日本映画

顔(昭和32年)

松本清張は「顔」の入った短編集で日本探偵作家クラブ賞を受賞して社会派推理小説の第一人者になっていきますが、その松本清張の小説が映画化されたのは本作が初めてでしたので、松本清張ファンにとっても記念すべき作品といえるでしょう。
日本映画

人生劇場 飛車角(昭和38年)

東映東京撮影所長岡田茂が「人生劇場残侠篇」に登場する侠客・飛車角を主人公にすることを思いつきます。義理と人情を重んじる任侠の世界を見事に映像化した本作は結果的に大ヒットを記録し、この年度の日本映画配給収入ベストテンで第六位にランクインしたのでした。
外国映画

欲望(1966年)

主人公の写真家デヴィッド・ヘミングスがたまたま撮影したフィルムを現像して、印画紙に拡大するとそこに映っていたものは…というサスペンス仕立てになっていると同時に、見るとか映すとかいう行為の意味を突き詰めていくような哲学的な作品になっています。
外国映画

恐るべき子供たち(1950年)

フランスの詩人ジャン・コクトーが1929年に発表した小説「恐るべき子供たち」をコクトー自身が脚本にしてナレーションをつとめたのが本作です。コクトーは同じ年に『オルフェ』を監督していまして本作はジャン・ピエール・メルヴィルに任せています。
日本映画

ザ・スパイダースの大騒動(昭和43年)

7人組のスパイダースの人気に注目した日活はいち早く彼らを主演にした映画を企画し、昭和43年には主演三作が一挙公開されました。7人組の中でも堺駿二の息子で子役として映画界で活躍していた堺正章は一番の芸達者でしたから、本作でも主役を演じています。
日本映画

人斬り(昭和44年)

フジテレビ製作第二弾となったこの『人斬り』は勝新太郎が経営する勝プロダクションと組んで大映が配給した作品。監督はいずれもTV出身の五社英雄が監督をしていますので、大手映画会社による映画製作システムすらTVに取って代わられる時代となっていったのでした。
日本映画

忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻(昭和34年)

時代劇全盛の昭和30年代には何回も「忠臣蔵」が映画化されていますけれども、この作品は東映にとってはオールスターキャストを集めてカラー、シネマスコープで製作した決定版といえるでしょう。大石内蔵助を片岡千恵蔵がどっしりと演じています。
日本映画

緋牡丹博徒 お竜参上(昭和45年)

本家本元の東映では岡田茂社長が女を主人公にしたやくざ映画を作れと大号令をかけ出来上がったのが藤純子が矢野竜子を演じた「緋牡丹博徒シリーズ」。全8作品が作られたシリーズの中でも本作は屈指の名作として呼び声が高く、最高傑作のひとつに数えられています。
外国映画

ナバロンの要塞(1961年)

アリステア・マクリーンの小説の映画化を企画したのが脚本家カール・フォアマン。フォアマンは自ら脚本を書いて、当時としては破格の600万ドルという巨費を投じて2時間40分の長編大作に仕上げ、1961年の全米興行収入ランキング第三位の大ヒットを記録したのでした。
日本映画

仁義なき戦い(昭和48年)

それまで東映が作って来たやくざ映画は明治から昭和初期にかけての義理人情の渡世を描いた任侠ものでしたが、この『仁義なき戦い』ではじめて戦後の現実的なヤクザすなわち暴力団の実態を映像化して、東映に実録ヤクザ映画という新しいジャンルをもたらしたのでした。
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