1940年以前

巴里の女性(1923年)

サイレント映画界で放浪紳士を演じて人気絶頂だったチャールズ・チャップリンが、自ら主演せず監督だけに専念したのが本作で、主演のエドナ・パーヴィアンスを女優として一人立ちさせるために製作されたといわれています。
日本映画

黒蜥蜴(昭和43年)

江戸川乱歩の探偵小説を三島由紀夫が戯曲にしたのは昭和36年のことで、翌年には大映が京マチ子主演で映画化しました。本作は二度目の映画化となる松竹版で、舞台でも黒蜥蜴を演じた丸山明宏が主演をつとめました。
外国映画

アパートの鍵貸します(1960年)

デヴィッド・リーンの『逢びき』からインスピレーションを受けたビリー・ワイルダーが、『昼下がりの情事』以降コンビを組んでいたI・A・L・ダイアモンドとオリジナル脚本を書き下し、『お熱いのがお好き』のジャック・レモンを主演に起用した傑作です。
外国映画

ローズマリーの赤ちゃん(1968年)

原作はアイラ・レヴィンの代表作で、パラマウントピクチャーズは映画化する際にロマン・ポランスキーに監督をさせることにしました。原作を気に入ったポランスキーは自ら脚色も担当して、ハリウッド進出第一作として完成させたのです。
外国映画

恐怖のメロディ(1971年)

クリント・イーストウッドは、マルパソ・プロダクションを自ら設立してユニバーサル映画と自身の監督作品を撮ることができるよう契約を結びました。そして本作で監督デビューを果たしたイーストウッドは、ハリウッドの中でも主演兼監督ができる比類ない才能を発揮していくことになります。
外国映画

マンハッタン無宿(1968年)

マカロニウエスタンで大成功を収めたクリント・イーストウッドは、マルパソ・プロダクションを設立して自ら製作に関与する体制を整えました。ハリウッドに戻ったイーストウッドがユニバーサルスタジオと共同して作ったのが本作で、イーストウッドは100万ドルの出演料を獲得しました。
外国映画

大いなる西部(1958年)

ウィリアム・ワイラーは1953年に監督した『ローマの休日』以来、グレゴリー・ペックと僚友関係となり、二人は共同製作者として西部劇の大作に取り組みました。東部と西部、旧世代と新世代など様々な対立関係を乗り越えようとするストーリーは当時の東西冷戦を背景としたものでしょうか。
日本映画

新源氏物語(昭和36年)

平安時代中期に紫式部が書いた「源氏物語」は現代の作家たちによって現代語訳で出版されてきましたが、本作は雑誌週刊文春に連載された川口松太郎の「新源氏物語」を原作としています。主演は大映を代表する大スター市川雷蔵で、当時三十歳の雷蔵の美貌がカラー映像で残されました。
日本映画

雲ながるる果てに(昭和28年)

原作は昭和27年に発行された「雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記」という遺稿集で、戦死した海軍予備学生たちの遺書や遺詠、遺文が集められていました。それを重宗プロと新世紀映画が共同製作し、松竹と北星映画の配給で公開されました。
外国映画

夕陽のギャングたち(1971年)

『荒野の用心棒』に始まる「ドル箱三部作」にあやかって『ウエスタン』と本作と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の三作品は「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ばれていまして、イタリア・スペイン・アメリカの合作で製作されました。
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