日本映画

愛妻物語(昭和26年)

新藤兼人の初監督作品で、実質的パートナーだった乙羽信子を主演に起用して、宇野重吉演じるシナリオライターを妻が支えるという夫婦の愛情物語になっています。昭和26年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選出されたことで、新藤兼人は脚本家兼映画監督として活躍することになるのでした。
1940年以前

ランジュ氏の犯罪(1936年)

ジャン・ルノワールは1936年に抒情的な傑作短編『ピクニック』を撮っていますが、本作はその直前に作られた犯罪映画で、ルノワール自身が『ゲームの規則』などと並ぶ傑作だと自負する作品だったようです。
日本映画

エノケンのホームラン王(昭和23年)

昭和21年には8チームによるリーグ戦を再開したプロ野球の中でも一番の人気球団はジャイアンツで、本作はジャイアンツフリークの榎本健一がジャイアンツに入団して選手たちの信頼を獲得していくという野球ファンタジーになっています。
日本映画

民衆の敵(昭和21年)

終戦の翌年に今井正監督が撮った東宝作品です。戦後初の衆議院議員選挙が行われたのは昭和20年4月10日のことでしたが、本作はその2週間後に封切られていて、戦時中に中小工場の軍需工場化と増産を進めた財閥を痛烈に批判する内容になっています。
外国映画

死霊の盆踊り(1965年)

深夜の墓場というホラー映画の設定ながら実際には踊りがメインになっていて、その点ではヘンテコな邦題であるものの作品のポジショニングを適切に言い当てた名タイトルといえるかもしれません。
外国映画

明日に向って撃て!(1969年)

主人公のブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの二人は実在した銀行強盗で、ウィリアム・ゴールドマンが書いた脚本をポール・ニューマンが買い取って映画化しました。当時はそれほどビッグネームではなかったロバート・レッドフォードがキッドを演じています。
日本映画

忍びの者(昭和37年)

織田信長が伊賀に攻め込んだ天正伊賀の乱を舞台にした村山知義による原作を市川雷蔵主演で映画化した「忍びの者」シリーズの第一作で、監督は東宝争議で組合側の中心にいて東宝を退職した山本薩夫がつとめています。
日本映画

錆びたナイフ(昭和33年)

石原裕次郎は昭和32年暮れに公開された『嵐を呼ぶ男』でアクションスターとしてのイメージを確立しましたが、本作は兄の石原慎太郎が裕次郎を主人公にすることを前提に原作を書き自ら脚本化して裕次郎が主演しました。
昭和二十年以前

大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
日本映画

めし(昭和26年)

原作は林芙美子が朝日新聞に掲載された小説ですが、連載中に林芙美子が急死してしまい97回目の掲載が最後となりました。未完の小説を脚色したのが井手俊郎と田中澄江の二人で、女性を描かせたら並ぶ者はいないといわれた成瀬巳喜男が監督をしています。
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