ボクサー(昭和52年)

菅原文太と清水健太郎が主演のボクシング映画は寺山修司が監督しています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、寺山修司監督の『ボクサー』です。詩人で舞台演出家でもあった寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』で映画製作も始めていて、本作は第三作目の監督作品です。寺山修司がメジャー映画会社の東映で監督をつとめることになったのは、同じ年の春にシルベスター・スタローンの『ロッキー』が公開されて大ヒットを記録したからでした。元々は菅原文太が温めていた企画だったそうで、新人歌手として売り出していた清水健太郎を主役に抜擢したこともあり話題作として注目を集めたのでした。

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ボクシングで元東洋チャンピオンだった隼は今ではボクシングの試合のポスター貼りをしながら愛犬のドーベルマンとアパート暮らしをしています。廃品回収所に勤務する弟は結婚を間近に控えていましたが、事故で亡くなってしまいました。事故の際、クレーン操作をしていたのは天馬という青年で、彼は足が悪いのにも関わらずボクサーになることを夢見ていて、新人戦で打ちのめされたばかりでした。隼が部屋で酒を飲んでいるときに訪ねてきた天馬は、隼にボクシングを教えてくれと懇願するのですが…。

昭和52年は、どん底に低迷していた日本映画界に復活に兆しが見え始めた時期。というのも前年に角川春樹率いる角川書店がメディアタイアップによって横溝正史原作・市川崑監督の『犬神家の一族』を大ヒットさせていて、成功に気をよくした東宝は金田一耕助ものをシリーズ化していきます。角川春樹が最初にタイアップ先にしようとした松竹は『八つ墓村』を自社製作することになって、結果的には東宝の後塵を拝することになったものの、この年の秋に公開する際には「祟りじゃ!」と流行語にもなって松竹最高の興行収入をあげました。そんな各社の動きの中で東映の作戦は、アメリカ映画『ロッキー』の大ヒットにあやかってボクシング映画を製作・公開しようというものでした。元々は菅原文太が自らボクサー役になって主演することを望んでいましたが、なかなか実現しなかった企画だったそうです。しかし「トラック野郎」シリーズのヒットによる東映への貢献度も評価されて、東映の岡田茂社長は菅原文太が推薦した寺山修司にメガホンをとることを許可して、この『ボクサー』が実現する運びとなったそうです。

寺山修司は戦後を代表する歌人であり、劇団「天井桟敷」の主宰者としても有名ですが、映画でも独自のスタイルで次々に実験作を監督していました。昭和49年に発表した第二作『田園に死す』は自伝的で幻想的な作風が評価されますが、そこまではATGによる製作システムに頼っていたわけで、寺山修司がメジャーで映画を撮るというところまでは誰も考えていなかったはずです。そんな寺山を菅原文太が監督に推薦したのは、普通の監督がやったくらいではインパクトのあるボクシング映画はできないという確信があったからだとか。寺山修司は本作以降も『草迷宮』や『さらば箱舟』などを監督しますが、どれも海外資本だったりATG製作だったりですので、国内メジャー作品は本作のみとなりました。

菅原文太の相手役に抜擢された清水健太郎は、前の年に「失恋レストラン」をヒットさせた歌手。昭和52年も次々にヒット作を歌って、年末にはNHK紅白歌合戦に初出場しています。東映としては歌の世界でアイドル的存在になっていた清水健太郎を出演させれば女性客の動員を期待できると踏んだのでしょう。本作に続いて、正月映画として清水健太郎を『紅の翼』に主演させて石原裕次郎版のリメイクを作ろうとしたそうです。しかし清水健太郎があまりに歌の世界で成功してしまい、スケジュール調整がつかずにこの企画は実現することなく立ち消えになりました。その影響かどうか知りませんが、歌謡界でもヒット曲が出なくなった清水健太郎は、昭和58年に大麻取締法違反で現行犯逮捕され、復帰後も覚醒剤を手放すことができずにメジャーでの活躍は望めなくなっていくのです。本作は清水健太郎が俳優として輝いた唯一の作品といえるかもしれません。

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いかがでしたか?冒頭のリングまでの長い裏廊下をドリーで前進移動するモノクロショットからして、これはちょっと違うなと思わせるような映像重視の作品でしたね。清水健太郎が菅原文太の元でトレーニングを重ねる場面でのキャメラが素晴らしくて、これはロケハンの効果もあると思いますが、望遠レンズを使って奥行きを圧縮したショットが非常に印象的でした。特に海の突堤を縦にとらえたショットと線路をまっすぐにキャメラに向って走って来るショット。この二つの長回しはボクシングのトレーニングを表現した映像として特筆すべき出来栄えだったと思います。キャメラマンは鈴木達夫で、ATG系の作品で撮影監督を担っていた人です。『祭りの準備』や『太陽を盗んだ男』なんかもこの人が撮っています。

木場のうえで黙々とうさぎ跳びをするシーンなども良かったですし、序盤のセリフの少ない語り口は寡黙さが強調されてクールな印象を与えていました。セリフではなく映像や登場人物だけでストーリーが語られていくのがすごくカッコいいんですよね。ここらへんは脚本のおかげもあって、大林宣彦と多くの仕事をしている石森史郎のシナリオ自体が抑制的で効果をあげていました。

そしてなんといっても寺山修司テイストが爆発していましたね。あの「涙橋食堂」のシークエンスは基本的にボクシング映画としては全く不要ですし、ストーリー上はなんの意味もないのですが、あの映像にあれらの役者たちが登場することで、本作全体がある種の夢のような、幻影のような雰囲気を身にまとうようになるのです。ここでは逆にセリフが湯水のように湧き出てきますが、その無駄なセリフによってイメージが拡散されて、ボクシングのトレーニングや試合などのリアルさを対照的に深めていくような演出だったのではないでしょうか。加えてドーベルマンの使い方が印象的で、犬が何を象徴しているのかまではわかりませんが、線路を独りで歩いていくドーベルマンのショットは本作の中でも孤独感というか無常感というか展望のなさを見事に表象していたように感じました。

菅原文太はいつもの演技でしたが、本作の清水健太郎は面構えも良くて、優しげだけれど暴力的なものを内在するような独特な存在感を示していました。実際のボクシングの試合では具志堅用高の指導のもと、清水健太郎は対戦相手と本当の殴り合いをしたそうで、演技ではなく実戦が映像に収められたんだそうです。まあそれはそれで良いとして、惜しむらくは試合の映像のほとんどがリングサイドのセコンドから見たようなショットだけに偏っていて、ボクサーの試合中の心情に触れるまでは行かなかったのが残念なところでした。唯一最後の試合では風の音を背景に流して効果を上げていましたけど、戦っているボクサーの視点を生かして、相手を殴り相手に殴られるイメージを寺山修司らしく表現してほしかったと思います。本作のあとには、マーティン・スコセッシの『ライジング・ブル』やクリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』などボクシングの試合自体を見事に映像化した作品が出ていますので、寺山修司が存命であったらさぞかし悔しい思いをしたのではなかったでしょうか。

ちなみに昭和52年の興行成績としては、本作は惨敗ではなかったけど、そんなに当たったわけでもなかったようです。でも昭和52年度のキネマ旬報ベストテンでは第八位にランクインしておりまして、ある程度評論家筋からの受けは良かった模様です。でもベストワンは山田洋次監督の『幸せの黄色いハンカチ』でしたでの、ベストテンというのはその年の雰囲気というか世の中の流れみたいなものに影響されやすいですよね。なんたって『ロッキー』が外国映画の第一位になっちゃった年ですから。(Y060422)

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