットを記録し、早速松竹が映画化することになりました。
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黒蜥蜴(昭和43年)

江戸川乱歩の探偵小説を三島由紀夫が戯曲にしたのは昭和36年のことで、翌年には大映が京マチ子主演で映画化しました。本作は二度目の映画化となる松竹版で、舞台でも黒蜥蜴を演じた丸山明宏が主演をつとめました。
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新源氏物語(昭和36年)

平安時代中期に紫式部が書いた「源氏物語」は現代の作家たちによって現代語訳で出版されてきましたが、本作は雑誌週刊文春に連載された川口松太郎の「新源氏物語」を原作としています。主演は大映を代表する大スター市川雷蔵で、当時三十歳の雷蔵の美貌がカラー映像で残されました。
昭和二十年代

雲ながるる果てに(昭和28年)

原作は昭和27年に発行された「雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記」という遺稿集で、戦死した海軍予備学生たちの遺書や遺詠、遺文が集められていました。それを重宗プロと新世紀映画が共同製作し、松竹と北星映画の配給で公開されました。
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心中天網島(昭和44年)

近松門左衛門作の人形浄瑠璃が初演されたのは享保5年(1720年)のこと。その原作を文楽の黒子を登場させたり美術セットに浮世絵を使用したりして様式的に映画化したのが篠田正浩でした。このような作品が製作できたのはATGの存在があったからのことです。
昭和二十年以前

白蘭の歌(昭和14年)

久米正雄が東京日日新聞と大阪毎日新聞に連載していた小説が原作となっていて、日本人の鉄道技師と満州の富豪令嬢との恋愛を描いています。映画化は創設されたばかりの東宝と満州に設立された満州映画協会の合作で進められました。
昭和二十年以前

十字路(昭和3年)

『狂った一頁』に続いて衣笠貞之助が松竹京都撮影所で作ったのがこの『十字路』で、映画が完成すると衣笠は松竹を辞めてロシアを経由してヨーロッパに渡り、本作を「ヨシワラの影」という題名にして公開することになりました。
昭和二十年以前

生きてゐる孫六(昭和18年)

昭和18年7月公開の松竹映画『花咲く港』でデビューを果たした木下恵介の監督第二作で、同年11月に公開されました。脚本も木下恵介のオリジナルで、名刀「関の孫六」をモチーフにしながら因習に縛られる地方の村での騒動を喜劇的に描いています。
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大冒険(昭和40年)

ハナ肇とクレージーキャッツは、昭和37年の『ニッポン無責任時代』を皮切りにして東宝で映画出演を続けました。本作は「クレージー作戦シリーズ」の中の一本で、クレージーキャッツが結成されて10周年を迎えた昭和40年秋に公開され大ヒットを記録しました。
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処刑の島(昭和41年)

松竹に入社して『恋の片道切符』で監督に昇進した篠田正浩はその5年後の昭和40年に松竹を退社しました。本作は退社後初となる監督作品で、武田泰淳の原作を石原慎太郎が脚色したシナリオを映画化しています。
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電送人間(昭和35年)

プロデューサー制をとっていた東宝では、『ゴジラ』を製作した田中友幸が円谷英二を特技監督に起用した特撮映画をシリーズ化していましたが、その初期には「変身人間もの」と呼ばれる連作がありました。本作は『美女と液体人間』に続く第二作です。
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朱唇いまだ消えず(昭和24年)

松竹三羽烏のひとりだった佐分利信と梨園の妻となって映画界を引退したものの戦後復帰を果たした高杉早苗が共演していて、かつて学生時代に恋人同士だった男女が、別々の人生を歩んだのち約二十年ぶりに再会し不倫関係になるというお話です。
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忠臣蔵(昭和33年)

日本の時代劇史上最大最高の鉄板コンテンツとして映画界でも繰り返し忠臣蔵ものが作られました。本作は大映が創立18周年記念としてオールスターキャストで製作したものですが、驚くことにシンプルでドンズバの『忠臣蔵』という題名を持つ忠臣蔵映画はこの大映版のみです。
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